雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2019年1月17日(木) 「オスプレイと浜松基地」を話しました

2019年01月17日 22時30分35秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月17日(木) 「オスプレイと浜松基地」を話しました

 浜松市平和委員会で「オスプレイと浜松基地」について話をしました。内輪です。ただ準備は綿密にやって、話は自由に話しました。

 話題はまずアメリカ空軍オスプレイの浜松基地初飛来の謎。航空自衛隊浜松基地AWACSが海上自衛隊の護衛艦「いずも」「かが」を護衛かという謎。F35Bと自衛隊「改造空母」の謎。それから自衛隊救難機が誰を救難するかという謎。

 超高速ミサイルとATの謎。軍事の愚劣さというのがまとめです。少しは謎を解けたように思いますが?

 やれやれ終わった。無事、労働会館の3階までいけたのは収穫でした。片側しか手すりがないんですが、降りれました。

  ☆

 昨日、「雨宮智彦のブログ 古代・原発・人間・宇宙・日記」が、180万0008PVに到達しました。見に来てくれる皆さんに深く感謝いたします。ありがとうございます。

 


新・本と映像の森 226 檜山良昭『ヒトラーの陰謀 ドイツ国会放火事件』講談社文庫、1983年

2019年01月16日 11時44分57秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 226 檜山良昭『ヒトラーの陰謀 ドイツ国会放火事件』講談社文庫、1983年

 386ページ、定価480円

 著者は推理小説家のようですが、これはリアルな純粋ドキュメント。そして、めっぽう面白い。まだ今出版されていればボクは推奨。

 1933年2月27日夜に起きたベルリンでのドイツ国会放火事件の謎を追うドキュメント。

 国会に放火したのは誰かという謎と、当時ドイツにいたため放火犯人に仕立てられたブルガリア共産党員でコミンテルン活動家ディミトロフも追い、ついに真実を突き止める。

 その真実は?

    ◇

 当時のナチスの実態・暴力の姿や刑務所でのディミトロフの苦闘も活き活きと活写している。

 ディミトロフはドイツ語でゲーテの詩を書き留め常に見ていたという。

 「時をうしなわず、賢くなることを学べ
  運命という巨大な秤の指針は
  めったにとまっていることはないのだから
  高くのぼるか、でなければ沈むか
  うちかって支配者となるか
  でなければ負けてつかえるか
  儲けるか、でなければ損するか
  苦しみ悩むか、でなければ勝ち誇るか
  ハンマーとなるか、でなければ鉄床(かなとこ)となるか」

 反ファシズム人民戦線の理解にも必要な1冊だと思う。

 たかしディミトロフの全生涯の評価は「ハンマーでなくて鉄床(かなとこ)」にされた生涯では、なかったのかと思う。

 3部に分かれる。
  第1部 放火事件
  第2部 ディミトロフの推理
  第3部 真相

 最近の研究書を読んでみたいと思う。

 


過去現在未来のメモリーノート 53 敵と味方を一色にしないこと

2019年01月15日 20時38分19秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 53 敵と味方を一色にしないこと

 安倍首相をヒトラーになぞらえ同一視することは、自分の認識を誤らせ進路をそらす役割を果たすと思う。

 「すべての牛が黒く見える暗闇」だと思う。

 政治風刺・政治マンガにもときどき出てくるのを見た。

 ボクは安倍首相はヒトラーではないと思う。少なくとも、「敵」と「味方」のそれぞれを一色に塗りつぶすのは有害無益だと思う。

 


雨宮日記 2019年1月14日(月) 大根から葉っぱが出た

2019年01月14日 19時48分24秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月14日(月) 大根から葉っぱが出た

 則子さんが水を入れて大根の根の切れ端を入れたら、大根から葉っぱが出ました。直射日光は当たらない台所なので、水と空気だけで植物は育つんですね。

 数日経った今は、もっと葉が茂っています。

 生命って、すごいですね。

 今週のオスプレイ学習会の講師準備をしています。結論へ至る過程を話そうと思います。

 


雨宮日記 2019年1月13日(日) 水道民営化反対集会

2019年01月13日 21時48分21秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2019年1月13日(日) 水道民営化反対集会

 天気を心配したけど、晴れていい天気になりました。ボクは仲閒や則子さんといっしょに今年最初のビデオ撮影でした。

 福祉交流センターホールで浜松市の水道民営化反対集会が開かれました。「1.13命の水を守る全国のつどい・浜松」。会場はいっぱいの600人で、内容は素晴らしかったです。

 集会全部を「浜松市の水道民営化を考える市民ネットワーク」やNくんとも相談して、ビデオ作品にしたいと思います。

 全作品を作り上げるのに、2月いっぱいくらいかかるかな。

 


過去現在未来のメモリーノート 52 地獄について 1

2019年01月12日 21時56分38秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 52 地獄について 1

 「地獄」についての面白い論議があったので、紹介する。

 まず推理小説の有栖川有栖『朱色の研究』角川文庫、から。主人公火村の発現。

 「理由はいたってシンプルです。殺人を犯した科(とが)で捕まった者は、法律によってその有責性を量られて罰せられます。この世で犯した罪をこの世で償った者が、どうして死後にまた裁かれ、地獄に堕ちなくてはならないんです?理不尽と言わざるを得ません。……この世で裁きを終えれば、地獄に堕ちずにすむ。善き人たちと手をつないで、美しい夕映えの向こうにある懐かしい淨土に行くことができる。」

 ≪ 有栖川有栖『朱色の研究』角川文庫、2000年、p300 ≫

 「私は、地獄も極楽もこれっぽっちも信じてはないだけです。そんなものは、現世の不合理から目を背けるための方便として仮構されたフィクションにすぎない。極楽も地獄もない。街角で『悔い改めよ』というプラカードを掲げたキリスト教徒が訴える最後の審判も、もちろんありはしない。
 そんなことは直感的に自明だから、東洋にも西洋にも、いや、どんな共同体にも刑罰が存在するんです。もしも、死後に神の裁きが待っているのなら、人間が人間を裁くことは僭越であるばかりでなく、犯罪的に傲慢です。この世には人間しかおらず、あの世は存在しないから、犯罪者は人間の手で裁かれるべきなんです。」

 ≪ 有栖川有栖『朱色の研究』角川文庫、2000年、p301 ≫

 


新・本と映像の森 225 有栖川有栖『朱色の研究』角川文庫、2000年

2019年01月11日 10時56分29秒 | 本と映像の森


 新・本と映像の森 225 有栖川有栖『朱色の研究』角川文庫、2000年

 421ページ、定価本体600円、1997年角川書店原著

 語り手は大阪に住む推理作家有栖川有栖(ありすがわ ありす)。その友人で京都の英都大学の火村英生(ひむらひでお)は事件に巻き込まれる。

 火村が、教え子の女子大生貴島朱美(きじまあけみ)から依頼を受け以前の未解決殺人事件を探り始めた時、有栖川の自宅近くのマンション「オランジェ夕陽丘」で事件は起きる。

 事件は夕方の朱色や火事の朱色など「朱色」に染められている。

 事件は未解決のまま、かって殺人が起きた和歌山県周参見(すさみ)に移動する。

 偶然だが今年は亥年、イノシシの年。「イノブータン王国」なるパロディ国家をすさみ町は作っている。「ふだらく」伝説も書かれている。

 そして犯人が作り上げた二重の罠。秀作だと思う。

 残念なのは夕方の朱色の光景が、たんなる背景に終わっていること。せっかく太陽信仰や大阪の歴史的背景に触れているのに、事件はそれと無関係に起きること。

 火村が論じる刑罰論・地獄論は、まさに正論だと思う。別項で触れる。

 最後に火村は言う。

 「夕陽は没落の象徴でもあるし、確かに闇の前触れでもあるけれども、それだけではない。……生まれ変わるために沈むんだから」(p403)

 


新・本と映像の森 224 藤原審爾(しんじ)『落ちこぼれ家庭 (上)』新潮文庫、1982年

2019年01月10日 13時42分55秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 224 藤原審爾(しんじ)『落ちこぼれ家庭 (上)』新潮文庫、1982年

 藤原審爾さんは小説家。『死にたがる子』、『落ちこぼれ家庭』、『結婚の資格』の3部作の第2作。

 評論家直作とその一人娘曜子。曜子は裕士と結婚を控えている。直作は妻に死別し森鷹枝とつきあっている。

 裕士は名谷家の長男。名谷家は名谷夫妻と裕士の妹・高校生の宗子と弟・晴景の5人。

 物語は発端で宗子が突然、家出するところから始まる。宗子といっしょに家出した少女アコの沢家も含めて3つの家庭のそれぞれが語られる。

 以下、いろんな場面で語られる言葉のいくつか。

 「休んだりのんびりしてはいけないということではないんだ。コンスタントというのも、それぞれの個性的な方法でたればいいんでね。……人間も目一杯生きることが、本性なのでね。自分の意識なんでね、意識をいきいき使えばいいんだ。……人類がこの社会環境で生きていくためには、それにたよるしかなかったので、そういう機能を人類は育てたのだよ。」(p69)

 「いったいどこがいけないことなんだろう。
 動物たちの場合は、個体の成熟からおこる第一義的な行為であって、あいまいな部分はない。しかし人間の場合は、ひどくあいまいである。人間にてっても、第一義的な行為であろことには違いないが、そういう風に端的にあつかわれない。
 1人の少女が身体的に成熟したという現実を、二義的なものにあつかい、人間的な成長の部分的な条件とみんすことで、軽視する。
 問題はこの軽視なのである。」(p118)

 「その景子は、実際の景子ではなくて、彼自身が勝手に心の仲でつくりげた像なのである。その像と一緒に何十年も自分は暮らしてきたのではないか。」(p210)

 「たいてい、いつもこれでなんとなく考えがまとまったような気がする。この2つの思いの組合せは、個別性と普遍性の組合せであり、分析と総合の組合せである。それでなんとなく考えたような気がし、結論をつかんだような気になるのである。
 特徴のつかみかたが一面的であったり、概念そのものが浅薄なものであれば、むろん答えは誤ったものでしかないのだが、しかし考えたという気にはなれるのである。」(p214~215)

 「意志的な行動派、自分にとっては意義のあることだけど、的確な行動になっているかどうかは、別のことでしょ。……自分のことは自分でちゃんとするというのは、とても聞こえがよいけど、わたしはそんなふうには子どもを育てなくてよ。……でも普通の頭と心の人でも、ぱっと夢中で助けるということが出来るのよ。それはそこにある状況と頭とがよく深く結びついている人なのね。状況がしなければならない行為を示しているのよね。示されたとおりにやればいいのよね。」(p270)

 ボクたちが結婚する40年前のころに読んで考えさせられた。傑作だと思う。いま思えば、藤原審爾さんの提起は「家庭」の仲だけに限らず、仕事・家庭・趣味・集団・組織など人間活動のあらゆる面に摘要するのが正しいと思う。

 家庭だけに議論を局限するのはボクは賛成しない。というより、それでこそ提案の趣旨が生きるのだと。

 人生の全局面で気配りをしてこそ、その人の人生は「生きる」のだと思う。

 


新・本と映像の森 223 岩崎昶(あきら)『映画の理論』岩波新書、1956年

2019年01月09日 17時10分10秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 223 岩崎昶(あきら)『映画の理論』岩波新書、1956年

 岩波書店、~1968年題15刷、202ページ、古書店120円

 映画を創る人にとっての、たぶん基本文献の1つと思う。

 「映画の誕生が、19世紀の終わり、資本主義の成立と時を同じくしていることは、だから、けっして偶然の暗合ではない。……「映画は機械をもって芸術を作ると僭称する」とドイツの演劇学者のベルンハルト・ディーボルトはかっていった」(p16)

 「映画は、個性のめざめの後に、個性のめざめの上に立った、それ故に古代的中世的な没個性的な集団とははっきりとちがった、まったく新しい集団をもって、芸術を作ろうとし、また作っている。芸術を孤立した個人と結びつけずには考えない19世紀的な考え方にたいして、それは、もっとも進んだ科学技術ともっとも複雑な機械をつかっての……集団的芸術の存在とその未来を立証している。」(p22~23)

 映画の歴史、映画の構造、映画を創る理論の3つぐらいに分かれている。

 映画の創世記、アメリカ映画、フランス映画、イタリア映画、ソ連映画、日本映画にも概略は触れている。

 最終章「Ⅷ 映画芸術の世界」で触れている「リアリズム」「社会主義リアリズム」の話は、分析不足でボクには退屈でした。

 それは著者自身が「映画における人間の問題あるいはリアリズムの問題を私は最後の小でとりあげたが、第1に私の勉強の不足からして、まだ不充分なものに終わっている。」(p196)と書いているとおりである。

 ただし「私の勉強の不足」とは違うと思う。

 20世紀の「芸術論」「リアリズム論」を総括した「21世紀の芸術論」「21世紀のリアリズム論」が必要なんだと思う。それは集団的な仕事です。

 


雨宮日記 2019年1月8日(火) ビデオ編集日

2019年01月08日 19時53分17秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月8日(火) ビデオ編集日

 ビデオ編集日。昨年の9・23のビデオ2本創る。「20180923 久保山愛吉氏追悼焼津行動 ⑮ 9・23焼津のつどい 自由発言 手仕事・かさや」(2分13秒)と「20180923 久保山愛吉氏追悼焼津行動 ⑯ 9・23焼津のつどい 自由発言 牧田さん(焼津母親連絡会)」(3分53秒)。

 16本創ったけど、もう数本創れば、9・23は終わり。たくさん創ったなあ。

 日曜日のビデオ撮影の準備にボクも入る。

 


雨宮日記 2019年1月7日(月)の2 春の七種(ななくさ)

2019年01月07日 15時44分24秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2019年1月7日(月)の2 春の七種(ななくさ)

 日本古代には「春の七草」はなかった。じゃあ「七草粥」は何なの?というと「七種(ななくさ)粥」だった。

 加藤文三著『民謡歳時記 上』には「七草というと、春の七草……をすぐ考えるが、もともとは七種粥で、七種類のものを入れた粥である。『延喜式』四十には、「米・粟・黍・稗・箕子(みのみ)・胡麻・小豆」となっている。また「七つ」とは多いという意味で、必ずしも七種類にこだわらず、雪間より二葉・三葉を求めたり、タラノキの芽を入れただけのものもある。日も正月七日ではなく、宮中では正月十五日に七種粥を作った。」(p48)とある。

 つまり「七草」でなく「七種」である。

 小豆を入れた飯、いまの「赤飯(せきはん)」も「七種粥」の一種ということになる。

 


雨宮日記 2019年1月7日(月)の1 春の七草(ななくさ)

2019年01月07日 11時02分50秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月7日(月)の1 春の七草(ななくさ)

 日本の風習で1月6日には野に出て野草を摘みます。それを「七草(ななくさ)」といい、今は「七草粥」として食べます。

 朝、則子さんがおうちコープの「七草セット」で「七草粥」を作ってくれて、おいしく食べました。

 冬に野菜不足になるのを補う意味もあるし、病気にならない呪術的な意味もあるでしょう。

 『万葉集』や『古今』『新古今』には「春の七草」は、ありません。『万葉集』には「せり」が出てくるだけのようです。

 もっと後世の室町時代のころの冷泉家の和歌にやっと次の歌が出てくるようです。

 「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
 すずな すずしろ 春の七草」

 この時期に「鳥追い」などの民俗や、「獅子舞」「万歳(まんざい)」「たたき」などの芸人が家々を回る行事はもう少なくなってしまったでしょう。

 


雨宮日記 2019年1月6日(日) 小寒(しょうかん)です

2019年01月06日 17時46分24秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月6日(日) 小寒(しょうかん)です

 今日は小寒(しょうかん)です。つまり今日から「寒(かん)の入り」です。「二十四節気」で「寒(かん)」とは「小寒」から30日間を言います。「小寒」から15日目くらいが「大寒(だいかん)」です。

 実際の寒さとは一致しないんですが。

 わらべ唄にありますね。ボクの覚えているのは、こうです。

 「大寒(おおさむ) 小寒(こさむ)
  山から小僧が 飛んできた
  なんと言って 飛んできた
  寒いと言って 飛んできた」

 いま加藤文三著『民謡歳時記 上』(p51)を見たら「飛んできた」ではなく「泣いてきた」になっています。記憶違いでしょうか。それとも遠州地方のバリエーション?

 明日は七草です。

 


新・本と映像の森 222 卜部国松詩集『明日への四季』青磁社、1980年

2019年01月06日 09時54分53秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 222 卜部国松詩集『明日への四季』青磁社、1980年

 113ページ、定価1500円。

 卜部国松さんは浜松市鴨江に住んでいた詩人。詩集の奥付きによれば1920年埼玉県に生まれる。1970年に詩集『冬のうた』を発行。ボクも旧知。

 日本共産党の市議会議員もした。いつごろ市議を引退したろうか。「Google検索」で調べてみたが「卜部国松」で、この本しか引っかからない。「Google検索」では、地方の歴史を調べるのにぜんぜん不充分。

 この詩集の扉に「雨宮智彦様 則子様 卜部国松」とあるので、記憶にはないが、ボクか則子さんかが直接、卜部さんからいただいたものだと思う。

 「年賀詩」と題があるボクが好きな2作品を紹介する。

 「水仙

  耐える強さ
  芯に秘めて
  その しなやかさ

  凍る大地に
  春を呼ぶ
  喇叭手」(p8)

 「凧

  凧は風のなかであがる
  風のなかをいこう」(p9)

 以下、目次。

 「 Ⅰ
  
  水仙
  凧
  風は痛くても
  わたりどり よ
  梅の花
  冬景色からの出発
  桃の花
  ひな壇を撃つ
  ひばり
  五月の詩

   Ⅱ

  ひまわり
  きみをむかえる
  月見草
  八月
  かあさんの海
  萩
  風とまんじゅしゃげ
  虫
  旅

   Ⅲ

  海よ
  妻の習字
  根上がり松・考
  博多人形
  Nちゃん・考
  口こみ
  おちこぼれ
  土の子
  白い銃口
  戦区の鳥」

 


雨宮日記 2019年1月5日(土) 玄関の外の段差に手すりをつけよう

2019年01月05日 19時23分13秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2019年1月5日(土) 玄関の外の段差に手すりをつけよう

 午前9時に月1回、ケアマネさんが来る日。

 外出のときに玄関の外の段差が「転ぶのが怖い」という話から、「じゃあ、手すりをつけましょうか」という話になった。

 夕方、すぎに業者さんに来てもらい、介護保険で月500円くらいでできそうだとなった。後日、つけに来てもらう予定。

 則子さんは午後1時から駅前で被爆者支援募金でハンドマイクを持って行く。9人参加。

 夕方、お風呂に入る。右足が冷たかったが、暖かくなる。