アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

千里の道も一歩から 2

2010年11月19日 | Weblog
そして先回はチャイ4でした。

ちゃいよん、と略すとなんだか、ちゃいちゃいっと弾けそうな気がするがそんなことは本当に畏れ多い話で、今のところまったく歯が立たないレベルである。
先日の定期プロの田園も難しいとはいえ、ベテランの多いうちの団だと初見大会からある程度そこそこ形にはなったのだが、チャイ4は形になるどころではなく。
私のイメージの中では
某ナウシカの、クライマックス近くに出てくる巨神兵がまだ全然形にならないまま立ち上がろうとしてどろどろっと崩れ果てていくシーンが浮かぶのだった。
まあそのくらい形にならない。

1楽章はともかく長い、そして複雑。
テンポを落としてもらっても難しい…

曲を何回も聴いているが、チャイコって「大事なことだから二回言いました」どころではなくてホントにもう何回も何回も繰り返すのだねえ。
ライナーノーツの解説者がおもわず「しつっこく」という言葉を使っていたのにちょっと吹いたが、確かに「しつっこく」繰り返されるテーマがねばっこく感傷的に何回も出てくる。私はしかし好きだからいいけど、こういうの嫌いな人は嫌いだろうなあ。。。

まずはスコア見て自分のパートが歌えるようになることが先決なのではなかろうか。
歌えないものは弾けないデス。
逆に言えば歌えるようになれれば弾ける!!(はず、、)
慌てて楽器を持つ前にまずはそこから。
千里の道も一歩から  第二弾でございますw

そういえばチャイコフスキーはホモセクシャルだったようなのだが、解説読むと一度(女性と)結婚して失敗してるのだよねえ。
この曲はちょうどその失敗した結婚による絶望もあるみたいなのだけど・・・
まあ当時のロシアでは禁じられておりましたからねえ・・・同性愛。今現在向こうでどうなのかは知らないけど。日本は武家社会に衆道というのもあったし僧侶の世界でも稚児はいたわけだし、比較的男色に寛容な歴史を持つのだけども(大体、オカマの語源は「お釜」でこれは当時の僧侶世界の隠語でお尻の意味だし;)、キリスト教ではそもそも男色は犯罪でヴィクトリア朝のイギリスでは牢獄に入れられたりなんかもしちゃってたらしい。「産めよ増やせよ地に満ちよ」って宗教だからなあ。。。

「幸福の王子」の作者オスカーワイルドさんなんかその罪で監獄に入れられて「獄中記」なんぞ書いておられる。
ロシアでもキリスト正教?やっぱり罪だったみたいだから、チャイコフスキーもけっこう苦しんだのではなかろうか。伝記とか詳しく読んでないけど、、、結婚したお相手の女性も気の毒だよねえ・・。結婚生活が味気なく、しかも挙句の果て旦那さん=チャイコ=に自殺未遂まで謀られちゃった日にゃあ・・。

そんで作曲は内面的にとても絶望してて暗鬱だが、歴史上の外的背景も戦争の陰鬱の中にあるわけで、そりゃ繰り返しメランコリックな旋律にもなるわ!って感じです。
幸福(のイメージ)は幻のように儚く浮かんでは消え、暗鬱の運命は敢然と降りかかる、振り下ろされる斧のように。二つは交錯して織り交ぜられ「あざなえる縄」のように複雑に織り上げられていくのだね・・それがこの長い長い一楽章・・なわけだ・・。

まあそういう表現のとこに行く前にまずは音符を並べられないことにはこれもまた話しにならんわ。頑張ろう、、、。




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千里の道も一歩から 1

2010年11月19日 | Weblog
先々回の練習はモーツァルトだったのだけども、都合で遅れてしまった。
そんで席に着いたら同時に休憩というタイミングで、T姉さんが
「もう速くて弾けないのよ~1楽章、速くて;;」言ってくるので
「弾けないですよねーーーゆっくりならまだいいんですが~」
などなどわいわいと皆で零していたのだった。
したらば(多分S先生には丸聞こえの会話だったと思われる)、合奏練習に入って先生から出た言葉が
「ストバイここのとこは特によくさらっておいて#この曲を選んだ以上、弾けないという選択肢はない」

弾けないという選択肢はない!! 
(大事なことなので二回書きました)

うわーーー;
その時私の頭をよぎったイメージが
でっかい五寸釘をこれまたどでかい鉄槌でもって打ち込むの図、でございました(思わず丁寧語)
まさに釘を刺された!というやつです(笑)
先生の毅然とした表情もまたステキにトドメを刺してくださったりして。
いや、しかし笑ってる場合ではない。

これなんだよねえ、私がモツが苦手な理由。。。
一人一人が確実にクリアに音符を並べることが出来なければ話にならん!っちう音楽性。もちろんどの作曲家もそんなのは基本的に要求してると思うのだけど、でも特にモーツァルトの音楽性ってテクニックの粒が揃わなければ表現という土俵に立てないという感じがして、プレッシャーに弱いド素人にはかなり敷居が高いのだった。

ただし、個人練習でテンポを落として確実に弾く練習をするのにも非常に勉強になる曲。曲のところどころにあるちょっとしたお遊び感覚はトラップにも似て簡単そうでなかなかに出来なかったり、デュナーミク一つとっても油断すると全然ダメだ。まったく気が抜けない。
モーツァルトの音楽はある時期はプロの演奏家達にとっては退屈な練習曲扱いされていたことがあるというようなことを聞いたことがあるが、それは単にこの曲の表層だけで終わってた話なんではなかろうか。
この人の音楽って楽譜に書いてあることが完璧に出来るようになったその先にもう一つ何かあるということなんじゃなかろうか。
その何かというのが何かというのは難しいことは分らんがw

ともかく、この楽譜を全員で軽々と弾きこなせたその先にこの人が表現した音楽の秘かな愉しみというか、ユーモアのセンスとかあるいはエスプリとか?洒脱とか・・そういう表現の世界が展けてくるのであって、苦労して苦労して音を並べることもなかなかというレベルでは届かないんだよねえ・・・という気がするので、不器用な私は苦手なんであった。
一見手が届きそうでまったく手が届かない高いとこにあるんだよね。
でもやらない限りは梯子も伸ばせないから、頑張って一段でも高いとこから手が伸ばせるようにしていきたいと思います。
それには一歩ずつ確実な練習を致しませふ。

千里の道も一歩から、でございますよ。

そうそう、先生の上のセリフを聞いた後にさらに頭をよぎった言葉が
古代ギリシャに存在したという一都市国家の教育制度のことでございましたですねえ・・・w
思わず頭で古代史を探しちゃったですよ・・・ふー。


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譜読み大会2

2010年11月08日 | Weblog
先週の練習は実質的な譜読み大会1・・メイン指揮のS先生での初回でした。
いやもう容赦なくほぼインテンポ・・
予想はしていたのだけど、前回のSY先生のテンポを落としてでの初見大会ではまあまあ弾けたモーツァルトもインテンポとなるとまだまだ練習足りてないので弾けず;
チャイ4にいたっては1回目終わった後に私の脳裏を横切った言葉が
「死屍累々」!
弦楽器はトップが付いていってるのでなんとか成り立つとはいえ、多くの箇所を孤独な闘いにしてしまって、、、ふがいない後ろですみません、、、

いずれも2回目はテンポを少し落としてくださっての演奏・・
とはいえ、なんだかあまり落ちてないのでは、、、、、あれ~~~;
ともかく目指すテンポは十分すぎるくらい分りました、、呑気にさらっていては間に合わなくなるぞ、ということだけは身に沁みて;

個人的には少ない時間の中でともかく今は可能な限り曲を聴く、譜を見るという
なんせ家ではあまり時間がないので通勤路でCDをかけ、助手席にスコア置いて信号待ちでささっと確認、、という日々。いくらも進みませんがセカンドがオクターブ下を弾いてるところも多いのでそういう箇所はセカンドで譜を入れたほうが頭で歌いやすいのでした;(頭が不器用なので不器用なりに思いついた方法;)
高音域は音取りが大変なので実際に弾くときもまずはオクターブ下で弾いてみたりしております。
チャイ4はともかく構造が複雑なのでスコア首っ引きです;
家でゆっくり曲を聴きながらスコア読みが出来ればいいのだけど、なかなかそういう時間が取れないのが残念・・・ない時間を絞り出しつつやっております。

モーツァルトは音域はともかくテンポの中にクリアに音を並べるのがともかく大変で;
古典の純器楽曲だと思うのに、モーツァルトの音楽にはマンハイム学派の整っているだけの音楽とは違う何かがあるのはなぜなんだろう。
天才だからと言えば速いが…不思議だなあ…。
オペラの序曲にしても、ベートーヴェンの「フィデリオ」序曲にはない物語性がものごっつある。曲を聴いて何か後に出てくる世界の空気感というか。
演奏会のために何回も聴いたけど先回の定期プロでどうしてもあまり好きになれなかったフィデリオ、、正直ベートーヴェンには物語音楽は合わないよね、、と思わずにはいられなかった、、。観念的なエグモントとかコリオランのほうが合うんだよねえ。
物語と合わないというより娯楽性と遠いってことかなあ・・・。
同じように世紀を隔てて残っている偉大な天才とはいえ、それぞれの個性というものだろうか。

チャイ4は家の中になぜか何枚もCDがあった。
それで思ったのだけど、やはりロシアの音楽はロシアの指揮者、オケで聴くのがいいかな、と。そういうことでムラヴィンスキー指揮のを多めに聴いてます。
が、いつもバイオリンのT姉に私家版プログラムCDの作成を頼まれるのだけどそれにはうっかりしてカラヤン指揮のにしてしまった;
勿論カラヤンのもいいんだけど。。。。
ムラヴィンスキーの方がちょっとだけいいような気がするのですよ、失敗したなあ。。

T姉さんが私にCDを頼むのは持ってるのがみんなカセットテープ時代のだからだそうでwまあ自分用にも出来るからいいんだけどね。

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