日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

おかしいことはおかしい。

2016-07-27 21:38:53 | 発達応援
 今日も天気のよい鹿児島です。

 やっと、梅干し干しをはじめました。
一粒、一粒、ざるに並べて、ベランダの手すりのところに干しました。
ぷっくりと、真っ赤になったもの、うすいピンク色のもの、真っ赤とピンク半々のものと、
漬かり具合も様々です。

 もう、あと、数回は干さねばなるまい、土用干し。
指先が少し、ピンクに染まっています。

 神奈川県で凄惨な事件が起きました。
亡くなられた方々には、本当に、突然、生きていくことを奪われて、
かける言葉もないような気持ちでいっぱいです。

 そして、ニュースを見ている限りでは、
加害者もまともな人ではないような印象です。

 大麻の反応が出ても、警察沙汰にならない不思議。
「重度の障害者は生きてる価値はない、数百人殺す」というような発言を聞いた友人たちが、
ただただ、フェイドアウトしていく不思議。
「報道で精神疾患があるってどうしていうんだ!?」という主張の不思議。
こちらも、なんだろうなぁ、という気持ちでいっぱいになります。

 精神疾患云々の前に、この加害者に「あんた、変だよ!」という人はいなかったのでしょうか?
それをいわないことこそが、その人を理解すること、受け入れることという思いがあったのでしょうか?

 私は、今も交流のある子ども、もうすぐ成人ですが、
時々、こちらが思いもしないようなことを言う子がいます。

 それは、聞いた端から、ことごとく、
「なんで、そんなこと考えてるの?」と聞いた上で、
「あんた、それ、おかしいよ。」としつこく、言い続けることがあります。

 それは、その子なりに時間をかけて考えたことではあるのですが、
とてつもなく、浅く、無駄な考えなことが多いのです。

 そんなこと考えてる暇があったら、
自分で米でも炊けるようになれ、レジでさっさとお金だせるようになれよ、と、
現実の生きる世界に根を下ろしていけよ、と厳しいことも言ってきたし、
今でも会って、そういう話になると、
「あんたねー、あのさー」と説教じみたことを言い続けています。

 障害があっても、なくても、
その人らしい人生を生きていく権利はひとりひとりにあります。
それを踏みにじる権利は、誰にもないと思っています。
そして、関わる人たちがそういうことを踏みにじるかもしれない芽を見つけたら、
「おかしいぞー!」っていえる人でありたいと思います。

 もちろん、私自身も踏みにじることがないようにしなくてはですね。
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