アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

昨日の練習

2011年02月24日 | Weblog
昨日の練習はチャイコのみ。
始まる前に何かとっても気合いを感じましたw
何、この緊張感~~~、、、とプレッシャーに弱いもんでちょっと気持ち引いていたのだけど、始まってみると、なるほどみんな練習してきて気合い十分だったんだな~と分かりました。
久々に練習を再開した時の感じとは雲泥の差。
もちろんまだまだ大変なところばっかりなんだけども。

特に、1楽章の木管アンサンブルみたいな箇所、現実から逃避した幸福の幻みたいなイメージの部分、あのへんの木管の方達の音がすごく雰囲気出始めていてイイ感じだった~。こうなってくると練習も楽しくなってくるよね。
1楽章終わった時点でS先生も「皆さんよく練習してきたみたいで」と珍しくお褒めの言葉を下さり…

しかし個人的には大きな落とし穴があって。
なんせ1楽章を丁寧にさらっているもので、なかなか他の楽章に辿りつけないw
1楽章でさえ後半はまだまだまともにさらえてない。1楽章どんだけ長いんだよ、とちょっと遠い目でロシアを仰ぎ見る。チャイコのこの曲の肝とはいえ、長いよねえ…。
中盤くらいまでは今の練習を積み重ねれば本番にはなんとか、と思えるようになったけど後半から特に最終ページはまだまだどうやれば効率よく音程を取れるかというポジションすらも決めかねているし、弾き方も出来てない。弓がばらつく。
こんな状態なのでいわんや4楽章をや。

昨日の練習はしかし全楽章だったので、4楽章はもう弾けない弾けない。
それでも前とか横とか後ろとか(つまり周辺)の方達がベテランさんばかりなのでちゃんとした音が聴こえてくるからとりあえず弾ける部分で精一杯合わせる。
そもそもまだゆっくりでさえ弾けてない楽章なのだから合奏で合わせられるわけがない。
まあなかなかに大変なんだけども、1楽章よりはまだ4の方が縦の線はどうにかなるみたいだ。不思議だ。音符を並べるのは4もけっこう大変なのになあ…。
2と3に至っては家でさらう時間をほとんど取ってない;
・・・その割には2楽章などは「いいですね」とお褒めを受けたりするので、やはり周りの方の実力の凄さなんだろう…。
私もさすがに2,3は指が追いつかないとかはないが、でも2についてはまだまだポジションが上手く行ってないのでスラーをどう取っていくか考えなくてはいけない;(のに家でやってない;)
普通に音符を並べること自体は問題ないけど、ポジション取りはかなり難しい。
かといってベテランの方が楽譜に書きこんでいる「SUL D」
それはやっぱムリですって;←後ろ向き
・・・・まあ出来るだけのことでなんとか工夫してみます、、

来週に向けては1の後半からさらって4に辿りついてせめて音は取れるようにせねば;
なんか亀の歩みっぽい・・・・。

メトロノーム新調しました

2011年02月20日 | Weblog
今年は性根を少し(少しか;)入れ替えましたという話を先回に書いたのだけど、少し前にメトロノームを新しく買い直しました。
前は普通の針で動くのを使っていたのだけど、電池切れしたのと、今回のチャイ4の1楽章などをさらう際に、速いカウントで1,2,3…と動かすとちょっと取りにくいし練習しづらい。針のやつだとこの練習には視覚的にちょっとうっとおしい;かといって大きな3拍で取るにはまだ自分のカウントの取り方が甘い。
やっぱ電子音の方が取りやすい気がする…というのがあって、チューナー兼のものを買ったわけです。

それで、1楽章の3拍子をさらに細かく1,2,3のカウントで音にして、ともかくそれを耳に入れて合わせられるテンポで弾くというのをやっております。
音程も含めてムリなくこれに合わせて弾けるゆっくりしたテンポで慌てずにさらう。
先週はこれをやっていったので、先回の弦分奏ではだいぶ指揮が見れるようになったように思います。音程はまだまだなのですけど。

急がば回れとはよく言いますが、ゆっくりで弾けないものを速く弾けるわけがない。音程も含めて弾けるテンポで弾く、ただし、自由なゆっくりではなく必ずメトロノームに合わせる。
これで最初からどこの部分もやってみると譜面的には一見易しいように見える3拍目に音を入れる部分とかも以外に合わせるのは難しいというのが分かります。
焦ってインテンポで練習しても雑になるだけで、特にチャイ4・1楽章に関して雑な練習では絶対にアンサンブルは整わない、と身に沁みたので地道にやっていこうと思ってます。

スコアを読んでいたら運命の動機のイメージについて「ダモクレスの剣のように」
という言葉が出てきた。なかなか詩的な表現…ダモクレスなんか聞いたな~?ギリシャ神話だったかなー?と思い検索かけたら、やはりギリシャ神話でした。
でも話は全然覚えてなかった。

≫ギリシャ神話のシラクサ王が、その繁栄を称えすぎたダモクレスを天井から剣を吊るした王座に座らせた故事から、繁栄の中にも常に危険がある、という意味にたとえられる。

金管楽器で奏されるモチーフは人の心を戦慄させる響きを持って毅然と高いところから振りかざすように鳴らさなくてはいけない…
というのがこの言葉で分かる。幻のような幸福に包まれてもいつなんどき襲いかかるか分からない剣のような不幸、それが運命の動機…
西洋人だと「ダモクレスの剣」というだけで簡単に伝わるイメージがあるのだろうなあ…。

昨日の練習

2011年02月10日 | Weblog
昨日の練習は久々のチャイコ4番。
久しぶりのせいか、なんだか皆で焦っていたような…
S屋敷先生はかなり安全なテンポを選んで振って下さっていたんだけども、1楽章の難しさは遅く振って頂いてもなお我々に襲いかかるのであった、、、なんつって;冷静に振りを見てないのですな;
ともかくカウントの感覚にずれがあってなかなか噛み合っていかない。
それに弦楽器は私だけではなく、まだまだ弾けてないので弾くことにいっぱいになってしまうからなあ。
インテンポで弾こうと闇雲に練習してもしょうがないので、まずはゆっくりしたテンポで確実に弾けるようにならないとお話にならないぞ>自分

それにしても指揮者の方って我慢強いなあ、、、と心中思いながら弾いていた;
崩壊しそうになる合奏をなんとかまとめていこうとするその粘り強さ。
そういえばS屋敷先生は北国出身だっただろうか(北国の方は粘り強いwってそういうことじゃないか)。
1回目の1楽章終わった時に心中をよぎった言葉が「このプログラムはなかったことに…;」
もしかして先回の富士見がトラウマに!?

いやいやまあそれは半分冗談としても(半分本気か)なかなか大変だぞ、ということで身にしみた練習でした。


先回紹介した本を読んだら、当時の演奏会状況というのがかなり悲惨なことも多いという…。
今現代日本の私らがアマチュアながら年に4回、多い時はそれ以上の演奏会を持てている。その有難さ。自分達で持ち出しもあるにしてもですよ。
さらに毎回どこの会場でも、多少聴き苦しいアマならではの乱れがあったとしてもじっと真面目に、野次を飛ばすでなく最後まで静かに聴いてくださった上に、なんとも暖かい拍手を下さる聴衆の皆様に恵まれてるという。いかに幸せな演奏経験を重ねているかということを非常に思ったのでした。
神童モーツァルトがステージパパに連れられてあちこちを演奏旅行…当時は道が非常に悪く馬車の乗り心地なんていいはずない。ぬかるみに轍を取られたり、道の悪さに体を揺られお尻も痛かっただろうな。夜間走らねばならない時など当時の闇は恐ろしい深さだっただろうし、ホントにどれだけしんどかっただろうなー。
行った先でも貴族の館などで召使並の待遇を受けて怒って館を飛び出した話などもあった。私らから見れば音楽史に残るスターがそんなひどい扱いを!!とちょっと驚いてしまうが、そういうことだってあっただろう。

まあいろいろ感じ入ることが多く。
今年はしかし私も少し性根を入れ替えた部分があるのです、実は!
あんまり変化がなくて他の人からはまったく分からないかもしれないけど!
…いろいろ出来ないことも多く、いやむしろ出来ることの方が少ない演奏者ではあるのですが、一方でさすがに年数や経験から少しは出来ることも増えつつあるわけです。
その少ないながらも出来ることは、ともかく練習の内から一個ずつきちんとやろうや、ということを今年は心がけておるのです。
弓の使い方、カウント、音程、どんなこともちょっと気をつければきちんと出来るのであれば気をつけようということ。特にカウントはうっかりとりそこなうというのがないようにしよう、とか;弓の使い方も、どういう音を出したいのかまずはきっちりイメージして使うということ。まずはイメージをきちんと持つというのも大事。

プロの人とアマの差は、テクニックの大きな差はもちろんのこと表現力や音楽の理解力ということなど挙げればきりがないけど、でもこの「出来ることを決して怠らない」「細かいところまで気を抜かない」この差も大きいのじゃないかな、という気が最近してきました。
プロの料理人の料理作る姿、その作業の一つ一つ手さばき一つ一つが非常に無駄がなくて美しいですけども、音楽もそれに似て、上手い人は無駄のない隙のない、無駄な力が入ることのない美しい動きで細かいところまで気を抜かないのですよねえ…。


たとえば、昨日の練習でも2楽章などは比較的ゆったりなので弾くのに必死になるということはない。それならば、出来るだけ音のイメージをよく考えて、ここは泣きの旋律なのだからもっとこういう音なのじゃないか、とか、ここは気を取り直してしっかり弾くとこだ!とか、練習の間から指揮者に言われて変えるのではなく自分でイメージしながらやれることはやっていこうではないか、ということ。
今までも多少はやってきたことだけども、今年はもっと意識的にもっときちんとやろう、と思っております。
音程も高音域がひどいのだけど、これももっと1の指の位置を意識してポジションを考えてやらねば、とか…ですねえ…まあ出来ないながらも意識するのとしないのでは違うだろうから。
ともかく出来ないながらも自分なりにやれることはきちっとやっていく、ということですね。
まあそれでどこまで今回のプログラムに近づいて行けるか、頑張ってみようと思います。

『新編 音楽家の社会史』西原稔著・音楽之友社発行 

2011年02月06日 | Weblog
先日、練習の前に前橋の紀伊國屋書店に頼んでおいた本を取りに行って、ついでに探してる本があったので書店員さんにお願いして待ってる間、サービスカウンターの近くが音楽関係の棚で、なんとはなしに見ていたら面白そうな本があったので、つい買ってしまった。

音楽選書オルフェ 新 音楽家の社会史 (オルフェ・ライブラリー)

それで読み始めたらやっぱり面白かったので一気に読了してしまった。
当時の演奏会は経費等が演奏者の負担で、無名の演奏家が演奏会を持つにはどれだけの苦労があったか(それは今も一緒か)。
何がお金かかるって当時は明かりが蝋燭だったわけだけど、夜間にコンサートとなった場合に蝋燭代や松明代にどれだけの費用がかかるか、それも全部演奏者持ち;
貴族たちにチケットを送って来て貰うにしても、先に送るからお金の回収もままならない。
楽譜の出版の契約でお金を貰うにしても、出版後の海賊版の横行を防ぐのも大変、さらには編曲も勝手にされる。元の権利は守られてない。
当時の演奏会では常に斬新な新曲を求められ、演奏者の演奏技術もままならないまま指揮を振らねばならない。聴衆はコンサートを社交の場とするので演奏そっちのけでお喋りに夢中だったり…などなど…
産業革命後は市民が徐々にプチブルになったわけだけども、貴族だけでなくそうした市民も演奏会に繰り出すようになる。聴衆の興味の巾が大きくなるからプログラムはごったまぜ、そのために演奏が長時間に及ぶようになった…。
ベートーヴェンは当時から大スターだったわけだけども、以外にしたたかで楽譜出版の契約も蔭で数社と並行交渉していたり、貴族への献呈も同じ曲を複数にしちゃったり(献呈することでお金が入ってくる)など案外しっかりしていたらしい。
それでもお金の苦労は絶えなかったみたいだー。
モーツアルトに至っては晩年はかなり窮乏したみたいだし…この辺りは映画なんかにもなってるな…
演奏家としても大スターでご婦人方に大人気でお金に苦労しなかったと思われるリストは別の面でけっこう苦労が絶えなかったみたいで、単に自分と会ったと人に言いたいがために訪ねてくる大勢の人たちに午前中の時間を割かれたりなどしてたわけだ。
芸術の向上や芸術家の社会的位置のことを考えて社会に苛立ちを感じていたみたいで、自分以外の無数の恵まれない音楽家などのことも常に視野に入れて色々文筆活動などもしていたとか。才能があるのに評価に恵まれなかった音楽家、たとえばベルリオーズなどを取り上げて光を当てたりなど、作曲家としてだけでなく社会的に音楽史の中で果たした役割が大きかったのだな~。
前に「前奏曲」をやった時に感性的な作曲家というよりは観念的で知性派という印象を持っていたけども、なるほどと思った。

メンデルスゾーンも作曲家としてだけでなく指揮者としてバッハの再評価をしたり、ごたまぜのプログラムではなく方向性を持たせたプログラムを組むといったことなど、音楽活動で果たした役割が大きかったみたいだ。

こうした現代まで名前が残る人達の蔭で無名のまま消費されていった無数の音楽家がいたのだなあ…ということを改めて感じ入ったりもした。
それは現代だって同じ構造なのかもしれない。版権のことで揉めて裁判沙汰にもなって敗訴したというベートーヴェンの話もあったが、芸術家が受けるべき恩恵がきちんと当人に返っていかない世の中というのはいつの世も同じ。
現代でこそ若干整備されているとはいっても文化的後進国などはよその国の文化をパクッてコピーして平気で利益を貪っていたりなどもある;
日本だって昔は著作権の意識が低かったからそんなに人のことは言えないが、現代社会では著作権を守るという意識が世界的には広がっているわけなので、ちょっとだけ変えてこれは自分とこのオリジナル!と言い張って利益を得ようとする某国などは自国民がもう少しそういう国内の動きを恥ずかしいと思わねばなるまい;

21世紀の日本で一時期巷間に溢れまくった音楽でもそのどれだけが世紀を隔てて残るだろう。クラシックに限らず、ロックでもたとえばいつまでも古くならないビートルズやクイーンの音楽これらは来世紀も残るだろうなと思ったり。
あんだけ溢れかえったK室哲也の音楽は残るかってどうかなー残らんよなー(ファンの人ごめんね;)と思ったり。
でもベートーヴェンやモーツァルト、リスト、シューマンといった人達はとりあえずは生きている間に作品が評価されてその上で世紀を経て残ってるのだからまだいいよね。
人によっては生きている間に評価されなかった作曲家だってけっこういるものね。
もしくは、ものすごいいい演奏家もいたのかもしれないが、脚光を浴びる機会に恵まれずに当時も今も知られないまま消えていった…なんてこともあるのかもしれない。

・・・・まあそんなもろもろのことを色々考えさせられた本でした。
市民の生活の中の音楽の存在がどうだったか、当時の音楽に関する出版状況は?音楽家の生活は?などなどが整理されて書かれていて何かと興味深い内容なので、興味のある向きは是非ご一読をどうぞ^^

『ドン・ジョヴァンニ』序曲

2011年02月05日 | Weblog
先回の練習は久々に定期演奏会のプログラムに戻ってモーツァルト二曲。
先生の話を聴いて、ドン・ジョバンニの内容をちゃんと調べてなかったなあ、と反省。

以下ウィキより
≫台本は『フィガロ』に引き続きロレンツォ・ダ・ポンテによった。ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公である。もっとも古い作品はティルソ・デ・モリナ(1630年)といわれるが、ダ・ポンテはオペラ化するにあたり、同時代のベルターティの先行作『ドン・ジョヴァンニまたは石の客』(1787年)やモリエールの『ドン・ジュアン』(1665年)を参考にしたものと思われる。特に、ドンナ・エルヴィーラはモリエールの創作と思われ、この作品からの影響は明らかである。

モーツァルトは、この作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼んだ。ドラマが正調の悲劇を表すのに対しジョコーソは喜劇的の意味であり、作曲者がこの作品に悲喜劇両方の要素を込めたと解釈する研究者もいる一方、単に喜劇の意味であるとする解釈もある。このような議論が生ずる理由の一つは、第2幕の最後に置かれたドン・ジョヴァンニの地獄落ちに至る場面の強烈な音楽や、執拗に彼を追いかけるエルヴィーラの行動と彼女に与えられた音楽に、通常のオペラ・ブッファらしからぬ悲劇性を感じ取ることができるからであろう。


昔は色男=遊び人のことを「あいつはドン・ファンだ」と言ったりしたものだけど、そういや最近この言い回しは聞かないなあ。
今だと「あいつはエビゾウだ」の方が通じちゃうのかもしらん。

色事のもつれから人まで殺しちゃってその悪事の報いで地獄に墜ちた男という話の筋からいけば非常に勧善懲悪的な説教臭があるのに観念的な感じじゃなく、この音楽の豊かなドラマ性はさすがだと思う。
素人なのにこう言っちゃ悪いけどベートーヴェンの「フィデリオ」序曲にはない場面のイメージがフレーズにちゃんとある気がする。そして無駄がない。
同じ天才でもやっぱり向き不向きがあるんだろうなあ。

実を言うと富士見の演奏会が終わったらどっぷり反省が押し寄せてきた割にはなんだか仕事も忙しくて疲れてしまってあまり楽器に触ってなかったのだけど、一夜漬けみたいに練習していったのだった。
指が回らないことこの上なく、、、ヤバいヤバいと練習に参加したのだったけど、周囲の人たちがさすがにベテランで全体的には2月の割にはいい感じという和やかムードな練習だった…個人的にはまだまだ全然回ってないので、きちっとやっていかないと;
ただ、チャイ4に比べれば音域が低く音はまだ取れるので、ゆっくりきちっとさらうところからやればマシ。
チャイ4は音は取れんわリズムは取れんわ、ナイナイ尽くし。。。

ナイなりになんとかとっかかって行かねばなりますまい。