超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

カント哲学総ざらい

2021-08-01 06:13:58 | 無題
わんさか買った本のうち、シュヴェーグラーの西洋哲学史をデカルトから
カントまで読む。
何と言うかカントに入るまでは、学説に思い入れがない。
著者の専門が、ドイツ観念論なのだ。
西洋で哲学がどう教えられているのかは、よく分かる。

さてカントの話。
理論理性=純粋理性のうち、感性と悟性で人はものをそれと分かる。
感性が生まれつき持つ受け皿は時間と空間である。
悟性は分類の枠組みを作っている。
こうした生まれつきの受け皿をとおして物をそれと知るため、
対象とは私の心に現れてくるもので、物自体ではない。
認識の受け皿が対象に先立つ。これがコペルニクス的転回。
理論理性は対象を論理学と経験できるものに限るので、
神の有無、心の自由、魂の不死の議論はそこでは不毛である。
でも、実践理性は道徳律に従うことを求め、
道徳律を守るために、神や自由や魂を要請してやまない。
人は創造主を要請し、最高善の実現を願う。
さらに人の判断力は自然の合目的性を推論し、美や崇高なるものを自然の中に見る。
一応、うまく理詰めで書いてあり、頭の整理がついた。

感性と悟性でものをそれと知り神の話は実践が扱う

コメント
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