日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

よりあいツアー その1

2022-11-21 10:45:00 | 日記
今日のことだけ考えている。

そんな日々を送っているなぁ、
と思う今日この頃。

福岡の宅老所よりあいツアーで、
村瀬孝生さんと中迎聡子さんの話を聞き、
よりあいの森見学などして、
一ヶ月が経とうとしています。

時間が経つと薄れゆく新鮮な場への記憶。
でも、今回は不思議と
薄れつつも発酵しているような。

何かぷくぷくと出来上がりを待つような、
ツアーの余韻が未だに残っています。

村瀬さんを知ったのは、
7月に鹿児島市内であったおむつ外し学会。

そこでの講演会の話し手のお一人として、
村瀬さんもお話をされました。

村瀬さんのお話は、
宅老所でお年寄りとの生活ややり取りで
実感されたことでした。

その村瀬さんのお話の多くが、
同年の子どもと比べて、
ちょっと何かが違うことで、
「マークすべき子」とラベリングされた
子どもたちの姿と重なりました。

村瀬さんが営む宅老所は、
ちょっと、いや、世間的には
かなり大変なお年寄りさんたちに、
どうその人らしく、
生き生きと生きてもらうか、
その人のそのままありのままを
どう受け止めていくのか、
ということに気を配っている所です。

かたや、子どもたち。

同年の子たちより色々遅い、
自我が出過ぎて周りとぶつかる、
周囲と同調せずに浮きがち、
叩いたり、引っ張ったりでの自己表等々。

子どものうちに、そういう行動行為で、
他人に迷惑がかかるであろうところは、
発達を促し、修正すべきだろうし、
それが人生の自由度をあげる、と
思っていたが、どうなのか?

子どもたちには、
それぞれがやりたいことして、
自由により良い人生を歩んで欲しい。

そのために、個々の発達の遅れや抜けが
軌道に乗るような遊びや
促せるような動きなど、
色々と提案しながら
教室では取り組んでいます。

それは、それで良いのだ、必要だ、
思う自分がいる一方、
村瀬さんのお話を聞き、
もっと子どものそのままを受け止め、
成長し、発達していくやり方は
ないのかな、という葛藤が生まれました。

それは、たぶん、
私が支援員として働いていた頃から、
割と長いこと、関わった子たちへ、
世の中、ありのままでは通用しない、
どう、できることを増やして、
世の中を渡って行けるようにするか、に
重きを置いていたからだと思います。

お年寄りのできないと
子どもたちのできないの、質の違いや
これから先の人生への対峙の仕方の違いは
もちろん、あります。

むしろ、大ありです。

それでも、
色々なことができなかったり、
発達がゆっくりなお子さんたちの
その「ありのまま」を受け止めながら、
できなさの根本と対話していくような
こちら側のあり方の大切さを感じた、
7月の村瀬さんのお話でした。

だから、
よりあいという場所への興味と
更に村瀬さんのお話も聞いてみたい、と
思って参加したよりあいツアーでした。







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夢見る大人。

2022-11-07 21:55:00 | 日記
まだまだ半袖の我が家。

二人とも長袖を着損なっている、というか
半袖でちょうどいい今年の秋。

衣替え躊躇してしまう…。

「夢見る小学校」

鹿児島で上映会はあるというので行ってきました。

これを観た人が知り合いに多く、
みんな良い感想。

でも、見る気が起きず、観ていなかった。

たぶん、子どもたちは生き生き学ぶのだろう。

そして、子どもと変な壁のない大人がサポートしているのだろう。

紹介されるのは、本当にいい学校だろう。

これは観る以前に抱いていた感想だが、
観た感想は、この感想を1ミリも裏切らなかった。

今の学校の制度が転換期にあるのは、
もう、きっと、だいぶ前からそうで、
危機感を持った人たちが、
「個性を大事に!」とか「自立」とか
いってきたように思う。

でも、そういう掛け声は
教育のお供物でしかなかったように思う。

そして、私は子どもの頃に、
ぎゅうぎゅうの詰め込み教育世代だが、
勉強が嫌いではなかったので、
苦にもならなかった。

但し、テストは驚くほどできない、
勉強好きという稀な存在だったと思う。

更に、学校の昼休みに、
学校の裏山に友達たちと登ったり、隠れたり、知り合いのおじいさんの山羊小屋の上に秘密基地を作ったり、子猫を飼ったりもしていた。

バレて、怒られることもあったが、
バレなけば怒られないので、
証拠隠滅技術は上がった。

そういうことは、私だけでなく、
同級生や従兄弟たちも同様で、
それぞれの縄張りの山や公園、川で遊んでいた。

今は時代が違い、
子どもだけで勝手気ままに
遊ぶことが難しいのだと思う。

そして、今の学校の制度では
色々なことが収まりきれなくなっていて、
学校の在り方を真剣に変えていくことが
必要なのかもしれない。

でも、まだ、
ほとんどの子が、好き嫌いはともかく、
今の学校の制度で
自分の感覚をやりくりして、
うまくだったり、不器用にだったりしながらもそこに生息している。

「夢見る小学校」が
我が地にできるのを待っている間にも、
子どもたちは成長していく。

ならば、家族や仲間を募り、
市営町営の畑借りるのもよし、
台所ぐちゃぐちゃにしながら、
何か作るのもよし、
庭先で日曜大工するのもいいし、
庭に寝転んで空を眺めてもいいのではないのかなぁ、と映画を観終わって思いました。

公立義務教育で成績表をなくすのは、
子どもの在学関係なく、
そのメリットを大人が訴え続けなくては
ならないことなのかもしれないなぁと
思うことでした。

いいなぁ〜、すてき〜、と
大人が夢を見る学校なんだなぁ。

そう思った映画でした。







コメント (2)
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