日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

できなくても劣らないかも。

2015-03-31 16:27:18 | 発達応援
 新ジャガイモの季節です。
この時期、私は沖永良部から送られてくるジャガイモを、
今日か、明日かと待って、ジャガイモを買い控えています。

 そして、やってきたジャガイモ。
フライドポテトにしましたが、ねっとり甘くておいしいこと!
季節のものは、本当においしいですね。

 私たちは、子どもにできないことがあると、
そのできないことについての能力が劣っていると考えがちです。
そして、そのできないことをできるようにするために躍起になります。

 『感覚と運動の高次化からみた子ども理解』という本によると
臨床場面では、「できないこと=わからないこと」ではないそうで、
療育や保育の経験が少ない自閉症児の場合、大人の指示似合わせたり応じたりすることが苦手で、
一見するとできない状態像を呈することがあるそうです。

 また、表出性の協調運動の障害や表出性の言語発達遅滞が強いために、
実はわかっているのにわかっていない呈になることもあるし、
逆に、わかっていなくても見かけ上できてしまう子どももいるそうです。

 この本を読みながら、教える側が子どもの「わからない」の本質をつかめないと、
色々と遠回りをすることが多いし、そうかといって、よし!この子のわからないはこれだ!と
言い当てることは難しいし、要するに、色々やりながら観察し、
試行錯誤するしかないな、と思ったことでした。

 でも、わからないの裏側にそういうことが潜むことを知っていることは、
できない=能力が劣るなんて短絡的に考えず、色々と工夫をする縁(よすが)になるので、
大切なことだと思うことです。

 こういうことを書いていたら、
フォイヤーシュタインで学んだ「部分と全体」ということを思い出しました。
子どもを見るときにも、この視点は大切ですね。
「わからない」「できない」部分に足を取られすぎないように気をつけなくては!と自戒することです。

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発達検査の使い方。

2015-03-30 15:39:17 | 発達応援
 今日も暖かい鹿児島です。
いや、暑いのかな?

 やっと、バイクのタイヤを交換。
これで、雨が降っても気にせず走れます。
ただ、新品タイヤは滑りやすいので、ちょびっと注意です。

 中学校で支援員をしていたときに、
「きちんと宅習をしてこないとだめだよ。」と言っても、
「きちんと」というのが、どういうことかわからなかったり、
「ノートちゃんと出しなさい!」といわれても、
「ちゃんと」という言葉が通じなかったりする子どもがいることに気がつきました。

 「宅習は、1ページを行を飛ばさずに、なるべく、きっちり書きましょう。『なるべく』ってわかる?」
というふうに聞くと、うなずいてくれたり、
「なるべくがちょっと…」と言ってくれたりすることもありました。

 少し、私とは言葉の理解の仕方が違うし、
他の子どもたちがひっかからないような言葉でつまずいて、
指示されたことがわからなくなっているという子どもたちと出会うことがありました。

 そういう子どもと偶然にも関わりを持ち、
手探りで対応しているときに、担任の先生や特別支援の係の先生に
「発達検査を受けてもらってはどうでしょうか?」と提案することがありました。

 しかし、特別支援の係の先生から担任に話がいった時点で、必要ないとされたり、
担任の先生が保護者の方に話をされたけれど、必要ないとされたり、
なかなか、ハードルが高いことでした。

 担任の先生が必要ない、とされた例では、
本人が甘えているからできていないんだ、ということだったり、
専門家でもない自分たちが、そんなレッテルを貼るようなことをなんの証拠があって保護者にいえるのか、等。

 子どもは甘えている様子ではなく、状況がわからない中叱られていると私には見えたのですが、
結論を変えることはできませんでした。
また、発達検査を受けることがレッテルを貼る、と考えているその思考回路にも驚くことでした。

 保護者の方が必要ない、とされた例では、
まさに、「うちの子に何か障害があるというんですか!」ということだったり、
「小さい頃からみんなより遅れていたから大丈夫です。」という私的には?な力強い言葉だったり。

 発達検査を受けさえすれば、その子に応じた対応がぱっ!っとできますとは言えませんが、
子どもがどこの部分が弱くて、今の状況を引き起こしているかがわかると、
少しは、子どもにわかるような対応がこちらにもできるのに…、そんな思いでいっぱいでした。

 でも、近頃、発達検査で、本人の強いところを教えてもらって、
そこを足がかりにして、認知の理解を図っていったほうが良いのではないかなというふうに、
少し考え方が変わりました。

 得意なところを少しずつでも伸ばしてと、そこを足がかりにして、不得意な部分も少しずつ、上にあげていく。
目に見えて、劇的な変化を起こすような方法は、私にはわかりませんが、
気がついたら、小高い山を登っていた!となるように。

 登る山は1つとは限らず、簡単に登れたり、中々頂上が見えなかったりでしょうが、
一緒に学ぶ子どもと一緒に、転げ落ちても諦めず、歩みを進めたいと思います。

 そんなことを思いながら、発達検査ができるようになったほうがいいかもな、と近頃思うことです。


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引越1年。

2015-03-29 20:30:50 | 日記
 実家に行く途中の山々では、桜が満開。
鹿児島では、全国でいちばんに桜が開花したそうです。
それもそのはず、今日は25℃、夏日だったそうです。
もう少し、もや~んとした春の山々を楽しみたいものです。

 去年の今頃は、引っ越しの荷物をコンテナに入れて、ホテルに泊まり、
翌日は種子島を離れて、布団だけ持って新しいアパートに行き、
次の日は、アパートに荷物を入れてと、ばったばたの日々を過ごしていました。

 夜遅くになっても、食べるものに困らない生活。
買い忘れたものがあっても、23時頃までは買いにいける生活に浮かれていました。

 そして、約8年ばかり続けた学校での支援員を辞めて、
とにかく、フォイヤーシュタインとアロマ、
その他に学んだことを仕事にしようと思って、仕事を外に見つけに行かなかった春でした。

 1年経って、経済的に自立ができていませんが、
フォイヤーシュタインとアロマを仕事として続けています。

 先日、日々忙しくしながらも心に余裕のある仕事の先輩に
「仕事って、その人に見合った、こなせる量がくるよね。」と言われ、
ああ、そうだなぁと、心から納得。

 思うに、今の仕事の量は、
今の私の実力に見合っているなと思います。

 たくさんの子どもや大人の方々と接するには、
私の知識と知恵と心持ちがまだ追いついていないな、と思います。
具体的に、何の知識と何の知恵とどんな心持ちが足りていないのかを言い表せない程、
漠然と足りなさがわかる、という感じなので、
自分でしっかり考えていかなくてはならないと思います。

 わかっているのは、時間の使い方が下手すぎること。
掃除をやりだすと、掃除だけで夕方。
本を読み出すと、本は1冊読み終わるものの夕方。
眠くなり、昼寝をすると目が覚めたら15時!

 春からは、いや、もう春なので、
明日からは時間を有効にを心がけます!

…できのわるい反省をした子どものような宣言で恐縮です。

 



 

 
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勘違い。

2015-03-28 22:48:28 | 日記
 今、空振で家が揺れ、窓が震えました。 

 昨日は桜島が31回も爆発したそうです。
仕事の帰り、家の窓から、噴煙が上がっていない日はなく、
昨日はなんの準備もせず買い物に行くと、
ぱらぱらはらはらと灰が降っていました。

 爆発しても、灰が降っても驚くこともない、
鹿児島の人々。
私も例外ではありませんが、いいのかな、それで…。

 言葉の伝え方とは、難しいものです。

 私は、「annon」という看板を掲げ、(実際には看板はないですが)
フォイヤーシュタインを使っての子どもの認知の力をつける塾と
アロマトリートメントをしています。

 今日、親しい友人がアロマトリートメントを受けにきてくれました。
たまたま、通り道の部屋に子どもの勉強道具を置いていました。

「これ、何するの?」
「子どもとフォイヤーシュタインするときに使うのよ~。」
「え!そんなことはじめたの?」
「まえからだよ!」

 よく話をする友人すらそうです。
きっと、ちょこっと話したことがあるぐらいの人の中では、
私が何をしているかなんて、ちっともわからによなぁ~と、
説明のマズさを反省することでした。

 「野口整体」と「野口体操」も親類縁者と思っていたし、
本を読んでも、お二人がごちゃごちゃに。
恥ずかしいことに、今日、自分がふたりをごちゃごちゃにしていることに気がつきました。(赤面)

 自分の説明の悪さや理解力のなさで、
単純なことも混沌仕立てにしているかもしれないと思うと、
ちょっとため息がでますが、伝える、理解する力をつけるぞ!と決心することでした。
コメント (3)
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おばちゃんの見本。

2015-03-27 20:44:02 | 日記
 完全に明るい!
朝の仕事で家を出るとき、ひとり感嘆、小躍りです。
世の中が明るい、というだけでよっしゃー!と思い、
足取りも気持ちも軽く仕事に向かえます。
私だけ?

 今日は仕事のミーティングがありました。
内容は、来週から商品の積み方がちょっと変わりますよ~と言うことで、
ラベルの見方やら、冷蔵品と農産品の組ませ方やら、
今までと違う感じになるということでした。

 どうして積み方を変えるのかといえば、
やはり、トラックにより効率的に荷物を積むためで、
1個ずつは、多少重くなるのでしょうが、個数は減るという
荷物を積む側からは、一長一短の変化でした。

 すごいな、と思ったのは長年この仕事をやっているベテラン組の方々が、
来週から急に変わるやり方に、文句も言わずにどうやったらやりやすくなるかな、ということを
瞬時に考えて、同時に要望も出しているところ。

 私たちはパートの立場なので、決められて降りてきたことを受け入れるしかないのですが、
それにしても、すごいなぁ~と思うことでした。

 私が長く仕事場としてきた学校は、変化への抵抗感が強い感じだし、
試して、不具合がでたらまた考えてみよう、ということも少なかった気がします。

 時々、一党独裁的に有無を言わさず、
「こうします!」ということがあり、昨日あった会議でなぜ出さなかったのか質問しても、
決めた、決まったの一点張りだったことはありました。

 今の早朝の仕事をしながら思うことは、
頭が柔らかく、しなやかな人たちとの仕事は、多少の小さな?があっても、
あまりストレスなく、楽しく仕事ができるんだなぁ~ということです。

 今も、私は立派におばちゃんですが、
しなやかに、したたかな先輩おばちゃんたちを見習って、
私もそういうおばちゃんになれるように!と思うことです。

 
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