アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

きのうの練習

2009年10月29日 | Weblog
昨日は練習に行く前になんだか疲れておりました。月末近いと忙しいんですわ。
特にここのところ面倒な書類仕事をルーティンの合間に少しずつ進めてそれをようやく片付けた(とはいえ受理待ちで油断できないのだけど)ところだったので。
まったく全部統一書式にしてくれればいいのにー、役人って頭堅いなー(愚痴)。(おっと、うちのオケには役所関係の人がたくさんいるんだったw)

そんなこんなでも定時にあがってモスに夕食を取りに入ってそこでボーイングの最新情報を写さなくては、と思っていたのにペンケースを家に忘れてきた!
職場で気がついていれば職場の筆記用具を持ってきたのに~~~;何もできないので諦めてスコアをチェック。せっかく作業しようと思って頑張って早くあがったのに;
昨日はペンケースは忘れるわ、チューナーは忘れるわ、タオルは忘れるわ、でさんざんでした;;用意悪すぎ;

練習は前プロ2曲。
リスト~~~容赦なくテンポが揺れ、容赦なく嵐が速い;
一回目の合わせは散々でした;;
うーむ;なんか個人的には集中力も悪い;
合奏前にフジミの楽譜配っていたりして音出しする時間が短かったからなあ;;
二回目はもう少しは棒についていけたと思うのだけど、それにしても嵐はまだまだ。。。速い、速いよ、、、
マエストーソは音が軽いと言われる。
実は多分そう言われると思ってあんまり飛ばし弓にはしてないつもりだったのだけど、でもまだまだ弾きこみが足りないんだろう。。。

コッペリア~~~
ボーイングの付け方をトップが試行錯誤中なので、どんどん変わるw
頭が不器用なので変わった弓にすぐについていけなかったりして、ははは;
でもだいぶ感じは分ってきました。
こないだ図書館で借りた組曲のCD(カラヤン指揮・ベルリンフィル)を聴いたら、スタッカートの扱いが楽譜通りだったー。
先に全幕版を聴いていたので組曲版はだいぶ印象が変わる。
オーケストラのための編曲ということだから当たり前だけど。
チャールダーシュが特に面白い。アンダンテはともかく重く遅く、アレグロがともかく速い。そのコントラストの鮮やかなこと!後半の速さの切れが凄いだけに前半の重さが生きる・・・うーん。ここまでの対比はアマにはムリです;

チャールダーシュは調べると下記ウィキより
≫チャールダーシュ(ハンガリー語: csárdás、スロバキア語: čardáš)はハンガリー音楽の一ジャンルで、ヴェルブンコシュから派生し、「酒場風」という意味であるが、実際にはハンガリー音楽に大きな貢献をしたユダヤ系作曲家ロージャヴェルジ・マールクの作った楽曲の名前から広まった。ヴィットーリオ・モンティの作曲した「チャールダーシュ」が有名。
ヴェルブンクとヴェルブンコシュは兵士が居酒屋(チャールダ)で兵士募集のために踊り、それが農民の改作も交えて次第に芸術的要素を増していき、19世紀にロージャヴェルジらによりチャールダーシュとなったのであり、ヴェルブンコシュを農民が改作してチャールダーシュとなったのではない。

兵士が酒場で踊ったのが元とある。重たい軍服(それも垢抜けないほうのやつ!)を着て酔った勢いで踊るイメージで聴くとすごくしっくりくる~。

マズルカもフランスからみれば田舎であろうポーランドの民族舞踊だから、二曲は垢抜けないイメージでいいのだw
問題はワルツだなあ。。。。
「ごっついな」とつい先生が呟くほどに無骨な音なのはやはりチャールダーシュ向きの私の中身の問題でしょうかー;(自覚あり)
自分でも弾いていて全然軽やかじゃないと思っておりました。。。。
むー。
やっぱりなかなかどの曲も難しさいろいろ。

とりあえずいったん置いて来週はスコットランドとフジミ用の練習。
そっちをメインにさらおう~。

あ、おとといようやく自分も執筆させてもらった本が献本で届きました。
≫『日本幻想作家事典 東雅夫 編著 石堂藍 編著 』
税込価格(予価): ¥7,980 (本体 : ¥7,600)
出版 : 国書刊行会

高いし分厚いので一般の方にはなかなか手が出ないと思います。研究者向きというか。思った以上に分厚くて立派な本でした。感無量です。
図書館とか大学文学部関係者の皆さん、是非一冊お手元にご購入を検討くださいv



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メンデルスゾーンを聴こう強化週間

2009年10月24日 | Weblog
先日から個人的に"メンデルスゾーンを聴こう強化週間"に入ったので(?なんだそれ)通勤の往復でかけっぱなし。
タイトルでちょっとだけ引いた「宗教改革」も聴きました。といってもこれは一度だけ。さすがにおごそかな感じでした。あんまり聴き込んでいないのでおおざっぱな感想ですみません。。やりたいか、と言われればまあこれはいいかな・・。

下記ウィキより
≫曲のモチーフにルター作曲のコラール『神はわがやぐら』、そしてドイツの賛美歌『ドレスデン・アーメン』が用いられているのが特長である。アウクスブルクの信仰告白の300周年を記念して作曲された。しかし生前には1回演奏されたのみで、1868年に初めて出版された。

ルターって宗教家ですけど作曲もしたんですか!?(ってそこで引っかかる私;)
そこでついルターの項も引く・・・なるほどー、原典主義で、教会のありかたとかいろいろ改革したわけだねえ(おおざっぱな理解)。何をやりたかったかビジョンがはっきりあった人だな、という気はするな>ルター
この人しかし反ユダヤ主義的なこともやってるのに、ユダヤ系のメンデルスゾーンが改宗して熱心に信仰したというのには非常に屈折したものを感じなくもない。ユダヤの人はホントにいわれのない苦労をする・・・。
・・・元々根っこは同じものを宗派で対立する宗教のあり方というのは政治経済と切り離せないし、複雑すぎて私にはよく分かりませんが、、、。

なんとなくこういうのを読むと、日本人でよかったと思ったり。宗教の自由が保障されているという法律上のこともさることながら、現実に身近にガチガチの宗教観の違いで対立する人なんてほとんどいないから。
聖徳太子が「神仏両方ありだよ、あり」つってから日本人はなんでもありの下地ができちゃったわけなので、神社にお参りに行った同じ日に寺にも行くわけだし…。
神道だと人は死ねば神様になるが、仏教だと仏様である。。。
とりあえずまあ行って拝めばいい、というおおらかな宗教心の人が殆どの現代日本…ここに生まれて良かった;

余談長いですが;
ゲーテの詩にインスパイアされたという序曲「静かな海と楽しい航海」
これもホントによかったけど、なんといっても劇音楽「真夏の夜の夢」!
超有名な序曲は調べるとなんと17歳の時の作曲らしい。
これは一度はやってみたい~~~vv難しそうだけど!
いわずと知れたシェイクスピアの戯曲につけた音楽。曲を聴くだけで情景が浮かぶような素晴らしい音楽世界。
シェイクスピアは私は子供の頃に一渡り物語を読んではいるけど、本来は「戯曲」なので戯曲形式で読み直したほうがいい本だ。悲劇も喜劇も有名な物語ばかりなのだけど、「真夏の夜の夢」は妖精・パックが一種のトリックスターとなって物語をすちゃらかにしてくれるのが面白いんだよなあ~。あー序曲だけでも一度弾いてみたい。
さらにはかのコンチェルト!メンコン、久々に聴いたー。
やっぱこの曲はいいーーー!大昔にやったきりだー、またいつかやってみたい~。
好きなバイオリンコンチェルトのベスト3には入る、うん。
(私にとって一番はシベリウスー、あとラロのスペイン交響曲とか、どどーんと暗いほうが好き)
こうやって聴いていくと、観念性の高いリストに比較すると情景の音楽、さらには叙情性の音楽家という気がする。

S先生がリストとほとんど年齢が変わらなかったとおっしゃったのだけど確かにメンデルスゾーンの方が2歳年上なだけでほぼ同時代人。
が、彼は38歳で死んでいるのに対してリストは75歳まで生きている。ほぼ倍だ。
そんなとこでも対照的。。。
夭折されたわけだが、作曲家だけではなく「指揮者」としての音楽史に残る仕事ぶりとかも素晴らしい。
引き続きもう少しいろいろ聴いておきたい。強化週間続行するw


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昨日の練習

2009年10月22日 | Weblog
昨日の練習はスコッチをたくさん。
S先生が少しテンポを落としてくださっての練習、まるで神様のよう、ありがたやw
でもそのテンポでもついていけてない箇所がけっこうあるって、、どうよ>自分

1楽章を始めて少し経って止められて先生がおっしゃるには「不快でしょう?」
はい…弾けば弾くほどどうにも気持ち悪くなるってあるんですね;;;
どうしてそうなるか
・・といえば、まだ一人ずつが譜にしがみついているので周囲の音を聴けてない、そんで自分勝手でやっちゃってるからです;;
指揮は見れてないわ、聴けてないわ、で合うはずがないので気持ち悪いのです・・・。

スコットランドの合奏としては3回目、譜読み自体はだいぶ進んできたので、ともかく合わせていかなくちゃ。特に私はタイのついた音形が苦手で(そもそも得意なものがあるのか;)そこから抜ける時のタイミングに自信がない。
そのほかもできないことだらけ。
さすがに弾けなくても楽しいと笑ってる段階を過ぎて、弾けないと楽しくない;
合わないのが気持ち悪い。音程をはずすのが気持ち悪い。リズムをはずすのが気持ち悪い。あー、もっとちゃんと譜読みしなくては;

2楽章もかなりテンポを落としてもらっての練習。管楽器には多少死んでもらってもゆっくりやってほしい~~~!と思っていたのでホントに助かりました。
あとで管の人と話したら管もタンギングが難しいのでゆっくりで有難いのだそうwよしよし。こちらなんてあのテンポでも弾けてないんですよ、、、、
頭が不器用だからなー;;
指が回る、回らないんじゃないんだよなあ、と最近思ってきた。
譜が頭で歌えてないから弾けないのです。昔これもE先生が言ったのだけど「歌えれば弾ける」。
確かにつっかえる箇所はスムーズに譜を歌えなかったりします。一番難しい箇所でどうしてもAとCを一瞬取り違える癖が出てしまいスムーズにいかない。
これは繰り返し練習してみてスムーズに脳みそに譜が入れば指は動く筈。弓使いが難しいわけではない。速い箇所はゆっくり弾くだけじゃなく譜を歌ってみればいい。どんなに速くても譜が歌えれば弾けます、たぶんw

最近、E先生の言葉をよく思い出すのはちょうど当時やった曲が出てきたりするせいだろうと思う。(フジミで今度やる序曲「こうもり」もアップテンポですっごく難しいけどE先生の振りでやったなーとかw)
この曲の時こういうことを言われたなこうだったなーって思い出してしまうのだ。
E先生は弦楽器経験者の指揮者で努力型だったから、どういう練習をすればそれがマスターできるかというトレーナー的な要素が強い方だった。
そこが団員によってはあまり受けなかったりもしたけれど、初心者同然で入団した私にはたいそう有難い面もあったのだ。
私がE先生を努力型の人と思うのは、苦労して獲得したものが多いからそういう指導が出来る方なのだろうと・・・。なんでもスムーズにできてしまう器用な人はそれが簡単に出来ない人間にどう教えればいいか分からないと思うから。
ただ、今のうちのオケでは指揮にそういうトレーナ的要素の強さはあまり求められてはいない(そうした指導はK先生もいらっしゃるし)のは確かだ。
なので、そういうことがあったな、と懐かしく思い出すだけだ。

スコットランド、弾けば弾くほどどんどん好きになってきたーーvいい曲ですvv
難しさもどんどん見えてくるけど、弾きこんでいい仕上がりにできればなーーー。
ともかくまずはゆっくりさらって頑張ろうv

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メンデルスゾーン

2009年10月20日 | Weblog
スコットランドに苦戦しつつー。
以前には「イタリア」をやったことがある。私は入団2年目で鬼のように弾けなかったが、その時に指揮のE先生に言われたのが(いや個人にじゃなく全体にですけど)今でも印象に残ってるのだけど
「メンデルスゾーンはお金持ちの家に生まれて一生涯お金に苦労しなかったような人なんだよ、だからそんな貧乏臭い音を出してはダメー」
という言葉だった。
お金持ちの作曲家の曲だから貧乏臭い音になってはいけない、というのは面白いことをおっしゃるなあーと思って内心受けたので心のメモにいつまでも残っているのだった。まあ、「イタリア」の1楽章は華やかで明るい気分に満ちてるのだし、それを苦しそうな音で弾いたら台無しなのだから、ちゃんと余裕をもった豊かな音色で弾いて欲しいというただそれだけのことを面白くおっしゃっただけのことだろうけど。
そもそもでは逆に貧窮にあえいだ作曲家がじゃあ貧乏臭い音を求める曲を書くということではないのだから、メンデルスゾーンがお金持ちだから豊かな音色を求めているということではないとは思うwあくまでも曲の求めるイメージの問題。
あと、もう一つE先生の言った言葉で印象に強いのはその作曲家の交響曲をやるとなったら他のも全部聴いておくくらいのことはしておけ、ということだ。
確かに、文学でも一作品取り上げるのにその作品しか読まないということはしない。なるべく交響曲全集とかは聴くようにしなくちゃな、と思ったのもその言葉からだった。だもんで、メンデルスゾーンの全集も図書館で借りてきましたw(私はどうしたって貧乏だから買わないんですよーだ)
これから聴いていく予定・・・それにしても「宗教改革」って何、、ルターですか、、ルターなんて世界史でしか知らん、、、(←タイトルでちょっと引いてる、、西洋圏の芸術はキリスト教抜きには理解できんからそこも辛いな、、)

私は大概のもの覚えはひどく悪いのだけど、なんだかあの時にあの人はこう言った(とかこういう行動をした)ということは妙に覚えてる。どうでもいいことをいつまでも覚えてることも多い。というのもユングで言うところの「内向的直観型」の人間なので、関心が常に自分の内面の動きに因っているらしい。なので、物事の記憶が自分がその時どう思ったか、ということに因って刻まれているみたいなのだ。なので物事に対して心が動かなかったり何も考えないでいると記憶に残らない;大概のことを忘れているのはたぶん大概はぼんやりしているからだと思う;だもんで研究者には向かない;
これが外向型の人だと客観的な事実を事実として流れとして記憶していくのに向いている。研究者向きだなと思う人は「外向型」だと言っていい。
余談ながら「内向的直観型」の特徴は、物事を見たときにその対象そのものよりもその裏に興味が行ってしまうところ。
たとえば手焼きの皿を見て、その皿がどうだというよりもその皿を作った人間はどんな人間だろう、どんな来歴だろう、など対象のさらにその裏側に関心をもってしまう。で、いろんなことを考えるがそれは客観的に整理された情報ではなく自分の中に積み上げられた印象とかに因って立つ。直感的にモノを言ってしまうのでコメンテーターなんかには向いてるらしい;
私は坂田靖子という漫画家のファンでデータサイトなどを運営してるけれども、その質のためについつい作品の裏側にある元ネタなんかも追っかけてしまい、それでついあれやこれや濫読したりなどもしてきたのだった。。
作品にラファエル前派が使われていればその関係の資料を読み漁り、カットの一部に浮世絵が使われていればその元の絵は誰だ?と資料にあたる、という様である。一見研究者向きに見えなくないが、情報整理が「内向」なのでイマイチだったりする。。。我ながら非常に残念な資質だなあ。。。と思っている。。。

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昨日の練習

2009年10月15日 | Weblog
参加率が上がってると書いた矢先、昨日の集合はイマイチでした(笑)
しかもそういう時に二人も見学者が。あーその前の練習の方がよかったなあとちょっと思ったw
バイオリンの入団希望の方だったのかなー。
入団されるのかなどうなのかな???と期待に満ち満ちていたのだけど、昨日は入団の挨拶はなく…入ってくださると嬉しいなあ。。。。。

昨日はSY先生の代振りでした。まだ全曲譜読み大会絶賛続行中。
全体にテンポを落としての練習だったので、なんとかついていけました。いやそれでもまだまだなんですけど;
まずは昨日のテンポに細かいとこまできちんとついていけるようにしたい;音程がすごい箇所が何箇所か、、、、;

コッペリアのチャールダーシュの速い部分も昨日くらいのテンポだとまだ弾ける。
しかしチャールダーシュをWikiで調べると

≫他のハンガリー音楽と特徴が同じ面としては、「遅い」部分(lassú, lassan)と「速い」部分(friss/frišká)があるところだが、ラッシュー部分はかなり遅く、哀愁をもって演奏される。実際には2つから3つの民謡の旋律を組み合わせたりして演奏する場合が多い。

速い部分は切れよく速くないとこの曲の特徴が台無しなので、きちんと音を並べた後はいかに切れよくするか、ということになるから、弓をタイトに使っていくことをやっていこう。。。。慣れたらなんとかなりそうな気配はしてきた;

そしてやっぱり一番難しいのはメインのスコットランド。
4はリズム体に慣れてきたので2が一番大変かも、という気が徐々にしてきた;
コッペリアの組曲を一つ割愛する際に先生が「これをやる時間があったらスコッチをすこっちでも練習して」と言ったくらい(殆どの人が聞き逃していたがw私は聞き逃さなかったw)。
スコッチ、難しいなあ~~~~~やればやるほど難しさが見えてくるような曲;
リストはなんとかなりそうな気配が出てきました。テンポにはだいぶついていけるようになってきたので、あとは音程・・・;ここからが長いけどw

昨日は昼休みを使って図書館に行ってコッペリアの組曲版を借りて知人のとこに用事を済ませたりもしたのでほとんど休みなしに仕事したので、定時に上がって夕食を取る時にはもうヘトヘト。。。。体力が欲しいv

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オペラの余韻

2009年10月14日 | Weblog
本番が終わったあと余韻を楽しむ閑もなくすぐに次の曲の練習にかかったわけだけど、なんとなく私の中に余韻というか余波というかは残っている。

まず、ともかく練習が楽しい!
先日の本番が本当に楽しくて楽しくて仕方がなかったので、また次の演奏会もそのくらい充実した内容にしたいなあ、と思う。表現の域にいくにはまずは音符を並べられないことにはどうしようもないので、精一杯個人でさらうしかない。そこはいつも自己嫌悪との闘い(なんでこんなに不器用なの、、と)なのだけど、堪えて地道にやる。ともかく難しい箇所、速い箇所は個人ではゆっくり確実にさらう。
ゆっくり弾けないものがなんで速く弾けようか。

そしてなんとなく、オケ全体のムードも以前よりさらにとっても良い。
練習の参加が集まりもいいし、オペラの練習の際にみんななるべく遅刻しない欠席しないとそれぞれの段取りをつけて集まってるのがよく分かったんだけども、その感じが今も続いていると思う。練習の間も先生の指導をじっと聞いて合奏をするんだけども、みんな楽しんでいるのが伝わってくる。難しいのだけどねえwでも楽しい。
それには一つには無私で誠実にがんばってくれてるインペクAさんの存在も大きい。(以前の日記になぜかIさんとしていた←イニシャル間違え;なんで;)
Aさんはホントにきちんきちんと仕事をこなすばかりか、穏和なのでどんなに忙しくなって大変でも決して声を荒立てることもなく穏やかにいつもいつも連絡と報告、現場の指示などなどをこなされているのだった。その存在の安心感たるや。
演奏でもその性格はよく出ていて、きちんきちんと練習を積んでこられてきちんきちんと弾かれる。ホントに私は大ファンですvv

春から9月の本番が終わるまで練習は大変だったけど、やれてホントに良かったなーとしみじみ思います。いい経験になったし、良い思い出になったし、確実にそれぞれ経験値を上げられたような気もする。
願わくばいつもいつもこんな風に充実した演奏会を目指せるように精進を重ねていきたいなあ、と思いますね。

そしてオペラの余波もう一つ。ここの更新頻度;以前はもう少しのんびりペースだったのに(月4回くらい?もっと少ない月も、、、)なんとなく頻度が上がったまま、、、もう少しのんびりに戻してもいいなあ;

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コッペリア

2009年10月11日 | Weblog
バレエ音楽の面白さっていったらやっぱり、踊るための音楽ってとこですよね!
ドリーブの時代のバレエといったら、天上を志向する踊り。
つまりは上へ上へと向かう踊り。トゥシューズを使ってポワント、チュチュを着て跳躍、重力に逆らって軽やかさをいかに出すかいかに高く飛ぶか。

この天上性を志向するバレエに対して地上性を志向するバレエは20世紀に入ってディアギレフ率いるロシアバレエの台頭まで待たなくてはいけないのではなかったかなー。(これにはバレエ音楽もストラヴィンスキーという天才の出現も伴う)まああんまり詳しく知らないんですけどw

まあそれはともかく、軽やかさ・跳躍の踊りなのだから、例えば、付点の後の休符というのは跳躍のための溜め、ってことじゃないのか。
より高く飛ぶために一瞬エネルギーをぐっと溜めるあのタイミングってことじゃないのかなー。
コッペリアのバレエを見てないのだけど、付点でしっかり溜めて休符の後スタッカート歯切れよく!ってのはそういうことなのじゃないか、と思った。
より高くより軽やかに!踊るための音楽なのだから、そこはしっかり意識しなくてはいけないー。。。ってバレエ見ないで言ってるんで想像ですけど;(DVDそろそろ入手して見たらどうだろう>自分)

前プロの「レ・プレ」が観念性の高い音楽だとすれば、「コッペリア」は非常にフィジカルなイメージを大事に理解していかないといけない音楽なのだなとは思う。表現の目指す方向性が非常に対照的で今回の練習はその切替が面白いな、とw

そんでまあ私は例えばワルツの軽やかさをメロディで弾くのが非常に苦手なんだけども;ド日本人にはそんな軽やかなワルツなどさらっと弾けちゃうような染み付いたものがないというのは大きいー。
私の尊敬する漫画家・萩尾さんのバレエ漫画の中で「日本人のリズム感は大抵は湿っぽく重い」というセリフがあって、それに対して西洋人とのクォーターの兄のピアノを聴いて踊っていた主人公は身についたリズム感の切れのよさがある、という場面があるのだー。切れの良いリズム感で弾かれたピアノに合わせて小さい時からバレエを練習してきた主人公は、他の大抵の子と違って非常に切れの良い踊りができるというのが強みという設定だった。すごく説得力のある設定。
萩尾さんはベテラン漫画家で、バレエも非常によくご覧になっていて詳しいので、作品の中にもさらっとそういう知識が出てくるのですねえ。
・・リズム感、これは風土・環境で身についたものは大きい;
でも、なんだかチャールダーシュはかなり好きだ。多分ワルツの洗練は私の中に求めようがないが、ハンガリーの民族音楽は土臭く泥臭い感じが性に合うんだろうと自分で思うvこっちのが好きなんだよねー。弾いてて楽しいし。

先生が音楽の背景にある国籍を常に意識しろ、というのも当然だー。ワルツの洗練もなんとか出来る限り目指すとして、、、
とりあえず、手探りでいろいろ考えて意識しながら練習していくしかない


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こんなに

2009年10月10日 | Weblog
これだけちゃんと家事をやってるのに職場の営業の人に
「Hさんって料理とかするんですか、なんかしなさそうですよね」と言われたことがある。
(なんだとーコルァ#)と内心思ったが、
「失礼な~、ちゃんと作ってますよー、うちは基本一汁三菜ですよー」と反論。
やりとりは忘れたがどうも悪気で言ったのではないらしかった。
職場でビシビシ仕事してるので、家で料理してるイメージがないらしい;営業にまた手厳しいし;PCばっか触ってるし;
でも職場がいつでもきちんと掃除が行き届いて整理されてるのを見てれば家事もきちんとしてるだろうくらい観察できても良さそうなもんだ;

あと、これは複数の人の反応だが、私が夫と夫の母(姑)と3人暮らしだと言うとけっこう驚かれる。
どうも姑と暮らしてるというイメージが私にはないらしい。なんだろうなあそれ。
姑と暮らしてて苦労してる感じがしない、ということらしいのだが、実際一緒に暮らしてても今のところはまったく苦労はないので、そりゃまあその通りなのだけどw

それとも私はそんなに我儘放題に見えるのだろうか~とやや微妙な気持ち。。。
実際のところ、夫と義母は優しいので私は自分のやりたいことをやりたい放題なとこもあるのだが。
そもそも、夕食時に主婦が家を空けるのを嫌がる家もあるらしいのだから、そういう面でもまったく文句を言われたこともないし、協力的なのだから感謝せねばなあと思う。。

とりあえず明日は3人でちょっとドライブにでも出かけるかーv

練習もしろよ>自分

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昨日の練習:リスト「前奏曲」

2009年10月08日 | Weblog
む、難しいっちゃ!と思わず某鬼娘風(By高橋*美子)に喋りたくなりますな;

13年前といっても一度やった曲なのだから、曲はある程度頭に入っているわけだし、もう少し弾けてもいいだろう>自分
2回目の合わせなんだけども、容赦のないインテンポの練習なのでまだまださらえてないとこは音程もなんもあったもんぢゃ、、、、ううう(地からの呻き)、、、
・・・・こっそり零していいっすか・・・
(先生、もうほんのすこしだけ遅くしてはいただけまいか、、、ゴホゴホ;;)

アップテンポのまだまだ弾けない箇所は小節の頭の音を拾うように弾くのが最初の内の練習のコツ、、、それをやりそこなうと完全に落ちる;・・と思いつつもそれさえ間に合わなかった・・・2回目なので楽譜こそ見失うことはなかったけどやっぱ大変だった。

音のイメージを、ああ、ここは穏やかな人生の喜びの箇所、ここは突然襲う不幸、嵐の箇所などなど感じながら弾いていたのだけど、
最後にきて、ここは威厳をもって堂々と弾く・マエストーソだし・・・
しかし、生は死の前奏曲といいつつ、何かこう勝利宣言のような高らかな感じは何なのだろう・・??ちょっと謎だ・・・・と思いつつ
遅ればせながらスコアの解説を読むと

形式の概略(以下音楽の友社 スコアはしがきより)

≫ラマリティーヌの詩に従って、つぎの4部から成っている。
春の気分と愛(第1-108小節)
人生のあらし(第109-200小節)
愛の安らぎ、平和な牧歌(第201-344小節)
闘いと勝利(第35小節以降最後まで)
二つの主要主題(第35小節以降、および第70小節以降)がさまざまに変形されて、楽曲のいたるところにあらわれる。≪

とありました。なるほど、やっぱり最後の方は勝利の曲想なんだ。
弾きながら、(ここは堂々とたっぷり目に弾こう)とは思ったのだけど、なるほどその印象は間違っていなかったらしい。
しかして、闘いって何の闘いなのだろうか。

リスト自身の序文もスコアに載っていたので再度読む。
(以下引用)

≫われわれの人生は、その厳粛なる第1音が死によって奏でられる未知の歌への一連の前奏曲でなくてなんであろうか?愛はあらゆる存在の素晴らしい曙光である。しかし荒々しい一吹きが愛らしい幻影を吹きとばし、激しい電光が祭壇を焼き尽くす嵐の猛威によって幸福の最初のときめきが遮られないような運命が果たしてあるだろうか?そこには、深く傷つけられた魂が見出されるであろう。そのような嵐のあとの、田園生活のここちよい静けさのなかで、すぎ去った嵐を忘れ去ろうと努めない者がいようか?
それにもかかわらず、初めは自然のふところに魅せられていた者も、この慈悲深い平穏のなかに長い間身を任せていることには、堪えられなくなる。そして「警報のトランペットが鳴り響く」と、彼を戦列に就かせるべく召喚するその戦争がどのようなものであれ、戦いのなかで、再び自己の意識を十分に見出し、そして自己の持てる力を完全に取り戻すために、彼は危険な部署へ急ぎ赴く。≪

ふう。。。
文学的哲学的な詩想が曲に織り込まれているのですなあ。。
ここでいう「闘い」とは現実的な戦争の場というよりは、自意識とか人間の尊厳とかそういうものの獲得のための内面的な闘いという解釈をした方が個人的にはなんとなくしっくりくるものがあるな。。。その方が普遍性がある気もする。
原典になってるラマルティーヌの「瞑想詩集」にあたってないから根拠もなんもないがなんとなく。。。

最初のピッチカートの音色に先生がこだわるのも当然、
≫その厳粛なる第1音
のまさに重要な始まりなのだから、十分な予兆を含んだ重みのある音じゃないと;
いやしかし、そんな風に頭で理解してもそんな重みのある音色、簡単に出せませんがな(となぜか関西商人風になってまうがな;)

でも、曲にこめられたものを頭で分ってイメージすることはこの曲については特に大事な気がする。交響詩というからには詩的なるもののイメージが音に反映したほうがよいよね。
よく師匠に「音のイメージをもたないでなんとなく弾きださない!」って怒られるんだけど;やっぱどんな音を出したいかというのは常に意識していかないとな。

リストってけっこういい顔だな、と思ってさらにウィキを読んだら演奏会で失神者が出るくらいモテたらしいw 

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とりとめなく作る

2009年10月07日 | Weblog
ゆうべはなんとか定時で仕事を切り上げてとっとと帰宅。火曜と水曜はできるだけ残業しない。(その分木金にしわ寄せがくることもあるw)
なんせ二日分の夕食を作らねばならない。
幸い夫がシチューが食べたいというのであんまり考えることもなくシチュー作り。秋冬は作り置きメニューが増えるから有難い~、この夏をメニュー的にはどう乗り切ったのかもはや記憶にない;;

で、ちゃかちゃかっとシチュー仕込んじゃってそのあとさて、と当日分の夕食作りに・・・メインはマグロの刺身を用意してあって(手がかからない)、その他の副食をまったく考えてなかった。
とりあえず余っていた茄子とこんにゃくで味噌炒めの用意。
次に煮物に使ったカボチャが余っていたので薄めに切って弱火で焼く。そのまま放置。その間にシチュー用の豚肉と貝柱がちょっと余ったので白菜、生しいたけ、にんじんなど切って八宝菜の用意。
まあこんなもんかと思ったが、シラス干しがちょっと余っていたので卵と炒る。
あとは生野菜サラダを用意して、茄子炒め、八宝菜を手早く作り終えて、戻ってきた夫にお刺身を切ってもらって終わり。
メニューをあまり考えてない時って地味で手早いおかずを思いついたまま作っていくので返って品数が多くなってしまうのだった;

食事の片付けをしながらシチューの煮込みの続きとブロッコリを塩茹でして、さらにシーチキンオムレツを用意。片付け終了時ですでに8時半である。。。
お茶飲んで、頂き物の和菓子を一つ食べて(デザート!)
ちょっとだけ練習;30分程度しかできないが、しないよりはマシかな。

今日の夜は台風接近で雨がひどそうだなー。

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