24.10.23
幕末福岡藩の勤王党のリーダー、月形洗蔵の命日。
慶応元年(1865)10月23日、いわゆる乙丑の獄、枡木屋獄の浜で、15人が斬首刑に処せられた。
月形洗蔵、海津幸一、高取養巴、伊藤清兵衛、伊丹真一郎、安田喜八郎、江上栄之進、中村哲蔵、佐座謙三郎、森勤作、大神壱岐、今中祐十郎、今中作兵衛、瀬口三兵衛、筑紫衛の15人。
わずか2年後の慶応三年(1867)10月14日は、大政奉還となる。
福岡藩は惜しまれる人材を失った。
薩長連合の礎を築いた中心人物は、月形洗蔵と早川養敬だ。
早川養敬は、同日宅牢を言い渡され、生きて明治維新を迎える。
明治新政府では、福岡藩における極めて稀有な勤王派として出世する。
なお、2日後の25日は、加藤司書、斎藤五六郎、衣斐茂記、建部武彦が切腹を申し渡される。
この日、野村望東尼は姫島へ流罪牢居を言い渡された。
藩論転覆により、あまりにも苛酷な刑となった。
147年前の出来事だが、当時の勤王諸烈士は命がけで国を憂い、理不尽に命を失った。
彼らが今の日本人を見たら、何と思うだろうか。
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