超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">白隠展、自在境の変奏曲</span>

2013-01-23 22:30:07 | 無題

渋谷文化村で現在開催中の白隠展―禅画に込められたメッセージ、を観に行く。
白隠禅画の代名詞、達磨図が数多くある。
ぎょろりとした目、ひげ面 丸い額。
隻履達磨という絵も何点か有り、死んだはずの達磨が片草鞋で、これから天竺に帰る所だと言う。見ると体は半分透けている、という絵だ。
白隠は禅の始祖とも言われる達磨の鋭い眼光を好んで描いた。
頭頂を沿って癖毛の人間臭い釈迦の絵も何点か有る。
女性の母性に慈悲を感じさせる細い線の観音像も数多く描いている。多くは斜めを向き、伏し目がちだ。
地獄極楽変相図は地獄の眺めと極楽の眺めを熱心に書き記している。
極楽は簡素化され、重点は地獄の眺めに置かれている。
地獄の責め苦のあれこれを事細かに描写している。
地獄に落ちるのが怖い。それが出家のきっかけとなった白隠である。
地獄に対する思い入れが強いのであろう。
さてここはひとつこまかく地獄のようすを書き込むとするか、と言わんばかりに楽しんで描いているのがよくわかる。
地獄と言えば、南無地獄大菩薩という書が残っている。
人を出家に向かわせるきっかけとなるのだから、地獄もありがたい菩薩様だと白隠は言うのである。

七福神の布袋や大黒も好んで描いている。
布袋解開という絵ではにこにこしたご機嫌な顔の漫画のような布袋様が袋の中身を開いて見せる。どんなお宝が詰まっているのかと思えば袋から出てきたのは寿の一文字。何とも楽しい絵である。
にこにこ笑って托鉢して走る、すたすた坊主というかわいい坊さんの絵も好んで描いている。
富士大名行列や一富士二鷹三茄子など縁起のいい絵もたくさん描いている。
かと思えば地獄の鬼が手に持つ鉄棒を描いて、これを怖がるものは極楽に行くと書き添えている。

白隠の書も太字で堂々としてぶれがなく良い字で、大弁財尊天とか北野天満宮とか金毘羅山大権現など、
諸国のご神体の名前を嬉々として書いている。南無不思議光如来、死の字、無の字、なども書き残している。隻手の声の公案の片手の絵など気に入った。円相の絵も描いている。

白隠の禅画や地獄絵や布袋や大黒などの福神の絵、南無地獄大菩薩や南無不思議光如来や死の字、無の字、暫時不在如同死人(ここに心を集中せねば死人も同じ)などの書は、禅僧の至った自在な境地の百面相であり、悟り百景のお披露目なのであり、すべては円相と同じ自在境の変奏曲なのである。
禅僧が描く心の自在境 変奏曲を奏で続ける



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