日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

あんた、変!

2016-07-29 08:41:14 | 発達応援
天気が良い中、空港に向かっています。私としては、夕方16:00台の飛行機を取ったつもりが、代金入金時、以前、キャンセルした便の分のお金を払ってしまいまして。もちろん、全くきがちきませんで(._.)丁寧に航空会社から「間違ってますよ」と連絡をいただき、時間はキャンセルした分ので、お金はカウンターで足りない分払ってくださいね、と言われて、都会でうろうろ遊ぶ時間に恵まれる今日です。

相模原市であった事件のあと、重い障害のある人が生きていることの価値云々について、職場など公の場でそういうことを言われたことがある、聞いたことがあるという人たちがいてとても驚いています。

私は今まで、自分の周りにいる人から、障害が重い人は安楽死させたら良いとか、生きてる価値がないなんていうことを聞いたことがありませんでした。それは、そういう人が身近にいなかったからだろう、と言われるでしょうが、確かにいないといえば、いないのです。でも、遠い親戚の人で障害があったり、亡くなる数ヶ月前の祖母は、食べたと思ったら、戻してしまったり、勤めていた所で障害がありパニックになって暴れまわる子がいるなど、そういう人との関わりが皆無だったわけではありません。

でも、その人たちが生きていること、生きていくことに疑問を持つ、ましてや、価値云々を判断することなど思いもよらないことでした。

小学生の頃、教員をしていた父が養護施設に行き、記念品にと鉛筆立てをもらってきたことがありました。父は、鉛筆立てなのでと私に「お土産」と言って渡しながら、「不恰好な鉛筆立てではあるけれど、ここには、作った人が生きて役に立とう、立ちたいと思う気持ちがこもっているんだよ。」と言って、その日に会った施設の人たちのことを話してくれました。子どもの私には、ショックな、ちょっと理解できないことも含まれていましたが、今なら、それは施設の支援者が…と理解できたことだったと思います。

それって、変じゃないの、と思うときは「それって、変!」っていうことは本当に大事ですね。今回の極端に偏って、常軌を逸したような意見を身近な人がささやいたとき、日常の仕事で、小さくあれ?って思うときもどっちも同じだと思います。言わないことは、同意見、だから、言いたい放題されてストレスをためている人を積込みの職場でも見かけます。

自分を守るため、それが、実は、家族やもっと広がって社会までをも助ける、小さい声になるのだと思うのです。

…って、ちょっと、大げさかしら(´・_・`)
そんなことを考えた1日の始まりでした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 頭もみもみ。 | トップ | 本を使う。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

発達応援」カテゴリの最新記事