アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

強化練習

2014年04月20日 | Weblog
二日間、S先生、団員の皆様、お疲れ様でした!!
初日の土曜の弦の分奏はバイオリン面子で話してても非常に有意義だったよね!と好評で、私自身も毎回感じるんですけど、弦だけの練習でしか得られない成果があったと思います。
同じ動きをする他のパートとの連動とかバランスとかもろもろ再確認できて良かった。
初日なので集中力も高かったせいもあるかもですが。
ただ今日二日目、合奏の中でその成果が思うように出せなかった、そこは残念。疲れもあったのかな。
いったん咀嚼し直して次回の練習で少しでも活かせればと思います。

昨日の会場は総社町の公民館でしたが施設が新しい上に自宅からも比較的近くて超有難かったです。
今日の会場は初めてな上にちょっと遠かった&シティマラソンの開催による通行規制を避けようと思ってかなり早めに家を出たら1時間早く着いてしまったw
でも会場は開けていただけたし、お陰様で暖かい会場で楽譜の見直しも出来たのでちょうど良かったです。
私は超方向音痴なので前の日に心配した夫が要所要所のストリートビューを見せて道順をナビアプリで説明してくれてました。その上地図で周辺の状況も確認、さらに普通にカーナビも使うという徹底ぶり。
そこまでしてさすがの私も迷う余地はないのですが、さらにicloudで私のスマホのGPSの位置確認をし、軌跡を追って無事に着いたのをチェックするという徹底ぶり。まあ備えあれば憂いなしというやつですね。
演奏会もこのくらい入念に準備できればまず失敗しますまいw
(いやまあ、うちの夫は単にアプリを使って面白がってたんだろうとは思いますw)

二日間の中で、出来ていること、出来ていないこと、目指すべきこと、目指すべき音、やるべきこと、諦めないこと、などなどいろいろクリアになってきました。
私らは社会人オケだから時間も限られていますが、その中で最優先すべき事柄は何かを自分の中で整理してやっていけばお互いにいい音楽が作れますよ、きっと。
いいコミュニケーションが取りたいものですね!

音の流れを考える

2014年04月18日 | Weblog
先日の練習はブラームス3の4楽章の最初の部分をかなり丁寧に。
弦楽器はスルタストで弾く部分です。
(スルタストというのは弓を寝かせて指板寄りで弾く奏法です。)
ここはE原先生の時も相当捕まった覚えがあるので、弦楽器にとって非常に難しい部分なんだろうと思います。
「のだめカンタービレ」の中でホルン奏者は「もっと小さく!」と言われるのが一番嫌い、という話があったけども、ピアニッシモで演奏するのはテクニックとして管弦ともに難度が高いのかな。
私がこういう時に意識するのはもちろん弓の使い方もそうですが、ともかく隣の人の音を聴く、ということです。同じパートの隣の人の音より自分の音が大きく聴こえるのであればちゃんと出来てないということ。自分と隣の人の音が薄く薄く重なりあってどっちの音とも取れないくらいになれば…というのを目指します。その薄いシートがパート全体で重なり合ってセカンドだけで1.01ミリ!!とかそういうイメージで弾く。
パートごとの厚さはちょっとずつバランスの中で違うとしても薄いシートを重ねて重ねてようやく1センチ!みたいな音、それでいて会場に届けるためには一人ずつきちんと弾く。やはり相当難しいです。

あと、文章と同じく音楽にもセンテンスがあるのだな、ということ。
例えて言うなら
「桐島!部活、辞めるんだって、よ!!」と大きな声で遠くから叫ぶ時と
集団の中に近寄っていって「桐島部活辞めるんだってよ…」ってひそひそ声で一区切りで喋るのでは句点も声の出し方も全部違う。
ブラ3の4の最初は声を落としてひそひそと、とっても大事なことを伝えるように、一区切り長く。
文章だと句読点があるけども、楽譜には句読点がない。
しかもややこしいことに、オーケストラでは作曲家がワンセンテンスと思ってる流れを、わざと楽器やパートに分けて書いていたりするので、チェロから始まってストバイに引き継がれて一区切りのセンテンス、というのがざらにある。
これはパート譜だけ見ていても分からないので曲を聴いてスコア見ることが大事になってくるのだろうと思います。それが分かっていないと同じピアノの記号でもどの程度の音量なのか(センテンスの途中のピアノと最後のピアノでは音量のバランスが違うはず)そこが見えてこない。
そういうのを分からないで弾いてると、文章に句読点入れないで書いてる(読んでいる)ような不自然な音楽になったり、入れなくていいところでやたら句点が入ってる音楽になっちゃうんでしょうね。
スコア見るの大事ですね、と思いますです、はい。

先日の日記で書いていた、クレッシェンドの最初をいったんピアノに落とすというやつ。今回はあまり言われないのは今のうちのオケでクレッシェンドがきちんと出来てるからかな~?どうかな~?という件について、先日の練習で指示が出たので、あらら、やっぱ出来てたわけではないのかあ、とちょっと残念でした。
こういうのが指示なしに自分達で自然に楽譜の意図を汲んで出来るようだったらかっこいいと思うんだけど、どうかな?
あと、指揮者が振りを止めてもちょっと2、3小節ばかし吹き続けたり弾き続けたりするのは止めていかないと。自分は指揮見てませんでした~!という感じなので、ちと恥ずかしいと思わないと。これから先本番に向けて時間がどんどんいくらあっても足りなくなるのは目に見えてるので、3秒でも無駄に出来ませんw
みんなで気をつけましょう。(っちうか、指揮見ろって話ですもんね。)



…それにしてもトンカツ三枚で胃が重い…って…ブラームスさんが聴いたら
Wirklich しますよ多分w(はい、楽屋オチ、どーん!!)


音の形を考える

2014年04月15日 | Weblog
ハイドンをやってると、ここのエモーションがどうのということはないので、純粋にテクニックの追求みたいな感じがして、まあそこが私は不得意であまり興味がないのだが、たとえて言うならとても綺麗な切子細工とかガラス工芸とかの感じ。
すっごく綺麗に出来てそれを見て、うわ~綺麗、素敵!と思うのは思うとして、でも何か心が非常に揺すぶられるようなことはないだろう。それは職人の人の仕事を貶める気持ちもなく好みの問題として。
どこかストイックにともかく完璧を目指して構築していくということが自分の不器用さもあってなかなかに難しい&苦手なのかも。

しかし、いつまでも苦手だ、好きじゃないと逃げてばかりもいられないので、ここは一つ真っ向から練習しようじゃないかと気を取り直しております。
そうした矢先に先回の練習ではハイドンがかなり時間を取られたのでしたが、完璧を目指すというのはつまり楽譜に忠実に、ということが基本か。
ハイドンが思い描いたことは楽譜に書かれてる。
その際にただ音を並べるのではなく、一個ずつの音符の形、長さの意味、方向性、速さの意味を考えていく…となるといくらやってもきりがないくらい古典というのは奥が深い世界になるのですなあ。
まあ私ごときがこんなとこでぼやかなくても、だから難しいんでしょうけども。
ここの音の形は四角なのか三角なのか丸なのか楕円なのか。
方向は前向きなのか後ろ向きなのか。
指示記号から読み取らなくてはいけません。
こないだまで漠然と弾いてた音のイメージの選択肢がばばっと増えて、そっかそっか~となんだか面白くなってきました。
それで、昔はクレッシェンド一つ表現するのでも音の幅がなくてなんにも出来ない感じだったのだけど、今だと音量の表現もかなり出来ます。
形もある程度はイメージしたものが出せる気がします。

基本的に音楽は美しい世界を構築するという哲学的な部分を物理的に実行するという世界、音は物理現象なわけで。なので四角い音というのは同じ幅でそのまま、とか丸だとやわらかい音をとか、三角だとすっと細くしていくとか。現象として変化させれば良いのだ~。
そういう音をどうやれば出せるかというのが弓の使い方とかのテクニックとしても、こういう音にしたいという明確な考えがなければ出そうにも出せはすまい。
(思うに音楽は理系の人のほうが向いてるとはしみじみ思う。自分は純ド文系なので。しかし音楽史的に音楽が古典からロマン派、芸術性の重視に移った時点からは文学的な要素が音楽に入り込むので、エモーショナルな理解にやや乏しい理系の人には向かない面も出てくる気がします。いずれにせよ体育会系的にただ音を出したり並べたりするのではなく、ここはどういう音が要求されてるのかを細やかに考えるということは大事ですね。)

昔、音の引き出しがもっと欲しいなあ~としみじみと思ったものだけど、気が付くと昔よりはだいぶ増えてるではないか(あくまでも当社比ですがw)。
では、もっと一個ずつもっと考えて弾かねばなあ~と思ったことでしたよ。どころか、一拍の長ささえ、ちょっと譜読み間違えてた箇所があったりしたので、もっと丁寧にちゃんと弾かねばと思ったりして、けっこう反省の日々なのでした。

それにしても今度の週末の強化練習場所、地図確認したらめっちゃ遠いw
この時期はどこでもいろんな集まりがあるから厳しかったのね。無事に辿り着けるとして、帰りが夜なので方向音痴としては今から心配です;
(練習で絞られることも怖いがw)

音楽の作り方

2014年04月07日 | Weblog
今年のお正月休みにだらだらテレビを見ていたら、ヴァイオリニストのHかせさんが「今でしょ!」のHやし先生とクラシック入門みたいな番組をやっていてなかなか面白かったのだ。
その中でモーツアルトの交響曲にはハイドンだったらこの1フレーズ(動機)で一曲書いちゃうくらいのが何個も何個も入ってる、みたいな説明があってすっごく納得いく説明だったw
1動機で一曲、まではさすがにいかないけど、ハイドンとモーツアルトではそのくらいの差がある。
番組はわかり良い音楽史の解説になっていて、Hやし先生は音楽はまったく門外漢で知識はなかったようだが、さすがに理解力が速くて、鋭い質問を要所要所に入れて下さっていたのでお正月にだらだら見る番組としては非常に面白いクラシック番組になっていた。
感想をまとめようと思ってる間にだらだらしてたので、今となってはほとんど内容を忘れたがw

今回の定期演奏会の指揮者はSやしき先生だが、メインのSとう先生とは真逆といってもいいくらい指導方法が違う。音楽の作り方が違うということになるのか。
どう違うかを言葉にすると誤解を招きかねないし、私の勝手な解釈でしかないので書かないが、その違いが非常に面白い。
もちろんどっちがいいとか優れてるとかいう立場でもない。
ただただ、指揮者が違うということは同じ曲をやってても全然アプローチが違うんだろうなーということに対しての面白さを感じるばかりである。

今回やるブラ3は私個人は10年以上前にEはら先生の指揮でやったことがある。
その時の楽譜でしばらく練習してたんで思い出すことも多かったのだが、E先生はかならずここで溜めてたなーと思ってS先生の指揮を見る。S先生はそんなに溜めないですっと次に行く。
そっか、ここは溜めないのか、と思う。
なるほど、これが解釈の違いなのかな、とか思う。
ただ、演奏者であるこちらが、昔のテクニックと今では異なっているので、もしかしたら昔は単にそこの入りを合わせるのにそのくらい溜めないと合わなかったのかもしれない可能性もあるので、一概に単に解釈の差といえないところもミソ。
昔のボーイングと今のボーイングの差も解釈だけでなくこちらの腕の差もある。
ほかにも、ここでEさんはいったんピアノにわざわざ落とすよう指示してきたが、今のところS先生は言わないが、さてこれはそうしなくてもちゃんとクレッシェンドが今だと出来てるからかもなあ?どうなのかな?など考えたりする。
(といいつつ、自分はちょっとだけ指示ないんだけどいったんピアノに落としてから上げたりしてますが)

ともかく今はS先生の指揮に合わせて、みんなでどこまで構築していけるのか、やっていてとても面白いので毎回の練習が楽しみですv
最近はハイドン嫌いとか言ってられないので、まじめにさらっていますw