日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

金ちゃん、がんばれ!

2019-03-24 22:51:00 | ねこ

ちょっとひんやりする日が続いています。

それでも、寒いときとは比べものにならない暖かさです。でも、一度すごく暖かくなると、ちょっとした寒さが身にしみますね。

 

連日の猫の話です。

友人の猫が、病院を行ったり来たりしています。我が家のぼんやりさんのちぃと義兄弟と言っている、ぼんやりの都会の猫です。

 

ぼんやりの今年で14歳のちぃ。

 

飼い主の友人も気持ちがざわざわしながら、日々、少しでも過ごしやすいようにと、1日1日を愛おしそうに暮らしているようでした。

 

今日、調子を崩し入院したようですが、原因となったとこを治療して戻って来て欲しいです。

 

金ちゃん、頑張るんだよー!

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ストルバイト。

2019-03-21 15:37:06 | ねこ
梅雨のような雨が降り、梅雨の頃のように暑い!
でも、まだ三月。

この前まで、寒くてふるえていたのも忘れてしまいます。

久しぶりに登場、桜。
もう2歳になりました。



排尿排便の障害があり、
膀胱とは別に憩室というのができていて、
そこにもおしっこが溜まる厄介な身体を持っています。

排尿排便の障害は、腰椎が一つ少ない分、
神経も一本少ないことも原因かもしれませんが、
腰椎一つ少なくても、すくすく元気な猫もいます。

なので、うちでは動物病院から、
メチコバールというお薬が出て、飲んでいます。
これは、神経系育てたい、ということですね。

そして、排便しやすくするためにプロナミド。
プラス、便が硬くなりすぎないように、
ビオフェルミン飲ませて、乳酸菌入りチュールも
適宜食べさせています。
この3つは、桜の排便を見つつ、微調整です。

さらに、憩室におしっこが溜まるので、
それで菌が繁殖したりしないように、
ビクタスSSという抗生剤。

これらで、日々の健康を保っています。

変化は、というと。
大興奮して尻尾がススキの親玉のようになることがあります。また、だらーんとしていた尻尾をときどき、機嫌よく振ることがあります。

よくここまでよくなったね、と
動物病院の先生方とも話をすることがあります。

ところが昨日はおしっこからストルバイト発見。



要するに尿石で、これができると、圧迫排尿するときにおしっこが細くなり、下手をすると出なくてなってしまいます。

そうなっては困るので、明日は午前中に久しぶりに憩室〜膀胱の洗浄をしてもらうことになりました。

そして桜のご飯も排便重視で選んでいましたが、
ストルバイトができにくいご飯にするか…、でも、排便もねぇ、と頭を悩ますことです。

とりあえず、今日はお漏らしして元気!
成長して、ちょっとぐらいの具合の悪さでは、
ぐったりならなくなったたくましい桜です。

我が家のかわいい桜です。
治って欲しい一心で人の薬も使うし、食事療法だって使うのです。

どこかで、「治って欲しいなんて障害受容できてない」って話も違うジャンルで聞きますが、
親心ってものがわからないもんだなぁ、と、
猫可愛がりしながら思うことです。
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ペンの破壊力。

2019-03-13 13:59:00 | 日記
 桜の花が咲くには、
冬の寒さを経験しなくてはならないということは、知っていましたが、
今年はその寒さが足りずに、花を咲かせつつ葉っぱを出す緋寒桜もあるそうです。

 満開に花を咲かせるには、厳しい寒さも必要って、
なんだか教訓みたいな話だなぁ〜と思いながらテレビの音声を聞くことでした。

 おいどん県内で32万2000部を発行する、地元の新聞があります。
そこに、不登校の子どもにどう向き合うか、という記事が掲載されていました。

 それは、今月1日に鹿児島市内であった、
精神科医の斉藤環さんの講演会をまとめたらしい内容でした。

 その中で、「発達障害バブル」ということが書かれていました。
以下、次のように書かれていました。

 治療の必要な場合もあるが、「発達障害バブル」に触れておく。
 医療現場で見過ごされがちな半面、医療以外の現場では過剰診断の傾向がある。
 一部で「変わり者」へのレッテルと化している。
 発達障害は脳機能障害なので、定義上は治るものではない。
 診断は本人の自己洞察が深まり、生きやすくなってこそ意味がある。
 診断するのは療育に関わる専門家に限定されるべきだ。
 〜3月13日南日本新聞「学ぶ・NIE」の記事より〜


 そろそろ、「神経発達障害」であることを学んだ方が良いのではないのでしょうか。
読んで、ため息が出ました。
 
 この記事が、講演会を聞いた記者の方が斉藤環さんの発言を繋ぎあわせたものなのか、
それとも、講演会の内容の大意を記者の方の知識でまとめあげたものなのかわかりません。

 記事がどちらに基づいたものだったにせよ、2019年3月13日の時点においても、
「発達障害は脳の機能障害なので」と堂々と書いて恥ずかしくない、
凡記者さんによってまとめあげられたことは確かな事実です。

 また、発達障害が医療現場で見過ごされ、それ以外で過剰に診断、という謎。
それは、職場や学校で、ちょっと浮き気味な人のことを
「発達障害だ」と揶揄したり、噂話をすることを「診断」と言っているのでしょうか。

 さらに、「診断するのは療育に関わる専門家に限定されるべきだ」と言うけれど、
どんなに素晴らしい療育をしている団体、個人で「療育の専門家」を名乗ろうが、
今も昔も診断は専門のお医者さんがしているのではないのだろうか?

 斉藤環さんということで、記事の中では「対話不足」や「対話尊重」などという言葉もあるが、
そんなことより何より、引用した部分で私のこの記事への興味はなくなり、
元々、「オープンダイアローグの人ね」くらいしか知らない講演をした方についても、
ふーん、で終了しました。

 行けなかったことを悔やむ気持ちが1ミリも湧かない記事。
破壊力がすごい。(褒めてません)

 そしてこれを以て、おいどん県の発達障害界隈も推して知るべしか…。

 微力だけど、「神経発達障害は治す術があるよ〜〜〜〜」と、
声をあげていかなくては、と思った昼下がりでした。


 
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『NEURO 神経発達障害という突破口』

2019-03-11 22:30:48 | 本の紹介
 3月11日の地震から8年。
去年も今年と同じように振り返り、今日は機能と同じように一日を過ごせています。

 そんな普通の日々を過ごせることは、ありがたいことなのだなぁ、と、
ニュースで流れる地震の特集を横目にみながら思うことです。
毎年、そんな言わずもがななことをことを思うこの日です。
 
 先週末、楽しみに待っていた新刊、『NEURO 神経発達障害という突破口』が届きました。



  もし、絶望の淵で「うちの子は、ずっとこのまま…?」と今も思っている親御さんがいらっしゃったら、
すぐに、この本を読んでもらいたい!

 今、やめ時もわからぬまま、
効いているのかいないのかわからない薬をお子さんに飲ませ続けている親御さんがいらっしゃったら、
すぐに、この本を読んでもらいたい!

 眠れない子を、勉強はできなくても仕方がないと、自傷行為もなす術がないと、
この子はどうすることもできないのだと、諦めている親御さんがいらっしゃったら、
すぐに、この本を読んでもらいたい!

 この本は、発達障害の子ども、何らかの困った凸凹があるお子さんについて、
病院や療育、福祉と繋がるしかないと思っていた親御さん方に、
そんなところをアテにしなくても大丈夫だよ、ということを教えてくれます。

 また、お子さんが何らかの発達に関する問題を抱え、医療機関に診断名を告げられても、
「じゃあ、先生、どうやって治しましょう?」と、質問して、
「いやぁ〜、脳機能障害だからねぇ〜」などと言う先生は、即、凡医印の烙印を押してさし上げて、
「あら!先生、ご存知ないんですかぁ〜〜〜!」と、
直販ではおまけでいただけるとても楽しい会報を凡医にプレゼントする…。
親御さんがどーん!と、診断した先生に斬り込んで行けばいい時代なんだよ、ということを教えてくれます。

 この本は今まで、誰も指摘しなかったことが書かれています。
それは、もちろんただの思いつきなどではなく、
DSM-5を読み込み、「神経発達障害」ということを考え抜き、
これまでの花風社の本での実践と重ね、
家で、親御さんが発達障害を治すことができるのだよ、ということを告げる
福音の書だと私は思いました。

 今、私の住む鹿児島県のそのまた地方の人口約76000人ばかりの小さな市で、
療育手帳を取得する子どもの数は、年々増えているそうで、平成29年度で718人。
市の分析によると、平成26年度以降、中軽度の知的障害者における増加が大きいとされていました。
そして、療育のサービス事業所といわれるところが11ヶ所、放課後デイサービスが6ヶ所。
数がまだまだ足りない、ということも私の住む地域の障害児の福祉計画書にはうたわれていました。

 必要な人は、必要に応じて療育も放課後デイも利用できれば良いでしょう。
でも、そこに繋がれ、そこを起点にしか動くことができなくなり、
「利用者」ではなく「食扶持」とならないようにしたいですね。

 「昔、発達障害だった」と言いながら
 自分の好きな仕事について楽しみながら社会貢献している。
 それが私の夢見る未来である。(本分より引用)


 そんな風にひとりひとりが自立し、自由に生きていけるように、
知的障害も自閉症も発達障害は治しましょう!


 

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