日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

学習とワーキングメモリ。

2024-01-12 07:22:00 | 本の紹介
長毛猫の楓。


保護猫の譲渡会で、人が怖くて、
いつもケージのトイレに隠れていたのを
譲渡会のインスタで見ていた。

でもかわいいから貰われて行って、
一週間ばかりで出戻ってきたのを
やはりインスタで知った2年前。

触れない、抱っこもできない、が
返された理由と知り、泣けた。

怖がる譲渡会に行かなくて良いように。
うちは触れなくても大丈夫だから、と
うちの子になって3年目。

撫でて、と寄ってくる。

自分の都合の良いようには、いかんのよね、
人も猫もとこの子たちと暮らして思う。

学校で勉強が苦手、というお子さんが
教室にいらっしゃることがあります。

年齢的には学齢期に達しているものの、
排泄などの自然現象がチグハグなお子さんや体を使ってできることがまだ幼いお子さんは、
学習的なことより、からだを育てることをメインで時間を使わせていただいています。

一方で、
年齢相応に体も使えている、
どちらかというと、気も利いている、という
お子さんが学習がうまくいかない、という
ご相談は、色々な教材を使って、試行錯誤しています。

ある部分は、バッとうまくいっても、
どうしても…という部分があるお子さんたち。

この本を読みながら、
ワーキングメモリ、そーかー…、と深く納得。

この本では、
障害ごとにワーキングメモリの特徴をピックアップして、支援をどうする、こうする、ということが書かれています。

それも、まぁ、薄目に参考にしたら良いかもしれません(笑)

私はこの本で、勉強ができない、ということへの違う視点が得られたことが収穫でした。

例えば、知的に遅れている、と言われるお子さんたちは、問題に対しての「理解力」が
薄いとして、そこをテコ入れされがちな気がするのですが、そうではない場合もあるのでは?という視点が得られたことです。

要するに、問題への理解力よりも、
問題へのワーキングメモリが足りていない、
かもしれないという視点です。

だから、わかりやすいように、と補助教材を使ったり、理解しやすいようにと言い換えをしてしまうと、更にワーキングメモリの無駄遣いのようになって、問題を解く力が削がれてしまう。

だから、学習がうまくいくようにするには、
ワーキングメモリを鍛えていくことが大事なのかなぁと。

このワーキングメモリを鍛えていくと、
知的云々なんてなくなるんじゃないのかな、と思えた希望の本でした。












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今を生きる!

2023-06-26 23:09:00 | 本の紹介
春眠はとうに過ぎ、
雨の少ない梅雨。

梅雨も眠い。

待っていた本が届いた!

講演会の中迎さんの新刊の本!

まだ、最初の方しか読んでいないが、
既にそこでやられた!

1冊目の本を出版したとき、
もう二度と本を出すことはないだろう、と
思ったそうだ。

その理由が、
原稿がまだ本になっていない段階で、
その本に書かれていることが、
既に過去の遺物のように感じたからだそうだ。

ああ、中迎さんらしい、と思った。

目の前で起こることに最善を尽くそうとすれば、当たり前の感覚だろう。

たぶん、講演会でも、
そのとき、その時点でのお話も
聞くことができるだろう。

でも、講演会が終わった瞬間から、
また、そこで話されたことは置いてけぼりで、先へと突っ走っていく。

講演会だけど、ライブだな、と
思う。

そして、住み良い地域なり、
社会なりをつくるには、
それらをつくる当事者になっていくことでしかつくることはできない、
と中迎さんの言葉。

拾い読みだけでも、
やる気とわくわくをもらう。

ぜひぜひお読みくださいね!

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技術とスピリッツ。

2023-05-31 23:04:27 | 本の紹介
先日、猫友のお家の梅園で
梅をちぎったり、拾ったりさせていただいた。


周囲を山々に囲まれたその梅園は、
近くに畑や田んぼもあり、
かつては、そこで一家の食が完結していたであろうことを想像させる場所でした。

朝、3時起きで、
色々やってからの梅ちぎりでしたが、
梅の力か?疲れない。

ずっと中腰、低い姿勢だけど、
雨露のついた葉っぱや梅の棘を避けたり、
完熟した梅を目で追い、
木々の梅を見上げとしていると、
とても元気になった。不思議。

海も山も、
自然ってすごいですね。

その梅の山で遊んだ日。

秋口の頃のお仕事の話をいただき、
鹿児島市内の発達支援の事業所さんに
お邪魔させていただいた。

帰り際、事業者さんのスピリッツになっているという本をお土産にいただいた。

少しずつですが、読んでいる。

どんな子どもにも、
その小さな世界で精一杯に生きようとする能動性がある。
それが周囲の人から認められたと知ったときに、
その子どもは自分の活動の充実にとどまらず、
社会に対して眼を向けはじめる。
適応させる社会性ではなく、
子ども自身の内から生まれる社会性である。

遠い未来の不安のために、
いま子どもにとって必要なことを
おろそかにしてはならない。

たった2章読んだだけなのに、
どの言葉にも胸を打たれる。

今はたくさんの情報があり、
育てにくいお子さんを育てていても、
情報を大袈裟ではなく、
世界中からかき集めることができる。

情報は取りに行くのが当然、と
言われる世の中だ。

そして、
子育てであったり、
ふとした日常の心のさざなみも
情報の海の中に流してしまえる。

私が何かの情報を見ているときに、
見知らぬ人ではあるのだけれど、
子育ての嬉しさや喜びと共に、
苦しさや辛さが流れてくることがある。

ああ、
その情報が流される近くで、
しんどい親子の人たちに、
あれやらこれやら、やってみては…、と
思うものの、
子どもの生まれ持ったものや
生活の背景がわからないので、
何か言う術を私は持たない。

でも、
あれをやってみたら、の「あれ」や
これをやってみたら、の「これ」の
すごい技術、術があっても、
お子さんをしっかり見て、
愛おしいと思い、
その子の生きる道を豊かにと思う
眼差しに勝てるものはないと思います。

どんなに身体をみることに長けていても、
その技が受け手に伝わらない。
役に立たないことがある。

身体を見ることや技と同等に、
場合によってはそれ以上に大事なことがある。

そんなことを考えさせられた、
一冊になりそうです。




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食べるために。

2022-03-23 23:11:00 | 本の紹介
桜がちらほら咲きはじめたと思ったら、寒いなぁと思う日が続いています。

花冷えですねぇ。

義母が入院していた約4ヶ月。

途中手術を挟みながら、ほぼ、口から食べることがなくなっていた義母。

それは、退院して自宅に戻るための一番のハードルになりました。

そこで、偶然知り合えた、鹿児島で高齢の方の暮らしを守る施設を運営している方に相談しました。

すると、「大丈夫!自宅でここまでなれる!」と動画と共に、本を紹介してくださいました。

動画は、入院中の義母のように呼びかけにも反応が薄い方が、施設での飴を使ったリハビリで、自分で自力でバナナを食べるほど回復されている、心強いものでした。

そして、紹介していただいた本はこちら。


この本で、一番嗚呼!と思ったのは「入院しても、入れ歯は外すな!」という提言。

部分入れ歯の誤飲を恐れてではなく、総入れ歯だとしても、「なんとなく危険そう」と雰囲気で外される現実があるようです。

実際、義母も入所していた施設で、新型コロナで会えなくなっている間に、知らないうちに入れ歯を外された状態になっていました。

入院しても施設に入っても入れ歯死守!

刻み食だ、とろみ食だを先延ばしにし、普通の食事を自分の口の機能を使って食べるためには、これを知っておくことは大切です。

ほんの少しですが、子どもの姿勢と落ち着いて食べることについても書いてあります。

飲み込む力は高齢者よりあるのに、高齢者同様になっているお子さんがいる。

そこにはイスの高さや机の高さが合わないこと、座り方などが影響することに触れられています。

死ぬまで噛んで食べるためのことが書いてありますが、食の細いお子さんたちへも応用できる知見があるのではないかと思います。

これからの自分のために、在宅で高齢になった親御さんをみることや入院、施設での生活でも自力で食べられるように、この本の一読をお勧めします!




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介護もビジネス!

2021-05-09 11:06:00 | 本の紹介
私は支援という言葉も嫌いだけど、介護という言葉も嫌いです。

それはどちらの言葉も一方だけが、何かをする、もっと言えば「してあげる」的な意味を感じさせて、なんだか偉そうだからです。

それはともかく、自分がピンときた本を選んで読んでいます。

「脱介護」、高齢者の生活、暮らしをどうしていくか、という方向性を考える材料を求めて本を選んでいます。

そんな中読んだこの本。

発達障害の本だっけ?と思う事しばしば。

介護保険制度ができてから、家族の中で行っていた「介護」が「ビジネス」になった。

子育てが療育になった発達障害界隈と似ていませんか?

この本が出た2014年の頃ならば、要介護5ならば月に35万円程度の介護保険料が国から税金で施設に支給されるそうだ。

一部屋に5人入れておけば175万円、10人いれば350万円で、著者が「そんなボロい商売、他にあるんかな?」と言っている。

そして手のかかる高齢者は大抵、「お薬」でボーっとしているようで、歩いて特養に入所した方が数週間で家族の顔もわからなくなり、車椅子となることも珍しくないそうだ。

読みながら、ああ、だから義母も車椅子なのかな、と合点がいった。

義父と喧嘩しながら、顔も合わせたくない、とデイサービスに行っていたときは、よちよちながら杖を使って歩いていたのに、特養に入ってからは車椅子。

リハビリしないと!と見舞いに行っていた叔父は言ってた。

でも、そもそも施設の方は、積極的に歩いて欲しいなんて思っているかどうか、なのかもしれない。

日本の福祉というのは、福祉事業所にその福祉を利用する人たちが金づるとなって「祉い(さいわい)」をもたらしてくれるという、なんとも皮肉なものになっているのだなぁ、と本を読みながら暗澹とした気持ちと共に腹が立つ事でした。

人をお金にしか見えないような医療や福祉には退場願いたいものですね。
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