日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

垣根のない遊び。

2016-07-16 22:58:50 | 発達応援
 昨日、ぎっくり腰だか椎間板ヘルニアっぽくだかなった猫ちぃを
今日も動物病院へ連れていきました。

 調子は良さそうだから、たぶん大丈夫だろうなぁ〜と思ったら、その通り!
自分ちの猫の健康状態の善し悪しって、やっぱりわかるものですね。

 子どもが外で遊ぶ機会が減って云々、ということはよく聞きますが、
子どもが子ども同士で遊ぶ機会が減ってることは、
からだの土台をつくることだけではなく、
認知の土台をつくることにも影響しているかもなぁ、と思います。

 私が子どもの頃は、上は4,5歳年上の人とも遊ぶ機会があったし、
下は1,2歳の子と遊ぶ機会もありました。

 年上の兄ちゃんたちと遊ぶときは、足手まといになると置いていかれるし、
なんだか、難しそうなものを作っているときは、「触るな!」と怒られるし、
お姉さんたちは、ちょっと、優しくしてくれるので、
それなりに、お利口そうにしたりしていました。

 自分と同じ年でも「博士』のような子は、
その年上の人たちと生き生きと話し、遊んでいたように思います。

 ずっと、年下の子と遊ぶときは、
年下の子に合わせるし、合わせているつもりが幼稚な自分もけっこう楽しかった気がします。

 こういう、自分の年としては幼稚な遊びも
色々な年の子どもがいる中では、思う存分遊べたし、
自分に合う遊びを周りを気にすることなく選んで遊ぶ自由な感じが、
私の小さい頃にはあったような気がします。

 今は、子ども同士の出会いも近所の子よりも
同じ幼稚園だという場合が多いのではないでしょうか。

 そうなると、発達がゆっくりの子は、
もう少し、単純な遊びをゆっくり楽しみたくても、
多数派の発達の子に合わせることになり、つまらなかったり、できなかったりで、
感覚的なものやモノを見る力などは育ちにくいまま、
多数の子の中に埋もれていってしまいます。

 そして、その子のペースで遊ぶ機会はないまま、
学校に上がる年齢になり、経験が不足しているねぇ〜、というようなことになる…。

 子どもが年齢に関係なく、その子の認知の年齢に合った遊びができる場も必要かもなぁ、
算数の量のこと、フォイヤーシュタインのIEの教材を見ながら、
そんなことを考えた夕方でした。
コメント
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