日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

わかる言葉。

2016-07-01 17:43:04 | 日記
 久しぶりの雨のない朝。
カッパを着ずに、もちろん、持っても行かずに家を出ました。

 仕事は6:00〜ですが、その4時間後、びっくりするような大雨。
久しぶりに、全身ずぶ濡れの状態を味わいました。

 全身ずぶ濡れ、寒いもんですね。

 ちょくちょくブログで顔を出す、私の父は、
一見、難しそうなことを簡単にして教えることがとてもうまい人でした。

 私が高校生の頃、父が勤めていた高校は、
九九ができなかったり、漢字が書けなかったり、読めなかったり、
分数って何?アルファベット、はぁ?っていう子も通う高校でした。
 
 そんな高校でも、父の国語の授業は生徒たちには興味深いものだったようで、
授業で話しをしたヘミングウェイやトルストイの本を読んでみたい!という生徒もいて、
父は自分の本だなから本を持っていったり、借りにくる子がいたりでした。

 そんな風にやってくる生徒さんを見ながら、私の母は自分の高校時代を振り返り、
「私は国語の授業って、つまらんかった。本を読むのもつまらないと思っていた。
でも、おとーさんの話しを聞いて、おもしろそうだな、って思って、森鴎外も夏目漱石も読んだの。
おもしろかった!出会う先生でこんなに違うんだね。」と、
そんなことを話していました。

 そんな父のいつも言っていたこと。
それは、頭の悪い人の話しは、難しい言葉を使って、簡単なことも難しく言う。
逆に、頭のいい人は、どんなに難しい話しも、「あ、わかった!」と相手に思わせる。
ただ、相手の話しを聞く能力で、その話しは浅い話しになったりもするけれど、
きちんと、内容は相手がわかる、そんなようなことをよく言っていました。

 そんな環境に育ったので、こむずかしい話しをする人やこむずかしい文を書く人をみると、
ああ、趣味がわるいなぁ〜と私はどこかで思ってしまいます。

 三つ子の魂なんとか、ですかねぇ。
私も気をつけなくちゃ。

 
コメント
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