超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">レノンと達磨の掛け軸</span>

2010-12-12 14:07:01 | 無題

ジョン・レノンの命日の深夜、テレビで映画「イマジン」を放映していたらしく、友人が映画「イマジン」に白隠禅師の達磨図らしき掛け軸が映っていたとメールをくれた。私は宝島社で出た追悼本に載っていた記事で確認し、羽黒洞という骨董店で買い求めたらしいと返事を打った。すると「ジョン・レノンと日本のこころ」というサイトに羽黒洞のことやオノ・ヨーコが鈴木大拙の講義に出席してそこでジョン・ケージと出会ったりして、ジョン・レノンに影響を与えていた旨が書いてあることを教えてくれた。オノ・ヨーコが鈴木大拙の講義を受けていたとは知らなかった。ジョンはオノ・ヨーコに「白隠のどこがいいの?」ときいて、ヨーコは「西洋の画家は絵を完成しようとして何度も線をなぞるでしょう。白隠は一度書いたらそのままで良しとするの、」と答えたという。ジョンはその話が気に入って、その後パパッと絵を書くようになり絵がすっきりした、という逸話がそのサイトに載っていて、オノ・ヨーコの凄さが伝わってくる。
オノ・ヨーコは背景に禅を含む東洋の教養を背負い、しかもマルセル・デュシャンの流れを汲む前衛の旗手として活躍していた。アート・スクールに通ったことはあったが、アート・スクールではヴァン・ゴッホまでしか教えて貰えなかったジョンは、自分の知らない東洋や禅画や俳句や前衛芸術をよく心得ているオノ・ヨーコの凄さに打たれ、恋に落ちた。
オノ・ヨーコとの恋愛は単なる再婚ではなく、価値観を丸ごと引っ繰り返される革命的な出会いだった。
後年、ジョンは言っている。私にとって最高の詩は俳句であり、最高の絵は禅画である。
ジョン・レノンにとって、東洋と禅とは装飾を取り払い、裸の眼で見て、裸の自分を表現することだった。オノ・ヨーコと出会って作風がどんどんシンプルになり、表現が裸になって行った。その代表例がアルバム「ジョンの魂」であり「イマジン」である。また晩年の「ダブルファンタジー」や「ミルク&ハニー」には飾らぬジョンの禅画のように洒脱な軽みがあり、日本文化を消化したジョンの到達点が窺える。
イマジンも日本の批評家は色々揶揄するが、臨済録の一ページのような世界をジョンとヨーコふうに表現した歌なのである。
ジョン・レノンの心の軌跡を綴る日記風な表現、俳句と禅画と前衛を心得たヨーコとの出会いによる裸の自分の探究、そういった要素が結晶してジョン・レノンの独自な世界がかたちを成し、難解なオノ・ヨーコよりビートル的な親しみやすさも加えた魅力的な作品群が残ったのである。
奥底の心の叫び呼び覚ます出会いが生んだ地声での歌



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