アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

ラヴェルを聴く

2012年03月28日 | Weblog
久しぶりに聴いたラヴェルの「ボレロ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ダフニスとクロエ」である。
「ボレロ」を聴くと学生時代に友人達と映画館のオールナイトで見た「愛と哀しみのボレロ」を真っ先に思い出す。
作中ではジョルジュ・ドン(このカタカナ表記は現地の発音とは随分掛け離れてるらしいが日本ではもうこれで通ってるので私もそのまま使う http://www.jorgedonn.com/)が踊り続けていた場面が非常に印象深い。
というかそのほかの物語部分は入り組んでいて殆ど覚えてない。オールナイトで3本だったか見続けて半分寝てたかもしれない。
4人の芸術家がその両親から戦中戦後を通して様々な運命をくぐり抜け、最後同じ舞台での共演という縁で一堂に会すという話らしい。

Wikiより
≫『愛と哀しみのボレロ』(あいとかなしみのボレロ、Les Uns et les Autres)は、クロード・ルルーシュ監督による1981年公開のフランス映画。
1930年代から1960年代にわたり、パリ、ニューヨーク、モスクワ、ベルリンを中心とするフランス、アメリカ、ロシア、ドイツにおいて交錯する4つの家族の人生を描く。作中ではジョルジュ・ドンによるバレエのボレロが強い印象を残す。


単調なフレーズを繰り返しているようでいてソロ楽器を変えながら徐々にピークへと登りつめていく音楽は、奇しくも同じ運命を移調して繰り返す人間模様のようで不思議で美しいし素晴らしい。
4人の芸術家のモデルというのがルドルフ・ヌレエフ、 ヘルベルト・フォン・カラヤン
、 エディット・ピアフ、 グレン・ミラーと超有名どころだったらしく当時はそういうことも分からずに見てた気がする;

「ダフニスとクロエ」も元々バレエ音楽で管弦楽用に抜粋して組曲にしたものを聞いたわけだが、こちらはやや退屈。しかし元のバレエの初演情報を読むと凄い。

Wikiより
≫全曲 - 1912年6月8日、シャトレ座(パリ)。指揮はピエール・モントゥー。バレエはロシア・バレエ団で、フォーキン(振付)、レオン・バクスト(美術・衣装)、ヴァーツラフ・ニジンスキー(ダフニス)、タマーラ・カルサヴィナ(クロエ)ほか。


バレエマンガの第一人者・山岸凉子さんがニジンスキーの生涯を描いた『牧神の午後』という名作があるのだが、これで知ったような名前がぞろぞろ(当たり前だが)。
この初演見たいもんだw
そしたらもう少し音楽も分かるかも。まあ初演と言わず、バレエ音楽はやはりそのバレエを見た方がより理解出来るよね。
交響曲とか元々あるのを振付に使ったんじゃなく、バレエのために作られた曲はということですが。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」これはラヴェルの中でも大好きな曲。ヴァイオリンは演奏するには少し面白くはないので、この曲については聴く側の方で良いw
しっとりと哀調を帯びた美しい曲。
これは誰か特定の王女のために作曲されたとかではないそうだ。
Wikiより
≫この古風な曲は、歴史上の特定の王女に捧げて作られたものではなく、スペインにおける風習や情緒に対するノスタルジアを表現したものであり、こうした表現はラヴェルによる他の作品(例えば『スペイン狂詩曲』や『ボレロ』)や、あるいはドビュッシーやアルベニスといった同年代の作曲家の作品にも見られる。≫≫

そうそう、とってもノスタルジックで良いのだよね。
私の好きな漫画家で故・佐藤史生さんが同名でコミックを描かれている。
有名な画家を父に持つ聡明な女子高生七生子を主人公に、その父母達の若かりし日の愛憎関係が明かされるという物語。この中でこの曲を使ったオルゴールが重要なアイテムとして登場している。曲を知ってる人は作中で開かれたオルゴールから流れる曲のイメージが物語の中でいっそう効果的に作用することと思います。
佐藤さんはまだお若いのだけど一昨年4月にガンで亡くなられました。
その死を悼むファン、作品を愛し続けるファンはいまだ多く、このタイトルで復刻本が出ることになりました。

http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68320255

4月4日に亡くなられて今年は三回忌、4月中の発行は良い供養になるように思います。
興味のある向きは是非、ぽちっとご購入をお願いします!
この一冊が売れればシリーズでどんどん本が出るかも。
私は佐藤さんの商業出版コミックはほとんど持ってますが
惜しむべき才能を是非未読の方にも読み継いで欲しいので…。

あれ?途中からなぜかコミック話にw
いやいや、いい音楽を聴きながら是非名作を味わってみてください。
お薦めです。

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ヘンデルを聴く

2012年03月18日 | Weblog
ヘンデル「水上の音楽/王宮の花火の音楽」を聴いた。

ここのところマーラーだのショスタコだの聴いてたらなんだか疲れた…
実を言うと昔はヘンデルとか聴いても(ちょっと退屈…)と思っていたのだけど(だからあんまり普段は聴かなかったw)、久々に聴いたらこってりしたわけの分からないフルコースを食べて疲れた胃にはぴったり!みたいな感じで(おい;)美しさが五臓六腑に染み渡る~~~という感じ。
古典って美しい…と素直に思ったです。

特にショスタコの後にしばらくヒンデミットの「画家マティス」を聴いた後だったので余計に素直な音楽が楽しめました。ヘンデル、美しいーv

ヒンデミットは3回くらい繰り返し聴いたのだけど、これにどんな感想を持てば??というくらい何もまとめられそうもなかった。そもそもオペラで作曲したやつから部分的にオーケストラピースにしたようなので基礎知識なしに聴いても…。
聴いたのは初めてではなかったけど前に聴いた時も私にはさっぱり??だったが久々に聴いても結局よく分からなかった;;
近代に入ってくるとややこしいことをいっぱい考えなくちゃいけないらしく面倒だなやー。
ただ、今回聴きなおしてライナーノーツをちゃんと読んで分かったのだが、私は「マティス」は勝手にアンリ・マティスだと思っていたのだ!!
でも実は画家マティスとは「マティアス・グリューネヴァルト」だそうだ(知らんわ#)。
画家でマティスといえばフォーヴィスムの方が浮かぶのが普通じゃないのか~、てっきりそうだと思い込んでいたので音楽の意味がさっぱり分からなかったのだが、マティス違いということで今回ちゃんと説明を読みなおして、画家の方の説明もちゃんと読んで絵も眺めて標題を読みなおしながら聴いたら多少は分かった…。
ほんに面倒くさいことである…。
ちなみに個人的にはアンリ・マティスの方の絵はけっこう好きなので、説明も読まずに聴いてた時はあの絵とこの音楽はどうつながるの??だったのは当然だ(我ながら笑える。)
ヒンデミットはナチスに睨まれたりしたようなので、それもこのマティアス・グリューネヴァルトという画家と取り上げた画題のことが分かっていないとこの音楽の意味はさっぱり分からないし、なぜナチスに睨まれたかも分からないわけなのでな~。ちゃんと調べないといかんわ…。

その点、ヘンデルはお貴族様の音楽で、難しい説明を読まなくても普通に美しさを純器楽的に楽しめば良いので、そんなこんなで疲れた後では結構楽しかったのであった。
でも2回目3回目聴いた頃には段々飽きてきて、こういう曲は聴くより演奏する方が楽しいよな~vvとちょっと思った。自分の腕はおいといて、であるが。

世界史とか音楽史とかあんまり分かってないので、もうちょっと作曲家の年代とか背景とか気を付けながら音楽を聴くようにしようと思うよw


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ショスタコーヴィチを聴く

2012年03月06日 | Weblog
ショスタコーヴィチ交響曲10番
カラヤン指揮 ベルリンフィルを聴いた。

マーラーの「大地の歌」を聴いてから聴いた方が良かったかもしれないが、マーラーはちょっともうおなかいっぱいになったので手元にあったCDを飛ばして(「復活」とかもあった)たまたま次にあったやつを聴いたのだが、これがまあ重い。
カラヤンはショスタコではこの曲しかやってないらしい。
そもそもスタイリッシュなカラヤン(と言う言い方が正しいかどうかはおいとくが)この曲をなぜ振ったのか、そこには政治的な絡みでもあったんじゃないか?と勘繰ったりしてしまうが、まあその辺のとこは置いておく。
一曲しかやらなかったとこを見ると、カラヤンはショスタコの曲を別に好きではなかったんじゃなかろうか、だってなんかこの音楽性がもう暑苦しいじゃないっすか…w

それはそれとしてこの演奏自体は素晴らしいのではあるが
いやまあ、もうほんとにおなかいっぱい。
全然好きにはなれない。
共産圏の鬱屈と憤懣の音楽。
独裁者スターリンの死後、一気に書かれた曲らしいが
スターリンのスケッチとかなんとか作曲者本人の言質もあったり?でもスケッチとかより、ともかく溜まりにたまっていた憤懣が一気に噴出するかのような荒々しい情動だけはよく分かった。
最終章では解放もあるが、美しさはない。
ロシアではなくソ連の音楽である。
楽典的な知識がないので、オーケストレーション云々の部分は全然分からないので、暗い情動の噴出の音楽を聴いてもなあー、好きにはなれそうもない。
なんとなくアーミーカラーの国民服を着た団体が無機質にかつ荒々しく動くようなバレエをイメージした。そういう振り付けには生きる音楽かしらん。
しかも、この作曲家は自分のイニシャルのモノグラムを音楽の中に入れてるらしい。なんちうナルシスティックな;きもいわ#

Wikiより
≫自分のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われている(こうした手法をモノグラムという)。このモノグラムが『ショスタコーヴィチの証言』でスターリンの音楽的肖像画であるとされた第2楽章までは現れず、第3楽章になってから現れ始め、第4楽章に至るとあらゆる場面で用いられることからも、スターリン体制が終焉し解放された自分自身を表現しているのではないかとも言われている。



偶然だが、昨日はスターリンの命日だったらしい;
(余談だがプロコフィエフも昨日命日だったらしい…)

そしてプーチンが再選した。

日本に住んでいても日々鬱屈は溜まるものだが、よそごとながらロシアはもっと恐ろしいように思わるる。

この音楽の持つ憤懣や鬱屈は全世界的にまだまだ全然現役だ;
もっと美しい音楽が満ちる世の中になってほしい。



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