アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

花粉症

2008年03月27日 | Weblog
昨日の練習は久しぶりのS先生。
先生も花粉症がひどいみたいで、なんだか特に鼻が辛そう;
私は花粉症は一切縁がないので、この時期の周囲の人たちの辛そうな様子は完全に他人事である、申し訳ないが。
暖かくなって花が咲き乱れて鳥が鳴いて、なんだかいい季節なのに辛いのは気の毒だなあ…と世の中の花粉症の人を敵に回すようなことを書いてみたり;
でもこの時代だから自分もいつ発症するか分からないが。

ボロディン全楽章を通す。昨日の練習ではテンポの確認を細やかに、ダイナミクスの確認も細かく。楽譜の印刷の抜けなのか指示の抜けなのか、あまり入ってないのであった。スコアとパート譜の食い違いもある;
楽譜研究以前の問題ではあった。。。。

練習後に「随分よくなった」と全体を先生に褒められたが、たぶん、オルガン付とかに比べれば曲自体が短いので、弦楽器にとっては同じ練習量でも短い分行き届くというのはあるかもしれない。それにしても2楽章の一つ振りを取っていくのは難しい。。。。変拍子のカウントを落とさないようにしていくのも難しい。。
昨日同じプルトで弾いてるIさんが「ホントにこの変拍子はイヤですねー、なんでこんなのを書くんですかねー」としみじみ言っていた。Iさんはこの曲はあまり好きじゃないらしい。「なんか垢抜けないって感じですよね」と言う。
いや、そこがこの曲はいいんじゃないのだろうかー、と思ったりして。
私はやればやるほど面白く弾いてる。つい心中で「あれ松虫が鳴いてる~」と歌ってしまう箇所など中華風というかアジアだなーとか思って、嬉しくてしょうがない。普段苦手な装飾譜ですら楽しい。
全然音楽は違うのだが、昔よく聴いた「はっぴぃえんど」(日本のロックの草分けと言われる、細野晴臣がいたバンド)に「南京町のおかしなあの子~」という歌詞で始まる中華風の音調を使った曲があるのだが、なんかそれを思い出したりもするのだった。シンコペのリズムも楽しい。
あとは速いところが弾けるようになれば;;地道に練習するしかないが。




引き出しを多くもつ

2008年03月21日 | Weblog
一昨日の練習は代振りのS先生でボロディン2番。
実は難しいのは2と4で1と3はなんとか、、と思っていたら意外に出だしからしてけっこうばらつく;フェルマータからテンポに戻る際のカウントの感じ方や弓を戻すスピードにばらつきがあるのだろうと思う。
特にセカンドがばらつくという指摘を受けて、パートでつかまった;
パートだけで弾かされるのは緊張する・・・が、よく考えると学生オケ時代は恐怖の一人弾きもあったんだった;まだマシだ;
前の弓を見て合わせようとするが、何度もつかまる。
自分は弓は合わせてるつもりだったけども;難しい。
するとS先生がトップだけ、さらには1プルだけ弾かせて、後ろに見せた。
「大変個性的に弾いている、これに合わせなさい」
そこで言われた一言が心に残った。
「前に合わせること、そのために演奏法の引き出しを自分の中にたくさん持っていないと」
具体的には次のカウントをフェルマータの伸ばしてる最後に取るのか、弓を戻すタイミングで取るのか、それを前の弓を見てとって自分の取り方をさっとそれにあわせられるかどうか、ということ。
引き出しをたくさん持っておいて、それで合わせられるようにする、っていい言葉だなあ。。と思い、今日の練習メモw

こないだの人のように、「私が合ってるんだから/私が正しいんだから」というのと真逆にあることだと思う。自分の内容を豊かにして、それで色々な表現に合わせていこうと歩み寄っていく気持ち、これがパートの音を作り、アンサンブルを作っていくのだなあ。。。

気を取り直して頑張っていこうと思う。

夜はフィギュアの女子を見た。彼女らの頑張りを見てると、一瞬の表現にかける情熱が痛いほどに伝わってきて、相当な練習を重ね、大変なプレッシャーに堪えて自己表現を突き詰めてる…自分も練習しなくっちゃ、という気になるんでした。


決着

2008年03月13日 | Weblog
昨日の練習は代振りのS先生で前プロ2曲。
ここのとこ、別の方の仕事の最初の締め切りがきていてそっちに気をとられ、ろくに練習せず;かといって練習しないでそっちやらなくちゃ、、、と思いつつ、そっちもけっこう逃避していたのでダメダメな人間だった。あと土曜日は都内に出かけたりもしていて。。。
・・などと言い訳はともかく。あまりに楽器を触ってなかったので、早めに会場に行きロングトーンなどしばし黙々と続けた。開放弦を鳴らして音の響きを作る。。私にとってはこれは書道をやる時の墨を擂る様な行為。漫画家さんだったら枠線を引くような行為かなw
仕事や日常のことから離れて音楽に入っていくための準備運動。遅れて練習に参加するとこれが出来ないので集中力に欠くし、音の鳴りも違うので、私はなるべく早めに会場に入るのだった。毎回弾くたびにかなり長めにロングトーンをやるので、けっこう音は鳴るようになってきたと思う。。

S先生は丁寧にペレアスを見てくれて、たいそう細やかな練習だったのだが、それでいて時間配分は絶妙に上手いのだった。しかし役員から話があるとかで30分前に終了。個人練習しないと!と心中猛烈に反省しつつ、総会へ。
先回の「事件」についての話だろうと思ったらその通りで。。。

役員の方々は相当今回のことで頭を悩ませ役員会を重ね苦渋の決断をされたようだ。ホントに苦労がしのばれる話である。
そもそもあの「事件」では、指揮者を軽んじるような言動を取る一団員と、団員の総意で選んでいる指揮者のどっちを取るかという話だった、そもそも最初から。
もちろん、どっちを取るかとなれば迷う余地はない。
それにこれが大人気ない指揮者だったらその場で指揮棒を投げつけて帰ってしまってもしょうがないくらいの言動だったと思う。
うちは幸いにして人間ができたS先生だったからその場がなんとかもっただけの話なのだ。そういうことにも気づかないで昨日「(練習後やその後の)先生の対応はどうだったのか?」と聞いた人もいたが、的外れもいいところである;;;正直呆れた。
私は今回の役員の方達の決着の付け方を支持する。
そして当該の人物からは昨年来そうした傾向(オケ全体を軽侮した態度)ははっきりした言動に何度か出ていたのに、それを止めることもなくどちらかというと一緒に同調し、当該の人物を更に増長させてしまったパートトップにも非はあると私は思っていたが、それも昨日の練習の最後で正式に団員に向けての謝罪もあった。私にこれ以上言うことはないし、これ以上言うと当該の人物を攻撃するだけのこと。
ともかくご自身の自信に合う高いレベルのオケを新たに活動の場と移されてそちらでまたご活躍されれば宜しいかと思う。

当該の人物には区別がつかなかったらしいが、技術の向上を目指して意見を言うことを非難しているのではない。上から目線でしかもまったく相手を否定するような物言いはないだろう、と言っているのだ。またどんなに自分に自信があっても、技術が劣るとして他のパートひいてはオケ全体を軽んじる資格などある人はいない。私達はあなたさまにご指導を賜る立場にはない。
どうぞ、今回に至るまでの御自身の言動をよく振り返って是非次の場所では軋轢をおこさないよう、頑張っていただきたい。。。と思うばかりである。

台無し;

2008年03月05日 | Weblog
今日の練習は久々のS先生で、ボロディンの2番、全楽章。
まだまだ曲の風景を確認、みたいなもので、弾けてない吹けてない中での合奏。
私自身もまだ弾けてないところが多く、カウントを取り損ねたり。
でもだいぶ曲も聴いたし、譜読み自体は進めてきた。細かい速いとこが弾けてないだけで(だけで・・って;)

で、すごく楽しんで合奏に参加していたのだが、4楽章の後半である事件(!)が起き、気分は台無し。
ここでは詳しいことは書きたくもない。
なぜなら楽団のマナーのレベルを疑われるようなホントに最低の基本常識外のことだったから。
ともかく私はこの件で非常にムカついたし、後ろ振り返ってよほど「うるさい」と言ってやりたいくらいだったが、ぐっと堪えた。他の人もぐっと我慢してるのが分かったから。その代わり終わってからそこのパートのトップには「うるさいですよ」と言っておいたが、練習後もムカムカして怒りが収まらないくらいだった。(←短気)

正直、あんなふうに空気を読めない人間に音楽を語って欲しくはない。結局「あなた何様」って話である。
具体的に内容を書いたら多分、うちは最低のオケだと思われるだろうな;
あーやだやだ;



2楽章だった;

2008年03月03日 | Weblog
先回の日記でカウントが取りづらい「3楽章」を譜読みしていったと書いたが、2楽章の間違いだった;
どうも一つ振りのこういう音形の楽章ってイメージ的に3楽章にありがち、というのがあってつい間違えてしまったーー。
一つ振りって難しいんだよなあ。そんで私はシンコペも苦手だし。
へミオラって何?それって食べられます?ってくらいなもんだし。

話はまったく変わるが、私は九州の片田舎育ちで、両親ともに音楽の素養はまったくなく家には音楽的環境はなかった。
強いていえば、二つ上の姉がピアノを習っていて、さらには中学でブラスに入り、クラリネットを始めた。姉は負けず嫌いで優等生で中高と殆ど首席で通したような人だったから、クラものめりこんで、わざわざ自分で楽器も買ってしまったくらいだ。その姉の影響で私も中学ではブラスに入ってクラをやった。
私はなぜだかE♭クラリネットだったが;

なんで私ら姉妹は音楽に向かったのかなーと考えることがある。姉はピアノを習ったが私は不器用だったので、人前で恥をかくのが非常に嫌いだった。両手両足別々のことをやるなんてムリ!と思って、できないこと苦手なことを避け、ピアノではなく書道を習っていた。でも音楽は好きだった。

うちの両親は田舎者だったけども、やっぱりどこか美しいものに憧れるようなところがあったのだろうと思う。
LPなんてまだまだ高くて家にはそんなに枚数もなかったが、私が子供の頃に繰り返し聴いた一枚が「少年少女世界の旅」とかなんとかいう世界の童謡みたいなものを集めたものだった。ウィーン少年合唱団の歌う「美しき青きドナウ」で始まるそれを私はなんだかたいそう気に入っていつも繰り返し聴いて、歌詞カードを見ながら適当なドイツ語で一緒に歌ったものだった。小学生くらいの時。
多分私が今クラシックをやってる原点はあの一枚のLPだったんじゃないかな、という気がする。
高校の時は合唱部しかなかったから合唱に入ってソプラノで歌った。大学では合唱も吹奏もあったのになぜか管弦楽団を選んだ。バイオリンがやってみたい、ただそれだけだったのだけど。歌を続けていても良かったのだけど。

それと文学と絵画への憧れも、やっぱり家の環境にあったのかなあ。。とも思う。母は昔文学少女だったんだそうだ「昔狭き門とか読んだのよ」と言ったことがある。(私は今だに読んだことないよ>母)
父が私らに揃えてくれたのは小学館の「少年少女世界の文学全集」。
家にはそんなにたくさん本はなかったから、ともかく私はこれを繰り返し読んだ。ドイツ、フランス、イタリア、中国、ロシア・・様々な国の物語を綺麗な挿絵で読めたのは子ども時代の私の原点になっている。
(ちなみに中学・高校時代は図書室に毎日通っていたので、学内で一番本を借りたと表彰されたことがあったが;単に本を買えない貧乏だったからでは;という思い出が。)
国によって違う世界観・イメージがあることがここで自然に吸収できたのは良かった気がする。。。というのも、今、音楽をやっていて、曲を聴くとぱーっとイメージが広がるからだ。楽典の難しいことは勉強していない私には分からないのだが、作曲家がイメージしている音が理屈抜きに分かる部分がある、それはあくまでも気がするだけなのだが;それがいわゆる「感性」というものなのだとしたら、田舎育ちながら、本好き音楽好き絵画好きに育ててくれた両親の憧れに感謝したい。あの人たちは何も持たなかったけども、何かやっぱり原点を与えてはくれていたのだな、という気はする。


・・とはいえ、広がるイメージを具体的な音にするのは結局は音楽的なテクニックであり、知識であり、練習である。。そこに対してセンスをもってるか?というと、うーん、、という感じなので、やっぱり地道に精進あるのみだな;