福岡髭爺の今日も絶好調!!

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※記載事項について、一切責任を負いません。

加藤司書公並びに勤皇党諸烈士追悼会

2012-10-26 22:01:08 | 郷土史

24.10.25

乙丑の獄、加藤司書らが切腹を命ぜられた日。
菩提寺の節信院にて、追悼会が行われた。
毎年参列させていただいている。

今年は,筑前琵琶の中村旭園さんはご欠席だった。
献笛、吟、講演は、例年通り行われた。

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講演は、毎年力武豊隆先生がご担当。
今年のテーマは『黒田長溥、晩年の心境 明治維新はいつ完結したのか?』。
いつも興味深いお話で、本当に楽しみにしている。

加藤司書公の肖像画、年に一度だけのご対面。

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年に一度だけのご対面といえば、作家の福田康生さんもそうだ。
ここ5年間、毎年10月25日だけお会いする。
司書会の代表の方、お世話をされている方2名も、小職はお顔を覚えてしまっている。
うちお一人と、初めて名刺交換をさせていただいた。
その流れで、毎年一回だけお会いしてきた節信院の住職さんにもご挨拶させていただいた。

ちょうど博多情緒めぐりで節信院を案内している話しの流れからだ。

話しが逸れてきたが、大政奉還のわずか2年前に散った加藤司書公並びに勤皇党諸烈士のご冥福を祈る。


祭り直前 警固神社清掃奉仕

2012-10-26 21:46:37 | 神社



24.10.24

第1回福岡まつり月華祭のため、この直前に臨時で第20回警固神社清掃奉仕を行った。
大人22人、子供6人にご参加いただいた。
小職は朝おきが本当に苦手だが、神社清掃の時はきちっと朝7時30分に遅刻したことはない。
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もう神輿が準備されていた。

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どちらの神輿を担ぐのかわからないが、当日が楽しみだ。


乙丑の獄:月形洗蔵

2012-10-23 23:45:13 | 歴史

24.10.23

幕末福岡藩の勤王党のリーダー、月形洗蔵の命日。
慶応元年(1865)10月23日、いわゆる乙丑の獄、枡木屋獄の浜で、15人が斬首刑に処せられた。

月形洗蔵、海津幸一、高取養巴、伊藤清兵衛、伊丹真一郎、安田喜八郎、江上栄之進、中村哲蔵、佐座謙三郎、森勤作、大神壱岐、今中祐十郎、今中作兵衛、瀬口三兵衛、筑紫衛の15人。

わずか2年後の慶応三年(1867)10月14日は、大政奉還となる。
福岡藩は惜しまれる人材を失った。

薩長連合の礎を築いた中心人物は、月形洗蔵と早川養敬だ。
早川養敬は、同日宅牢を言い渡され、生きて明治維新を迎える。
明治新政府では、福岡藩における極めて稀有な勤王派として出世する。

なお、2日後の25日は、加藤司書、斎藤五六郎、衣斐茂記、建部武彦が切腹を申し渡される。
この日、野村望東尼は姫島へ流罪牢居を言い渡された。

藩論転覆により、あまりにも苛酷な刑となった。

147年前の出来事だが、当時の勤王諸烈士は命がけで国を憂い、理不尽に命を失った。

彼らが今の日本人を見たら、何と思うだろうか。


博多灯明ウオッチング

2012-10-21 20:42:58 | 日記

24.10.20

博多情緒めぐりスタッフとして、午前サポーターとして2時間、午後ガイドとして2時間、解散地点から櫛田神社に戻る時間も考慮すると、5時間くらいは歩いただろう。
しかも、元々足の調子がよくなかっただけに、非常に疲れた。
それでも夜は博多灯明ウオッチング。
年に1回しかないし、ここ数年見物していなかったし、せっかく櫛田神社にいるのである。
このまま残らないわけにはいかない。

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準備中。
この直後、博多情緒めぐりのテントの中にいるとき、「安藤君!」と声をかけられた。
なんと西南学院大学少林寺拳法部の先輩(女性)だ。
小職が1年生のときの3年生の先輩。
卒業後、小職が1年生のときの4年生の先輩とご結婚された。
ご夫婦ともに少林寺拳法の先輩だ。
先輩は、長年博多灯明ウオッチングの設営等をされているとのこと。
博多情緒めぐり関係者も何人か知り合いがいらっしゃるようだ。
写真を撮らせていただいた。
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この後、近くの喫茶店琥珀館で1時間ほどつぶし、家族と合流のため川端通りを地下鉄中洲川端駅方面へ。
この途中、博多献上道中に遭遇した。

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さて、撮影した灯明を紹介したい。

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櫛田神社境内、たくさんの灯明。

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櫛田神社境内、たくさんの灯明は舞妓さん。

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博多町家ふるさと館、竹灯明、最も妖しい光を放っていた。

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東長寺、大仏。

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節信院、昼間はガイドとして訪れた場所に、芸術的な灯明が。

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博多学校校庭、移転のため今年が最後、「ありがとう ごくしょのみなさん」。

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聖福寺の裏通り。

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聖福寺と西光寺の間の道。

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なぜか田原坂で、桐野利秋。
西南戦争を題材にするなら、福岡の変・加藤堅武、武部小四郎あたりを扱うといいのに。
と思って裏側をみると、加藤清正。
さらに、牛若丸、八幡太郎義家、竹千代など、6面とも地元とは関係なかった。

どれくらい歩いたのだろう。
本当にくたくただ。


博多情緒めぐりガイド

2012-10-21 20:05:41 | 日記

24.10.20

博多情緒めぐり、今年の初登板。
午前中サポーター、午後ガイドを担当。

昨年、一昨年と2年間住吉神社、柳橋連合市場のコースを担当したが、今年は博多下町コースを初担当。

博多情緒めぐりスタッフ4年目だが、担当コースが初めてなら新人とほぼ変わらない。

途中までは時間がかかりすぎで、後半は挽回しすぎて少し時間が余った。
アンケート記入時間まで考えて、あと5分くらい時間をかけてよいくらいだった。

午後のガイドでは、サポーターに写真を撮影していただいた。
何枚か紹介する。

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寶照院にて。
早くも12月2日、3日の大黒天福迎祭のポスターが貼られていた。
ぜんざいの振る舞いがあるので、関心のある方はどうぞ。

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天福寺跡・加藤司書歌碑にて。

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圓覺寺にて。
手に持って説明しているファイルは、サポーターの稲田さんのものを拝借。

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加藤司書公墓前にて。
ご参加者も墓前では脱帽いただく。

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節信院にて。

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幻住庵にて。

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西光寺、一朝軒にて。

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西門蒲鉾前にて。

ややマイナーなコースのためか、参加者は少なめのようだ。
午前中はサポーターを努めたが、参加者はわずか3人。
午後は、20日朝の時点で申込者1人・・・
当日午前中、博多区役所の情緒めぐり関係課の職員さんが少ないところをとお申し込み。
さらに博多情緒めぐりスタッフのご家族3人が「空いているところを」と申し込みいただく。
そして出発前ギリギリに男性2人組のお申し込みをいただき、合計7人となった。

一般に加藤司書公が知られていないのは残念だが、ご参加いただくことで少しずつ加藤司書を知る方が増えることは嬉しい。
もうすぐ25日は加藤司書公並びに勤王諸烈士追悼祭だ。
加藤司書をはじめ、乙丑の獄で犠牲となった方を偲ぶ。
もちろん小職も参列予定で、今回が5回目の参列だ。