アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

河出書房新社「三原順 特集号」

2015年04月16日 | Weblog
三原順という少女漫画家は私が10代の思春期の頃に友人たちと夢中になって読んだ作家でした。
絵は目が顔半分くらいのキラキラした可愛いものなのですが、実は内容はすさまじく深く、後になって知るのですが作家さんの読書には数多くの哲学書・心理学書等々の膨大なものがあり、それらがセリフや物語展開の中に織り込まれておりました。しかも10代の少女たちに楽しめる形に変換してです。これは凄いことです。

1979年のスリーマイル島の事件の後は、アメリカの原発を舞台にする物語「Die Energie 5.2 ☆ 11.8」なども描かれていたんですが、それは実にチェルノブイリの原発事故の起こる前。
どれだけ問題意識が早かったのか、と今になって舌を巻きます。
しかも単なる反原発の立場ではなく(主人公は電力会社勤務)、さまざまな立場の人を描きながら、利権問題も絡め複雑に進行する物語です。単純に善悪分かれない。
今読んでもそこに出てくる各種の問題は、現在の状況にもそのまま当てはまるものが多く、福島の原発事故の後にこの作品は皆が口々に語りました、何年前に描かれた話だよ、すごすぎる、と。
原発問題を始め、政治的なことは私は白黒はっきり善悪が分かれるものではないとどこかでいつも思っていました。それだけにどこで落としどころを見つけるかが一番のカギだ、と。そういう考え方は実は子供時代から読んでいた三原作品にあったのだなと今になって思うことも多いです。

残念ながら若い頃から心臓を患っておられたので、病死されたのが今から20年前。今となっては私自身はもう先生の享年を追い越してしまいました。
作家の死を知ったファンの熱い声で、ファンの手で原画展が開催されたのが1998年、そのほかにも本が何度も復刻される運動が起き、現在は、神保町の米沢嘉博記念図書館で原画展が開かれています。

http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-miharajun.html


そして4月に入って、河出書房新社さんから特集本も出ました。
カラーがいっぱい収録され、作品リストなども充実した一冊です。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309275796/

三原順のファンの方には是非お手元に置いて頂きたい一冊です。
この本の編集を「図書の家」がやっております。
私は一部お手伝いということで、作品データ部分のあらすじ作成に協力しております。
(全体の仕事量からいくと微々たるものです;1月から2月はけっこうこれに時間掛けてました…が、さほどお役に立てずすみません、という気持ちです。)


ここを普段読みに来る方にはあまり縁がない話かと思いますが、検索で来て下さる方の目に留まりますように。
おかげさまで非常に好評で売れ行きはまずまず良いそうです。一ファンとしても非常に嬉しい。
重刷かかるといいなと思っています。
三原順のキーワードでいらした皆様、どうぞよろしくお願い致します。

いよいよ残り1ヶ月

2015年04月16日 | Weblog
月日が経つのは早いもので、既に残り回数わずか、焦りますね~。
特に個人的に最初の1か月半くらいあまり練習しないで来ていたので、まだまだ~~~まずい~~というところが多く。ふう。。。
コンミスが非常に練習熱心な方達なので、私のようなものは本当に見習わなくてはいけません。
ブラームスでは高音域の音程がいまだマズイところの重点的な練習と、あと、バッハの後半、仮面のギャロップ、、、、問題多し(*私個人の感想です)。
でもできるだけいい演奏にしていきたいですねー。
そろそろ演奏会案内も書かなくちゃなー。

それにしてもS先生の腰がうちに来るたびに悪化するご様子で、演奏会本番まで大丈夫でしょうか。
終わるまでなんとか保ってくださいv(いや終わればどうでもいいって言ってるわけじゃないですよ。)

私は事務職でずっとじぃっと机に向かっているので腰痛予防に毎晩腹筋50回しているせいか、腰痛はあまりないです。頸椎症やってからこれの前哨は重度の肩こりと気が付いてからは整形外科に言われた肩こり予防の体操などもしてますが、肩の重さはなかなか取れません(骨が曲がってると言われたからなー;)←根性も曲がっているが骨も曲がっているのだな。
運動不足を少しでも解消するために週二回だけども朝5時半に起きて30分ウォーキングしてますが、これも始めてからどうにか4か月は過ぎましたね。地道な性格なので何かを継続することはけっこう得意です。
腹筋ももう6,7年くらいはやってるんじゃないかなあ。
普通なら腹筋が絞れてくるはずなんですが、元々がレスラーのような体質で筋肉の上に脂肪が乗っていて脂肪が減らないんですよ。レスラーとかお相撲さんとか、そういう格闘技系の肉の付き方らしいです。
同じような運動しかしない夫は絞れていくので、どうも肉質の差らしい。脂乗りすぎです…。

閑話休題
ともかく、お大事にしていただきたいものです。

テンポ感

2015年04月09日 | Weblog
こないだのベト7でいろいろなCDを聴き比べたのが面白かったので、ブラームス1番もだいぶ前ですがやってみました。
指揮者による個性の違いで一番分かりやすいのはテンポ感の出し方ですよねー。
これがもう同じ曲でここまで違うかというくらい。
部分的な溜め方の差もあるけども、でもまずは全体のテンポの感じ方が。
ブラームスやベートーヴェンでは図書館でも簡単に何人もの指揮者の演奏、また同じ指揮者でも違うオケ、年代の演奏も聴けるからより面白いかもしれません。

その中の一枚でA比奈隆の米寿祝いの企画コンサートの録音CDというのがあったんですが、私は特にAが好きでも嫌いでもないので、まあ普通に、ふーん?と思って借りたのです。好きな人すみません。
で、最初の方で(うわ、おそっ!!)と思い、そんでまあ失礼なことに(やっぱお年だったわけだし…)とか思うわけです。一般人だから。
そもそも私、あまり権威にどうこうって質ではないのでA御大だったらどれ聴いてもいいハズとかまず思わないので、普通に、最初は(遅い!遅いだろうこれはあまりにも!)と思ったんですよ。
でもこれがまあ、さすがに凄いのが、聴いていく内に、なんかこれは凄いことが起きているのだ、という気持ちになってくるわけですよね。ともかくプロだから一糸乱れないし、響きが美しいし、しかも、それだけ遅いのに音楽の推進力は衰えないわけです。中途半端なアマオケがもしこのテンポ感で弾いたら、絶対に聴く人をダレさせる、推進力を失った演奏になるはずです。なのに、そこをぐっと保ちつつ独自のテンポ感で進むんですよ、これは逆に体力と集中力が相当ないと振れない。途中から(年のせいかも、なんて思って悪かった!)と心中土下座でした。
そして最後まで、どこか胆力でぐっと音楽性を保ったまま、美しい音楽が完結したのでした。なかなか素晴らしい一枚だと思いました。ちょっと独自すぎて、私らのようなアマオケには参考にはし難い演奏ではありましたが。

さて、昨日の練習は全曲でした。
途中でS先生がテンポをぐっと上げて振った際についてくる人と来ない人が分かれて、ひええーと思いつつ弾いてたんでした。
終わった後に「自分のことでいっぱい、いっぱいでしょう」という厳しい指摘(指を指さないでください、明らかにこっち向いてるし#)←やや逆ギレ
はい、まったく余裕ないです。正直、第二だったら実はブラ1は今回4回目なので、そこそこ弾けると思うのですが、さすがに久々に高音域も弾かせて貰わないとと移動したら、まあ久々のせいもあって(もともと基礎ないし)、架線が増えると途端に音程が悪くなるという。そこで架線二本以上の音程の見直ししておけとかなんとかも言われちゃうしね。イタイところばかりをついてこられるなあ;(当たり前か)。
ともかく、練習が不足しているのは分かっているんです、はい。
一夜漬けのようにブラームスやっていったけど、練習はバッハからで、しまったバッハさらってなかったわ、はっはっは;と蒼ざめたりね、まあ今回はどうもそういうのが多すぎていかんですよ。
いろいろあるけど、頑張らないと。大好きなブラームスなので!(モチベーションはけっこうあるw)

歯科口腔外科 2

2015年04月07日 | Weblog
(前回の続きです)
そんなこんなで、まずは一からということで、先週の金曜日日中の内に義母が掛かっていた近所の歯科医に電話を掛けたら快くN病院への紹介状を書いておいてくれるということでそれを貰いに。ここにはわざわざG大まで連れて行って下さったお詫びとお礼を菓子折り持って先日行っておいたのでした。
電話では経緯を説明したものの、結局のところいろいろ言っても今話題のG大病院だから嫌なんですねというのが暗黙にあった感があったw
先生はすごく良い人で、翌日土曜日、夫は仕事だったので私はルンバちんと共同で部屋の掃除をしていたのだが、受付の人から電話があって(Nに行くまで時間が空くだろうから)、今の状態を診たいので時間はいつでもいいので来てくれとのこと。義母に散歩がてら行っておいで、と行かせた。処置はされなかったようだが、再度レントゲンを撮ったのをくれた、しかも無償だったらしい。気に掛けて下さるところに人情を感じたり。
(去年の夏、義母がひどい目に遭った近所の内科=皮膚の薬自体にかぶれていたのに大量に出し続けた医者=などは先に支払いだけ義母がしてしまった薬の連絡の際にその薬自体が炎症を起こしていたことは薬剤師に伝えた&薬も取りに行かなかったのに、一切その後を聞いてくることもないのに。)

で、まあいろいろ処置もあるから月曜の朝に予約はないものの紹介状を持ってN病院に。会社には経緯は説明してあったので午前中休む連絡を上司に。
N病院は皮膚科でお世話になった時にも雰囲気が良かったのだが、今回も受付から看護士、先生、みんな感じが良い。
結論から書くと、結局、検査設備としてはNよりG大の方が上らしい。Nの口腔外科は1年前の新設だったし、難しい症例はG大の先生に相談するのだそうだ。
紹介状の宛名だった課の責任者というのは優し気ではあったが、状況を聞くと、これはG大の方で受けて貰いたい、くらいの反応。心中、失敗したかと嘆いたが、立場的には下になっているM先生というのが元々G大の人だったらしいのだがこの人が良かった。
この人と話してみて、ああ、私は病院を変えたかったんじゃなくて担当医師を変えたかったのだな、というのを実感した。もちろん、受付の連絡の不備ぶりなど体制にも不満と不信はあったし。
ともかくG大のKとは雲泥の分かりやすい端的な話しぶり、やや過剰だったが受けを狙う明るい人で、何よりテキパキしていた。
実は今回の病気の発覚のせいではなく以前からGWあたりまでに奈良の長男夫婦のところに義母は転居する予定だったので、検査の後の治療・手術は奈良で受けたいのだ、だから検査そのものに慎重になっている、という私の説明の主旨をすぐ汲んでくれて、奈良だったらN医大病院に紹介状を書きましょうそこしかないときっぱり断言。学会で何度か行ってるとかで知己もあるらしいので、最初の先生にも転居のことは相談したし、転院も転居を理由にしておいたのだったが、そっちからはそういう話が一切出なかっただけに(単純にキャリアの差でしょう)、それだけでも病院を変えた甲斐がありました。
結局、やや強引ながらも転院の結果、良い医者にあたって良かったようだ!というところです。
結果的にはそれがG大出身の人だったとしても、大きな組織であろうと小さいとこであろうと結局は「人」だということです。
最初のKは私とはどうにも最初から相性が悪かった。

まだしばらく義母には振り回されそうですが、そんなことで一応週明けに本来受ける予定だった検査をNで受ける手配をしたのでそれまでは様子見です。

歯科口腔外科

2015年04月07日 | Weblog
さて、今度は口腔ガンの疑いとかが出てきた義母。それでも現在も一向に食欲は落ちることなくモリモリ食べて元気です。
何度も書くが、長生きする人は違う。ともかくよく食べる。
血液検査をするたびに医師たちが舌を巻く、血液の良さ。内臓年齢は相当若いと思われる。
私もまた我ながらちゃんと作るからなー、すごくバランスの良い食事を毎日取ってると思う。夫がたまに私に「おかず作りすぎ」と言うことがあるw

経緯としては、まずは3月10日頃、義母は自分で歯の痛みから近所のかかりつけの医師のところに行き抜歯したにも関わらず(翌日はちゃんと消毒もしてもらい経過問題なしとのことだったらしい)、その後も歯の腫れが引かず痛み止めもなくなって痛みが出てきてしまったので、3月23日月曜に再度来院した。そこで医師が抜歯のせいで炎症を起こしたのかどうかと慌てて(私と連絡が取れなかったので)医師の奥様が某G大病院に連れて行ってくれたのが先週の月曜の話。
ようやく私の連絡先を見つけ(私もそこにかかったことがあったので、その記録から保険証の登録を調べて勤務先に行きついたらしい。だもんで連絡は私の勤務先に電話があった。)「今G大で点滴を受けていて1時間半くらいかかるので迎えをお願い」と言ってきたのだった。
年寄とか子供とかいると緊急の何かかにかありますよねー。

それがちょうど月曜の夕方で1時間半後というのが6時くらいの話だったから、夫に連絡を取って帰路に回り込んで迎えに行くよう連絡を取りました。なんせ病院にいきなり行ってもダメだろうと思ったので、まずは受付に電話をして義母の身内ということで言ったのだけど、今は個人情報保護があるから簡単には教えない。しかも連れて行ったのは病院の奥様だったわけだが、義母の身内に迎えを頼んだ旨の連絡は先方にしてくれてなかった。さすがだぜ、町医者。まあそこまで気が回らなかったんだろうと思うことにする。

が、義母の生年月日など質問のままに答えて、経緯を説明したところ身内と判断して貰えて、とりあえず迎えの時間場所などの確認をした上で再度夫に連絡し、迎えはそれでOK。自分は普通に帰宅してごはんの支度をしました。
戻った義母はけろりとしていて、全然普通にごはん食べてました。
翌日も点滴に連れて来いというので、朝は夫が送っていき、迎えは私が午後休みを取って行ったところ、どうも炎症の原因がなんとも付きがたい。腫瘍の可能性もあるから今後いくつかの検査をして行きたいと言う。
そこは理解できたが、この担当医の説明がともかく下手。これだけ説明が下手だと診療も下手だろうという不信感が私の中で芽生えるのであった。ただでさえ疑い深い上に、義母の皮膚科騒動では現在の良い医者(これも町医者さんなんだけど、超評判の良い皮膚科で下手に宣伝したくないくらい口コミで患者さんが殺到している)に行きつくまで、当たり前の話だけど良い医者と悪い医者がいるという事実を身に染みていたところだったのでなおさら。

そういう疑心暗鬼の中でもとりあえず検査予定は組んでもらっていたのだが、水曜の夜になって(私がオケの日ですね)自宅に「金曜の検査内容を急遽変更したい、つきましては時間など変わるが良いか?」というのが助手の人から来たらしい。どういうこと?と思いますよねえ。
まあカンファレンスの結果、義母にもうちょっとはっきり腫瘍の内容が分かる検査を先にという話だったらしいのだが、どうもこの医者に任せていいのだろうかと思ってるところにそういう変更が来て、しかもG大はその日の朝も相当な騒ぎになっている。
で、夫とこの検査はいったん白紙にして、義兄とも相談しよう、などになった旨を翌日朝10時半までに返答欲しいということだったので私が電話したのだ。約束通り。「呼び出してくれて構わない」とも言われていたので受付に「×先生か助手の×さんと直接話したいが?」と言ったのだけど、受付はいったん保留して確認にいった上で「自分が聞いて伝言する」という。はあ、そうですか、と経緯と結論を説明した。それでなんらか折り返しあるかと思っていたが夕方までこっちには何も言ってこなかった。連絡の優先を私の携帯にしてくれとも言っておいたのだが。

そしたら帰宅したら別の受付の女性から自宅の固定電話の方に電話があって、「昼に電話したが義母に夕方にしてくれと言われた、明日の検査の内容の確認をしたい」と言い出したのだった。それも内容と時間を変更したいという連絡が当のG大の医者からあったのに、そのこと自体が該当の受付に伝わっておらず当初の予定の確認で、と言う。しかも既にその変更に対しての返答=検査を白紙に戻し引き継ぎで紹介状が欲しい=を私がしたことも結局は伝言もなんも一切医師には伝わってない状態で朝の受付とは別の受付が掛けてきたのだった。
そして言い訳として「午前に電話受けたのは自分ではないので」と言う。そういう問題か???
心底、ここの体制もうめちゃくちゃだなーと思ったのでした。

そんなとこで、老齢の義母にちょっと体に負担のかかる検査を受けさせることは出来ん!(老齢だと検査自体で激変することがあるので)と強く思い、その電話に私が「全然そちらの連絡が統一されてないようですが、どういうこと?」と言ったところで慌てて呼びに行ったのか代わって出てきた×先生にその旨言ったのでした。
しかしその電話に出てきた先生、一切の経緯がまったくなかったかのように、対面で受けた検査の内容の説明から再度始めようとするのであった。
ここに至って「お前のとろくさい説明を聞いてる暇はもうねえわ!」という主旨を丁寧な言葉で言い、病院を変えたいから引継ぎの文書を用意してくれないかと言ったのだけど、相手先が決まってないと書けないなど言うので、それはそうかも、と諦めて、じゃあもう一から受けなおすからいいです、と切ったのでした。
(続くw)

宇宙との交信

2015年04月02日 | Weblog
昨日の練習中のヒットはこれですね。自戒を込めてタイトルにしました。

まあこれまでなんだか音楽活動以外のことばっかり書いていたことでも分かるように、正直練習が足りていません。それで前の前の前の練習の時に「5分しか時間なければその時間を弾けてない難しいところに充てろ」という受験期対策の先生のようなご注意を受け、確かにそうだな、としみじみと反省したのでした。
だもんで、ともかく弾けてないところを減らす練習というのを心がけてはいるんですが、いかんせん、弾けてないところが多すぎるんですなー、はっはっは(ダメじゃん)

とはいえ、がちゃがちゃとした日々の暮らしの合間に、某イベントのことで時間使ったり某本のデータ作成のお手伝いなどなどしていたのですが、楽器を触る時間が取れたら、まずは上の先生の注意を思い出してやってました。(本は今週末出ます。とはいえ私の協力などは微々たるものでしたが。)

昨日は弦分奏でブラームスの2楽章からでした。(おお、2楽章はちょっとさらっておいた!)と試験でヤマが当たった感を覚えながら…w
でもやっててこれか、という感じではありましたが、まったくさらってないよりは少しでもさらっていればちょっとは違いました…よね…。
次が3楽章…いかん、すでにほとんどさらってなかった、、、と蒼ざめる私…。
次が4楽章…前半は多少さらってましたが、終わりの方になると時間不足でやってなかったもんでひどい、ともかくひどい。
したらば「さすがに見逃せない」ということでパートで捕まり、そこで宇宙との交信が始まったわけでした。
まあおおよそ想像つくと思いますが、高音域の音程がひどいことになってて、まあ何を弾いてるのかさっぱり;みたいな、、、これは私の個人的な状況…。
はあ、さすがにイタイところを突いてこられる練習ではありました。
それでも相当見逃してもらってるのも分かってはいるので、、頑張ります。

いろいろ厳しいですが、楽しいのは楽しいです。うまくいくともっと楽しいはずなんですが。


義母は皮膚の方がだいぶ落ち着いてきたと思ったら今度は歯の方で病院にかかり、抜歯したけど頬の腫れが引かないというので今超話題のG大病院に町医者さんの奥さんが連れて行ってくれました。
ああ、なぜによりによってG大、、と思わないではいられなかったんですが(先生が出身らしい;)、検査した結果、顎骨の方にガンの疑いがあるとかないとか(全然はっきりしない)で、今後検査を重ねていかねばならないとか。
が、なんか説明が下手な医者で、ひとしきり我慢して聞いてから「これこれこういうことですか?」とまとめなおすと「そうです」というような調子。
なんとか転院して別の病院で検査受ける方向で現在画策中です;総合病院って紹介状とかないとなかなか受付も厳しいと思うし、G大は自分ところが県内で一番と言う自負もあるようでそこから紹介状は書いてくれなさそうだけど、病院は変えます(きっぱり)。
というのも明日一応最初の検査受けることにしていたのに、ゆうべ自宅に電話があって検査内容を変更したいとか言って来たらしく、どうもその説明も前に聞いた内容と矛盾だらけなので、今不信感いっぱいなのですなー。
どうも今回の一連の不祥事で何か資格認定を取り消されそうとかなんとかあるので、検査入れたいだけなんじゃないの~?とか思ったり。

大きなところって逆に信用ならんですな。日本の医療体制はすでにガラパゴスらしいので。


4月になってしまった!

2015年04月01日 | Weblog
ぼやぼやしていたら今日から四月ですよ、びっくりですよw

3月は21日に私のもう一つの趣味であるコミック関係で大きなイベントがあって、今年に入る前からイベントのことは置いといても「そのあとみんなで宴会だー!」と騒いでいたのでした。

イベントについてはこっちにも案内を書こうかなーとか思ってましたが、もはや宣伝しなくても相当な動員数が見込めそうな勢いだったのでやめておきました(あと、いろいろ手伝っていたので書き込む余裕がなかった)。
それで、ネットのお付き合いを初めて約20年来の友人たちと久々に、それこそ会ってない人とは10年ぶりくらいに会える!というようなイベントだったので、だいぶ前から相当盛り上がっていました。
ミクシの方で幹事役の人が(関係メンバー限定でやりとりする)コミュを立ち上げてくれて、さて準備などどうしたものかなど打ち合わせに使っておりました。
幹事役はイベントの登壇者でもあったので、その後のオフ会についてはなぜか一番飲みたがっていた私が主に仕切るような流れになってしまい(なぜだなぜだ…)、しかも仲間内の宴会のはずが半分公式の打ち上げみたいな扱いになり、イベント関係者のエライ方たち(某出版社の元社長とか、編集者さんとかマンガ研究の著名な方達とか)も参加することに。
まあしかし私もこの際パーッとやってやろうじゃないかと気分を新たに、幹事役のHさんと「この際結婚式の二次会イメージでやっちゃろう!」と仕切るお手伝いに参加したわけでした。
なんでか私も昔から幹事役をやることは多く、会社でも総務歴が長いもので、何かあるとつい人の数を数えているようなところがある人間なので…。

幸い滅多に顔は合わせないものの長年のネットのやりとりで気心も知れてる仲間内(しかもみんな有能なんだな、これが)で仕事のやり方や分担を確認しあった結果、当日はイベント並びにその後のオフ会も仕切り完璧!楽しかった!という声をあちこちで頂き、大いに盛り上がったのでした。
一番飲みたがっていたはずの私は群馬くんだりから東京は神保町まで出かけたわけですが、行きがかりで打ち上げの司会進行役をやることになってしまい、宴会は全部で3時間だったのですが、その間3、4杯しか飲めなかったwこのワタクシが。薄めたお酒など酒ではないと豪語するワタクシが。

しかし同席した友人などから「この際転職した方がいい」まで激賞頂いた進行ぶり…だったらしく。自分ではそこまで褒められるほどじゃないよねえ?と思いますが。
50人集まった宴会だったんですけどね、まあそんなに畏まった席でもなかったし…さほど緊張もせず。
しかし目立つことはやらなくて済むように、やらないようにやらないように地味に地味に暮らしているんですけど…。
普段から人前で話慣れてるのかと思ったなども言われましたが、まあよく考えると若い時はいろいろ宴会の仕切りは行きがかりでしてたし、友人の結婚式となると何かしら受付か、スピーチか、歌、どれかは頼まれる質ではありました。若い頃私が結婚式でスピーチするとなんでか列席のオジサマ方に超受けたんでした。まあ受けを狙って話すから当然ですが。
個人的には緊張する質だし、やってやれないことはないけどできればゆっくり飲みたいので、もうやらないです(笑)

でも、宴会の延長終わったのが夜10時、そのあと二次会になだれ込んで途中で退席して宿泊先(ビジホ取ってました)に落ち着いたのが12時半くらい、寝たのが2時半。
で、翌日曜日はなんとパート練習があったのでした!
当初はゆっくり午後に帰路と思っていたのですが、お前が出なくてどうする(足を引っ張ってるのに)というのがあったので、早く起きて帰路に着き、迎えに来てくれてた夫と一週間分の食材の買い物をし、お昼を食べ、1時間ほど遅刻にはなりましたが参加しました。

そんなこんなで、3月は職場のイベントと趣味のイベントの二回出かけて普段出不精にしてるので相当疲れましたが、ちょっとひと段落です。これからは5月の本番に向けて頑張りますv(←遅い)