アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

『ドン・ジョヴァンニ』序曲

2011年02月05日 | Weblog
先回の練習は久々に定期演奏会のプログラムに戻ってモーツァルト二曲。
先生の話を聴いて、ドン・ジョバンニの内容をちゃんと調べてなかったなあ、と反省。

以下ウィキより
≫台本は『フィガロ』に引き続きロレンツォ・ダ・ポンテによった。ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公である。もっとも古い作品はティルソ・デ・モリナ(1630年)といわれるが、ダ・ポンテはオペラ化するにあたり、同時代のベルターティの先行作『ドン・ジョヴァンニまたは石の客』(1787年)やモリエールの『ドン・ジュアン』(1665年)を参考にしたものと思われる。特に、ドンナ・エルヴィーラはモリエールの創作と思われ、この作品からの影響は明らかである。

モーツァルトは、この作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼んだ。ドラマが正調の悲劇を表すのに対しジョコーソは喜劇的の意味であり、作曲者がこの作品に悲喜劇両方の要素を込めたと解釈する研究者もいる一方、単に喜劇の意味であるとする解釈もある。このような議論が生ずる理由の一つは、第2幕の最後に置かれたドン・ジョヴァンニの地獄落ちに至る場面の強烈な音楽や、執拗に彼を追いかけるエルヴィーラの行動と彼女に与えられた音楽に、通常のオペラ・ブッファらしからぬ悲劇性を感じ取ることができるからであろう。


昔は色男=遊び人のことを「あいつはドン・ファンだ」と言ったりしたものだけど、そういや最近この言い回しは聞かないなあ。
今だと「あいつはエビゾウだ」の方が通じちゃうのかもしらん。

色事のもつれから人まで殺しちゃってその悪事の報いで地獄に墜ちた男という話の筋からいけば非常に勧善懲悪的な説教臭があるのに観念的な感じじゃなく、この音楽の豊かなドラマ性はさすがだと思う。
素人なのにこう言っちゃ悪いけどベートーヴェンの「フィデリオ」序曲にはない場面のイメージがフレーズにちゃんとある気がする。そして無駄がない。
同じ天才でもやっぱり向き不向きがあるんだろうなあ。

実を言うと富士見の演奏会が終わったらどっぷり反省が押し寄せてきた割にはなんだか仕事も忙しくて疲れてしまってあまり楽器に触ってなかったのだけど、一夜漬けみたいに練習していったのだった。
指が回らないことこの上なく、、、ヤバいヤバいと練習に参加したのだったけど、周囲の人たちがさすがにベテランで全体的には2月の割にはいい感じという和やかムードな練習だった…個人的にはまだまだ全然回ってないので、きちっとやっていかないと;
ただ、チャイ4に比べれば音域が低く音はまだ取れるので、ゆっくりきちっとさらうところからやればマシ。
チャイ4は音は取れんわリズムは取れんわ、ナイナイ尽くし。。。

ナイなりになんとかとっかかって行かねばなりますまい。


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