日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

京都で算数。

2015-07-31 18:10:27 | 発達応援
 京都の夏も暑かろうと覚悟していったが、鹿児島よりは熱風がなく過ごしやすくて助かりました。

 うろうろと明日の早朝4:30の関空行きバスが出るバス停を下見。
京都駅、分かりにくい。早朝に駅の中通り抜けできんだろうなぁ、と一般道路ルートもうろうろ。
もっと、目立つ正面から出てくれ、空港行きバス!

  安曇野プランの算数をみっちり学びました。
みっちり学んで思ったのは、この算数はワーキングメモリーも鍛えるし、
指先を細かく使う練習にもなるし、空間認知を獲得する教材にもなるし、変幻自在な算数だということです。

 そして、量としての数を子どもの体に染み込ませるための豊富な仕掛けにも、ほぉーっと感心仕切りでした。

 安曇野プランの算数で、算数のしなやかさ、柔軟性に私は初めて気がつきました。
これは、教えてくださる響さんの豊かさや柔軟さとリンクしているのも大きい気がします。

 それにしても、安曇野プランの算数をしている時、
自分でも笑ってしまうほど、1桁の繰り上がりのある足し算で、
びっくりするほど一瞬、アタマが止まる瞬間があります。
この一瞬はなぜ起こったか、と自ら振り返ると、
それが子どももつまずく所だったりするので、テヘッっという感じです。

 安曇野プランは、記憶の中の算数が苦手だった小さいマユコちゃんに
ほらほら、大丈夫よ、と声をかけながら教えていく…、そんな感じで学んでいる感じです。

 ま、現実のマユコおばさんも、怪しくはあるんですがね、算数( ̄▽ ̄)
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安曇野プランでやり直し算数。

2015-07-30 22:05:52 | 発達応援
 夏らしく、熱風を感じる日々です。
信号待ちで立っていると、アスファルトからのもわっとした空気に、
魚の開きになったような気持ちになります。

 そんな中炎天下の風もないような日に、
帽子もかぶらず行き交う高校生や中学生。
若いなーーー。

 明日は、安曇野プランの算数を教えるためのセミナーに行ってきます。

 私は算数や数学というのは、計算して1つだけの正しい答えを出す教科と思い、
その1つに辿り着けずに、つまらなかったり、難しかったり、
教科として、嫌いではないのだけど、苦労しました。

 でも、安曇野プランのテキストを読んでいると、
算数や数学というのは、生活を便利にするための抽象化された概念という一面があるのだなぁ、と
いうことに気がつくことができました。

 何かが、何個かいるときに、
石を置いたり、名前を付けて覚えたりすることもできますが、
数字でインプットすると、その後の作業がはかどります。

 数字を扱うことが苦手な子どもの中には、
2つや3つくらいの物は把握できても、
それ以上になると、むずかし子もいたりします。

 私自身の思い出としては、子どもの頃、おそらく、小学校低学年~中学年の頃、
はかりのメモリを読むことが、とても苦手でした。

 1つのメモリが10gという単位というのが、想像できず、
メモリを見ては、1cmと混同する感じでした。

 そんな混同をしていると、その頃、まだ道で見かけていた、
魚や野菜を天秤で計って売っているものなど、
重さが手のひらに伝わる感じで、とてもわかりやすく感じていました。

 この、手のひらに感じることができる感覚に近いものが、
安曇野プランの算数の気がします。

 数字には、量を表すことができる。
ぐちゃっと無造作に置いてあるものも、数字を使って数えられる。

 安曇野プランは、算数が苦手だった私の学び直しの意味があるのだなぁ~、と
思うことしばしばです。

 
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冷蔵施設のドアマン。

2015-07-29 21:20:18 | 発達応援
 イヌマキ、でしょうか。
ヒトツバ、でしょうか。

 薄い緑色の柔そうな若葉がしゅんしゅん育っていて、
もともとの濃い緑色とのグラデーションがとてもきれいです。

 そして、さるすべりやかんなの花を見ると、ああ、夏だなぁーーー!と実感が沸きます。

 誰にでも、大小、色々な種類のこだわりはあるものです。
そして、そのこだわりは目に見えるものである場合もあるし、見えない場合もあります。

 こだわること自体は、悪いことではないと思います。
しかし、時と場合によっては、そのこだわりがとても場の空気を悪くすることがあります。

 私の勤める、早朝の荷物を積み込む作業では、
冷蔵施設から冷蔵品をトラックの並ぶプラットホームまで運ぶ作業があります。

 以前にも書いたことがありますが、
180cm近くの高さにまで荷物の入った発泡スチロールが、ラッシングベルトで巻いてあり、
それを約200mくらい引っぱっていく作業です。

 このとき、冷蔵施設で働く男性が、どうしてもドアの開閉にこだわり、
作業が滞ってしまうということが、ここ2,3日続いています。

 私たちは30数個のそういう荷物を6人で運ぶので、
一人当たり、およそ2往復か3往復、冷蔵施設とトラックのプラットホームの間を行き来します。

 冷蔵施設を出ると、緩やかではありますが傾斜がついているので、
荷物から手を離すことは難しいことです。

 また、他の青果を運ぶ方もその時間は行き来しているので、
冷蔵施設付近で止まることやドアを閉めるため手を離して荷物が流れてしまうことは、
小さくはあっても事故の元になります。

 そして、スーパーの自動ドアなどと異なり、
冷蔵施設の手動式の自動ドアは、短時間で頻繁に開け閉めすると故障するらしく、
私たちは閉めずに作業をしています。

 荷物は重いので後ろ向きで引っぱっているのですが、
ドアが開いているつもりで、ドアにそのままぶつかり、
その後ろの荷物を運んでいる人もぶつかり、荷物と荷物の間に挟まれてしまいました。

 開けたドアは閉める、その任務を遂行するために、
冷蔵施設で働く男性は、自分の作業を中断して閉めにいきます。

 閉めないで欲しいと言っても、イライラとした様子。
やはり、ドアを閉めてしまいます。

 他の職員の方は、そういうことがないので、
その男性特有のこだわりのように見えます。

 不思議なことに、早朝の時間、冷蔵施設も荷物積込み作業の私たちのほうも、
雇用している責任者は出勤していない状態です。

 事故やトラブルになる前に、
どうにならないものかなぁ、と出勤してきた私たちのほうの責任者に言っても、
ラチがあきませんでした。

 周りの状況がつかめないままの、個人の強いこだわりは
たとえ、それが入社当初習ったことを正しく行っているだけだとしても、
その融通の利かなさからときとして、周りのものは、大変な迷惑を被ります。

 どうにか、私たちの仕事のやり方を変えて、
短時間で連続して、冷蔵施設から荷物を外に出せないか、も
考える必要があるでしょう。

 このような、こだわりでトラブルの芽を育てる人を見ると、
自分が関わったことのある、こだわりの強い子どもたちのことを思わずにはいられません。

 こだわるけれど、場によっては引くことができる力や
こだわるけれども、他の人の意見を聞くことができる力、
なぜ、こだわるのか説明する力、
そういう力を養うことはできたかなぁ、と思わずにはいられません。

 ガムテープを切ったり、段ボールを分解する仕事をしながら、
冷蔵施設に入る私たち、ドアに向かう私たちを手は留守になりながら、
じっと見ている、30代かと思われる、その男性を見ていると、
引っぱっている荷物を放り出して、どうしてドアを開けておくのか、ということの
説明や媒介をしたほうがいいんじゃないか、と日々思うのでありました

 

 



 


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足りないのか、余っているのか!?

2015-07-28 22:23:17 | 発達応援
 朝が早い私。
午前3時50分くらいに目覚ましを鳴らし、一度部屋の電気をつけて、
しばらく、ストレッチをしたりしながら、4時過ぎに起きます。

 そんなある朝、目覚まし→電気をつけると梅ちゃんがるるーんと寛いでいました。

 

 このかわいい猫の開きのような後ろ足に、朝っぱらから萌え萌えで、
写真をとるべくよろよろしながら、iPhoneを取りにいきました。

 こういう朝は、むふっ、とひとりにんまりして、機嫌良く過ごせて良いです。

 安曇野プランによる算数教室を昨日からしています。

 安曇野プランでは、まず、色々なパターンの1対1対応をして、
その後、量対量対応をしていきます。

 昨日と今日は、1対1対応について色々とやっていきました。

 そんな中、今日の1対1対応では、
「足りない」という現象と「余る」という現象が起きるパターンをやりました。


 
 これは、上の写真のように、
おにぎりを猫に左端からしっかり配ることができると確認し、
応用問題としてやる問題でした。

 並んだ猫が4匹、おにぎりが3つしかない場合、
こちらとしては、「おにぎりが、1個足りないよ。」という答えが頭の中にセットしてありました。

 ところが、子どもは「猫が1匹あまったよ。」と猫が余った状態と認識していました。

 おにぎりをもらえなかった猫が「私のおにぎりはどこー!?」と大騒ぎをして、
子どもに余ったのは猫ではなく、おにぎりが足りない状況だということをわかってもらいました。

 逆の状況、猫が4匹、おにぎりが5つの場合は、
さっと1つずつおにぎりを配ると、少しの間、
「あれ、余っちゃった」という感じで、全体を見るもののすぐに
「余ったよ」とおにぎりをこちらに差し出します。

 この対応は、面白いなぁと思いました。

 おそらく、自分が配る役でも、
自分の手元にものがない状況を打破する術が、まだ子どもの中になかったのでしょう。
そこで、目に見える、「何も持っていない猫がいる」ということで、
「余ってるよ」と猫を私に差し出したのでしょう。

 それとは異なり、配るおにぎりが手元に残る「余る」という状況は、
視覚的にもわかりやすいのでしょ。

 何度か「足りない」バージョンの問題をやっていると、
「おにぎりが足りないよ」といってくれるようになりました。

 誰でもそうですが、目に見える状況のほうがわかりやすいですね。

 おにぎりが足りないのか、猫が余っているのか。
フォイヤーシュタインでの空間を把握する力とも繋がりそうだなぁ、と思うことでした。

 

 
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すかいぷ。

2015-07-27 15:50:12 | 日記
 今日から、早朝の仕事は新しい形になる・・・、はずだった。
が、おかしいな、ドライバーに伝わってないのかな?
いつもと同じ、早く来るドライバーさん、荷物を広げるドライバーさん、
これでは、積込み部隊は思うようには動けません。

 指令を出す方は、脳内会議でも開いたのか、
ドライバーは「え!?聞いてないよ!」という反応。

 ごたごたが続きそうな今週。
やじゃなぁ~。

 今日は、関東でフォイヤーシュタインを教えている方々と
フォイヤーシュタインのワークショップを開く先生とSkypeで勉強会でした。

 Skypeって、何か、よくわからないままフォイヤーシュタインの仲間と勉強するために導入し、
今回初、勉強会参加でした。

 大事なことなのに忘れていたこともあり、
自分だけでは気がつけない視点もあり、
ほぉ!、ほぉ!、ほぉ!、と頷くこと満載でした。

 普通に教室でワークショップを受けるようにノート取ったりできるのですね。
なんだか、じっとパソコンの前で固まっておかなくては行けないイメージだったので、
その自由度にびっくりでした。

 ひとりで考えるのは、大事なことだけれど、時々、いや、頻繁にドン詰まってしまいます。
新しい視点や忘れていたフォイヤーシュタインでの大事な物の見方を振り返る
とてもよい機会になりました。

 次に向けて、違う視点で取組んでみようと思います。
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