今日の花風社の無料読書会は愛甲さんの『知的障害は治りますか』でした。
この本は、知的障害を行政がどう捉え、仕事しているか、また、そこに紐付けされる福祉がどんな風に働くかを教えてくれます。
そして、今の政治や医療が新型コロナについて無策であることともリンクし、とても新型コロナ前に構想された本とは思えない内容になっています。
例えば行政が「カテゴライズして捌く」ことが仕事というのは、今のコロナの世の中で陽性だ、と検査してご丁寧に年齢別感染者数を毎日出しているのもそうなのでしょうか。
今回、読書会前にこの本を読み直しながらそんなことを思い、その無策な仕事っぷりに胸くそが悪くなりました。
さて、浅見さんのお話も新型コロナとこの本の内容をリンクさせたもので、納得しかない内容でした。
更に「治すということは、どうしたらいいか」ということに触れられ、ああ、これはわかりやすいなぁと胸がわくわくしました。
学校という場にも触れられました。
先生方のマスクひとつはずしてあげられない言語体力。
私の県内について、ものすごい私見を述べるならば、学校、特に小中学校の先生方の学生時代の学力を思えば、言語力や思考力はないだろう、というのが私の意見です。
もちろん、全ての先生ではありませんが。
理系科目不得意、勉強は好きでない、考えるの面倒くさい。
「あそこなら推薦で行けて、教員採用試験にも受かりやすい」という選択で教員になってる方々も多いのです。
教員は地方では安定職の一つです。
そして言語体力つける時間が短大、大学時代にあればいいのですが、どうかなぁ、というのが本音です。
よその県は違うかもしれないですが、少子化の今、私が高校の教員をしていたときよりも、大学短大のハードルは低いのではないかなぁ、と思うのですがどうなのでしょう。
『知的障害は治りますか?』を読み直し、読書会に参加して、国や行政や福祉や医療は、個人のことには見向きもしないのだから、それぞれが上手に利用して、いや、利用したくなければ利用せずに、各々主体的に生きることが本当に大切だと思いました。
それにしても、新型コロナは、日本人はほとんどが主体性はなく、自由には生きることが不得意ということを浮き上がらせたと思います。
全国民の皆さんに『知的障害は治りますか?』を推薦図書にしたいわ!と思った読書会でした。