超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

俳句歳時記で作句する

2021-08-08 07:48:43 | 自作俳句
角川俳句歳時記第四版をめくって夏の季語をよむ。

夢で逢う笑窪も消えて夏の露
遠き日にかざした指と二重虹
裏山に夢投げに行く炎天下
焼きついた記憶も遠い夏の雨
自転車で知らない町の南風
北国で止まらぬ汗の積乱雲
若き日のあの人が居る夏霞み
幕引けば地獄の眺め花畑
霊界の集合写真 滝しぶき
永遠に返信がない夏見舞い
懐に家出のすすめ夏期講座
信号で夏服通る風涼し
連休は古書に親しむ夏暖簾
夏服の笑顔が光る登校日
目に浮かぶ幼なじみの走馬灯

目に浮かぶ幼なじみの走馬灯忘れな草の誓い虚しく



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最近取り寄せた本の説明

2021-08-06 05:43:34 | 無題
毎日、書類仕事が続く。
早くまとまった休みを取って、
好きな本のメモ書きや哲学書の読書がしたい。
最近読んだのが、シュヴェングラーの西洋哲学史(上・下)。
とくに下巻が面白く、デカルト、スピノザ、カント、フィヒテ
がよかった。西洋で哲学がどう教えられているかがわかる。
清水書院のスピノザも読んだ。なかなか要を得ない本。
だが、悪の位置づけや自存力の役わりに他の本より
一歩、踏み込んでいる。
今読みたくて本棚に積んであるのが、寄川条路著ヘーゲル、人と思想
(晃洋書房)。ヘーゲルの全著作の要約が載っているのだ。
それだけでも十分読む価値がある。(→読んだが、これだけわからない本も珍しい。)
その他3世紀のキリスト教父オリゲネスの「イザヤ書説教」も来た。
清水書院のオリゲネス、ルター、カルヴァンも読みたい。
またトマス・アクィナス論を中心とする「中世の覚醒」ちくま文庫
も届いた。好きな本のメモ書きのほか、こうした本で
今後充実しそうな予感である。
それにしても書類仕事、延々と終わらないなぁ・・・

連日の書類の山を乗り越えて書林のなかでまた憩いたい
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ドイツ観念論早わかり

2021-08-02 21:20:12 | 無題
シュヴェングラーの西洋哲学史を読む。
フィヒテの哲学の根本規定はA=Aの原理。
A=Aを成り立たせているのは、前のAと
後ろのAとのあいだに変わらない自我があるという事実。
哲学の根本規定に変わらない自我を立てる。
これが第一の要点。
次に非AはAではないという規定も挙がる。
これは自我に対して、非我を立てるということ。
自我は、非我の抵抗に対して、自分を貫いて
より多くの自由を得てゆく。これが事行。
またシェリングは人間と自然は完全に
分かれているのではなく、ともに絶対者を
分け持っているという点で統一されていると説く。
そして、ヘーゲルの大論理学の結論は、精神の哲学。
人は自然から独立して精神となり、自分を外化して
社会を形作る。世界史では、家族から市民社会へ
自由を拡大し、自由と法の掛け合わせで国家は人倫を
作る。
芸術から宗教へ、宗教から哲学へ精神は至り、
精神は神の知と自己の無差別を自覚する絶対知へ至る。

困難を越えて自己実現の扉を開ける学問の系譜
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最近買った本一覧

2021-08-02 05:05:06 | 無題
昨日は、朝、福住グリーン公園を往復する。
酷暑でも朝夕は涼しい。
郵便受けに、オリゲネス「イザヤ書説教」、
清水書院の「アウグスティヌス」、
晃洋書房の寄川条路著「ヘーゲル―人と思想」
来る。
イザヤ書はイエスの人生が神の御心であることの
典拠となっている。初期キリスト教の教義を固める
要石となっている。
そこで3世紀の教父オリゲネスの説教を取り寄せた。
アウグスティヌスは、「告白」と「神の国」が有名だが、
あらすじ哲学に、プラトンのイデア界と現象界の対立を
キリスト教に当てはめて、天の国と地上の国を論じ、
教会が天の国の代理として地上の国で権威を持っている
という説を考案したと書いてあって、それは通説として
成り立っているのかを知るのに入手した。
寄川条路著「ヘーゲル―人と思想」は、
期待通り、著作の要約がずらりと載っている本だった。
今後に生かしたい。

天国と地上の国の関係をよく知ることで生き易くなる?
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カント哲学総ざらい

2021-08-01 06:13:58 | 無題
わんさか買った本のうち、シュヴェーグラーの西洋哲学史をデカルトから
カントまで読む。
何と言うかカントに入るまでは、学説に思い入れがない。
著者の専門が、ドイツ観念論なのだ。
西洋で哲学がどう教えられているのかは、よく分かる。

さてカントの話。
理論理性=純粋理性のうち、感性と悟性で人はものをそれと分かる。
感性が生まれつき持つ受け皿は時間と空間である。
悟性は分類の枠組みを作っている。
こうした生まれつきの受け皿をとおして物をそれと知るため、
対象とは私の心に現れてくるもので、物自体ではない。
認識の受け皿が対象に先立つ。これがコペルニクス的転回。
理論理性は対象を論理学と経験できるものに限るので、
神の有無、心の自由、魂の不死の議論はそこでは不毛である。
でも、実践理性は道徳律に従うことを求め、
道徳律を守るために、神や自由や魂を要請してやまない。
人は創造主を要請し、最高善の実現を願う。
さらに人の判断力は自然の合目的性を推論し、美や崇高なるものを自然の中に見る。
一応、うまく理詰めで書いてあり、頭の整理がついた。

感性と悟性でものをそれと知り神の話は実践が扱う

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