このような所でのんびりしたいと思います。
朝から雨がしとしとと降っています。天気予報では、奈良県南部に雷注意報が出ています。雷恐怖症の私はこの庭で過ごした記事を書くのを今夜はやめにしました。
3日くらい前の真夜中、物凄い雷がドン!ドン!と2度鳴って飛び起きたのを思い出して、怖い思いをしました。もうPCは今夜はやめにしておきます。
このような所でのんびりしたいと思います。
朝から雨がしとしとと降っています。天気予報では、奈良県南部に雷注意報が出ています。雷恐怖症の私はこの庭で過ごした記事を書くのを今夜はやめにしました。
3日くらい前の真夜中、物凄い雷がドン!ドン!と2度鳴って飛び起きたのを思い出して、怖い思いをしました。もうPCは今夜はやめにしておきます。
現在の五條高校は、旧制中学と旧制女学校と高校の卒業生で構成されています。創立してから118年の歴史を持ちます。毎年5月の第4日曜日が、上記の卒業生の総会の日に設定されています。
旧制の中学や女学校の卒業生は80歳を超え年々参加される方が少なくなってきますが、参加された方は、どなたもとてもお元気で、実年齢よりも若く見え、今年もお会いできたという幸せ気分のおすそ分けをしてもらって、その方々のパワーを頂くことのできる会でもあります。
総会では役員の年齢層もだんだん若返ってきて、金陽会発展のリレーのバトンタッチが見られ頼もしい近年です。
さて、今日の記事は総会を順を追って書いていくつもりはありません。
この日心に深く残った言葉など挨拶や、アトラクションの中から私の宝物としたい言葉を、記録にとどめたいと思います。それらは感動したことであり、総会に参加した甲斐のある事柄であるともいえましょう。
今年引退された金陽会の会長さんは、交通の便の悪いこの地に通学できる生徒が少しでもそれを解消できるように、県立高校では当時全国で、2校目の通学バスの導入に、多くの困難を排しながら実行され、今ではこのバス利用で最寄の駅からの通学生徒の便をよくしています。そのほか、いつも学生の立場に立った環境造りの提案をされ実行への道を開いてくださいました。
学校長のご挨拶では、「目標に向かってその気になれ」と学びのなかで、生徒たちへの励ましの言葉でもあり実践への心構えの姿勢を貫いていらっしゃることを頼もしく拝聴しました。
また教育長先生のご挨拶の中に、「山あるがゆえに尊からず、木があるがゆえに尊しとなす」 その木を育てること、育っていく木になる、いずれの立場であっても琴線に触れる言葉でした。
記念アトラクションでは「二人寄席」(落語2席)がありました。
笑福亭竹林さん(右)と桂雀太さん(左)でお二人とも五條市に関係のある方でした。落語の好きな私は時には涙が出るほど笑ったり、楽しんで落語の世界に入り切っていました。
「落語は想像力を働かせながら聴くほど楽しさの増す話芸です」竹林さんが最初に言われたこの言葉は誠です。今までそんなことも考えず、ただ面白くて楽しい落語好き人間だったのですが、「想像力を働かせて聞く」ほど、一人語りが何人もの人物登場になったり、扇子やタオルが身の回りのあらゆる道具になっていくことの面白さのあることが、納得いきます。これからラジオで落語を聴くとき、竹林さんの言葉を思い出して、認知症予防の脳の活性化を図ることにしましょう。
年1回の総会ですが、会の一部始終を書くのでなく、私の印象や感動を書くにとどめました。
10年余り会の世話係りの端っこを担わせてもらっていましたが、今日でそれを辞させてもらいました。
その日に心に残るいくつかの言葉を頂き、昭和29年卒業の、いい仲間と語り食事のできたことがとてもいい日となりました。
いつ来ても情緒豊かな倉敷の町です。倉敷川の両岸の柳の新芽が鮮やかに川面に影を落としています。まずは食欲を満たしてから町歩きは、個々自由にとのことで、集合時間と場所を決めてから行動開始です。
お酒を飲んだわけではないのですが、お食事処の隣が酒屋さんでしたので、暖簾や大きな看板の酒壺、虫小窓と白壁小屋根付きの看板が面白いので、カメラに。
舟からの街並みも、いいものでしょう。旅人は舟で川下り観光をしています。
今回の倉敷の印象は、季節がらでしょうか建物を覆う蔦の色が目の沁みるような新緑であったことです。
前日は灰色の景色の中だったので、ことさらこの蔦の壁が輝いて見えました。
倉敷アイビースクエアーの煉瓦造りの建築物と、蔦の緑の取り合わせの美しさに、目を輝かせながらの散策でした。
何よりも時間をとってゆっくり鑑賞したのは大原美術館の絵画でした。もちろんカメラは使えませんが、その分余計に好きな絵画を鑑賞しました。
美術館を出てから、なまこ壁の美しい裏通りを散策して再び倉敷川沿いに出ました。
ゆったりと白鳥の泳ぐのを、しばらく見つめていましたが、集合時刻が迫っていることに気が付いて、大急ぎでパスの駐車場に向かいました。
2日間の旅の記録は途中でほかの記事も入ったりして1週間にもなってしまいました。最近はあまり遠くへ出ることもなかっただけに、このようなバス旅行に同行させてもらえたことを、とても感謝しています。
これが晴れていたら、どんなに青い景色に包まれることでしょう。でもモノクロの画像でも姿の良い瀬戸大橋を、とにかく見ることができたのを感謝の日とすることにしましょう。
絵画の人たちは、ここであちこち自分の好むところで、スケッチを始めましたので、私は瀬戸大橋を望遠で引き寄せて、眺めたり、瀬戸内を行き来するたくさんの船をカメラで追っかけて楽しみました。ちょうど雨も上がってきたので、結構海に遊んでもらったと言えましょう。
スケッチに余念のない絵画部の人。
橋の上部は車道でいろんな車がしきりに行き来しています。
海を渡って電車の音が聞こえてきました。「どうかうまくカメラに入ってくれますように」そう願いながら下部の鉄道部分にカメラを構えました。
右の方から橋に電車が入ってきました。「それっ!」慌ててシャッターを押しました。
とにかく耳を澄ませて電車の音が聞こえるとカメラをその方に向けてシャッターを押しました。ちょうど橋の真ん中に電車を捉えました。
こうしていますと案外電車の本数も多いようです。
予定表を見ますと、「瀬戸内海全望」と書いてありましたが、私は瀬戸大橋と電車追っかけの時間だったように思いますが、とにかく面白くて楽しくて、まるで子供のようなときめきの時間を過ごしました。
6564
2日目の朝、出発の時は雨は降っていなっかったのですが、屋島ドライブウエーの途中から小雨となってしまいました。
このたびの旅行で唯一八十八所のお寺にお参りしたのが、この八十四番屋島寺でした。退職後すぐお四国お遍路をお寺のバスで一年半かけてお参りしてから二十年余り経っています。御朱印帳とおいづる、金剛杖お軸にはその足跡が残されていますが、記憶はとぎれとぎれです。この石段を上った日があったのかと感慨は無量です。
旅行の計画書には、瀬戸内海眺望(写真・スケッチ)と書いてくれてあったのですが、雨のスクリーンの彼方は・・・
この通り、かすかに煙るばかりです。
「晴れとったら、これ・このとおり。これを写しといたら~~~。」誰かが言った冗談を、本気にしてカメラに残しておきました。
お寺の周りを散策していますとこんな立札がありました。この広い山頂はお城の跡だったのです。
源平合戦の舞台となった古戦場の宝庫!歴史ロマンあふれる屋島へと昨夜貰ったパンフレットにあったのを思い出しましたが、何しろ眼下は雨雲の中でした。
屋島の後、瀬戸大橋を渡って四国を後にしました。もうこの頃には雨が止んでいました。きっと山の中だったので雨雲に包まれていたのでしょう。