超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">原色の裸婦像、表現主義を読む</span>

2012-09-10 18:41:48 | 無題

ワイマール文化について書いた本を読む。
ワイマール文化の精鋭はワールブルク研究所の雑多で横断的な書庫から生まれた。
カッシラーの「シンボル形式の哲学」などがその好例だ。
ワールブルク研究所、バウハウス、表現主義などワイマール文化は私塾的な集まりから生まれた。
そこで平井正の「表現主義・ダダを読む」を開く。
表現主義やダダイズムのエポックメイキングな文章を抜粋して、原語と訳文と詳しい解説が載っている。
このシリーズではすでに塚原史の「シュルレアリスムを読む」を読了しているので、長所はよく知っている。
原語が読めると訳文と照らして二倍楽しめるのだが、原語が読めなくても訳文と解説を読めば、前衛文化の勘所がつかめるのだ。
「表現主義・ダダを読む」は表現主義の誕生期から話が始まる。ブリュッケという表現主義の集団ができて、都会の自己疎外を感情的に表出する表現主義が生まれる。
彼らは都会での孤独や親子の断絶、自由な色遣いの裸婦像などから出発する。
表現主義者たちはのちにニューギニアやパラオの原住民に表現の理想を求めて南洋へ乗り出す。
ここには表現主義と植民地支配の微妙な関係も窺える。
表現主義者の絵はナチスの開いた頽廃芸術展で無残に晒され、芸術活動の禁止を宣告される。
自由な原色の色遣い、デフォルメされた力強いデザイン感覚、絶叫調の感情表出といった点が特徴として挙げられる。
ワイマール文化を葬り去ったのはナチスドイツだが、その大衆煽情的な部分を換骨奪胎して取り入れたのがナチスドイツのプロパガンダだったのは歴史の逆説である。
映画カリガリ博士の台本が元々は善悪入り混じった夢幻劇であったのを、途中で狂気を断罪する話に改作してしまったのは惜しまれるところだが、映画の表現主義的舞台装置は特筆ものだ。
私の絵は意図せざる結果表現主義的な画風になってしまうことが多々あった。
父に天然の表現主義と言われたことが今では懐かしい。
原色で塗り分けた顔描き上げて表現主義と呼ばれた遠い日



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