雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 233 菅原千恵子さん著『宮沢賢治の青春』角川文庫

2012年11月15日 06時14分38秒 | 本と映像の森

本と映像の森 233 菅原千恵子さん著『宮沢賢治の青春』角川文庫、角川書店、1997年(平成9年)11月25日初版~2010年(平成22年)11月15日3版、文庫版(A6版)、305ページ、定価本体552円+消費税

 「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニが宮沢賢治その人であることに異論はないようです。では「カンパネルラ」は誰か?

 これまで賢治さんの妹トシさん説が多かったのですが、菅原千恵子さんは、新たに発見された、盛岡高等農林での親友・保坂さんと賢治さんの手紙を元に、賢治さんの創作が、保坂さんとの交友と別れの体験を経て書かれていることをつきとめたのです。

 この本で「気圏」や「修羅」、「電信柱」の謎も解くことができます。

 菅原さんは「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニが「どこでもいける切符」を持っているのは、つまりジョバンニ賢治が、行き先=目的が不明なので、他人のために死んで天国へ行くカンパネルラとは違って、「どこでも行ける」「どこへ行くか分からない」切符を持っているのだと推測しています。

 良質の推理小説ですね。

 ぼくは、この本を読んで、「カンパネルラ」が保坂さんであることが真実であると確信しました。それにしても、1990年代に出た本なのに、いまだに、このあいだのテレビでは、賢治さんとトシさんのことしか放映されていません。

 


雨宮日記 11月14日(水) 腰の痛みこらえて則子さんの誕生日とブルイン事故30年

2012年11月15日 05時58分56秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月14日(水) 腰の痛みこらえて則子さんの誕生日とブルイン事故30年

 かなり寒くなりました。父の節三さんは風邪を引いて、昨日、則子さんにつきそってもらってお医者さんに行きました。「テンプラは食べない」などのお医者さんの指示のようですが、ぼくだったら「テンプラを食べて死ぬなら本望」と自分の嗜好を優先するのですが、父は違いますね。

 今日は、航空自衛隊浜松基地の30年前の航空祭(いまは「エアフェスタ」と言ってますが、そういうカタカナ名称がなかった時代)で、午後1時43分、ブルーインパルスの曲技飛行「下向き空中開花」に失敗、1機が高丘の路上に墜落、パイロットの高島さんが死亡、市民十数人がやけどなどの重軽傷を負った悲惨な大事故の日です。

 あの日は、ぼくと則子さんは、当時、鴨江にあった合唱団美樹のレッスン場(尾高ビル)で練習をしていて、振り返ったら遠くで事故の煙を見ました。当時、すでにぼくは浜松市平和委員会事務局員だったので、それから忙しい時期の始まりでした。

 今日は、午後1時30分に現地集合で、「基地のない平和な浜松をつくる会」の主催で、事故現場で30年目の記念行事をやろうと、横断幕と、花と、時計を持って集合しました。

 現地で、少し、事故の解説をして、みんなで現場に花を供え、1時43分ジャストに「合掌」、ぼくがカメラマンで記念写真を撮りました。

 現場に「看板」が欲しいというのが、参加者共通の意見でした。そして、40年行事・50年行事はあるのでしょうか?それとも来年から毎年しますか?迷いますね。

 


本と映像の森 232 アニメ映画「エヴァンゲリオン」シリーズ 1

2012年11月13日 05時42分51秒 | 本と映像の森

本と映像の森 232 アニメ映画「エヴァンゲリオン」シリーズ 1

 先週、エヴァの映画新作に合わせて、テレビで旧作の放映をしていたのを見ました。旧作といっても、たぶん、第1回ではなくて改作の方だと思います。

 第1回目の時の主要主人公の、若い男性が陰も形もなくなっていたので、抹消されたのでしょう。彼は、いったい、どこへ飛ばされたのでしょうか?

 「セカンドインパクト」による文明破壊から14年、ちょうどその「セカンドインパクト」の時に生まれた14才の少年少女が主人公で、巨大生体ロボット「エヴァ」のパイロットになります。

 人類の希望として地下に建設されたその基地=機関「ネルフ」の場所は神奈川県箱根や芦ノ湖の付近です。

 そこを、人類の敵「使徒」が攻撃してきます。

 その闘いに、先頭に立たされるのが、まるで「巨神兵」のようなエヴァとその少年少女パイロットです。

 そのゼロ号が少女・綾波レイで、1号が主人公の少年・碇(いかり)シンジです。シンジくんは、父親に幼い頃に別れて(たぶん)、すごいコンプレックスの塊で、いつも「逃げちゃダメだ」とつぶやいています。

 そのシンジくんが、ネルフ司令官の「碇」司令=父親に召集されて、ネルフに来るところから物語は始まります。

 何かが、間違っているんですね。第1話のお話でも、シンジくんが司令どおりに闘っている時は、うまくいかずに、シンジくんが指示を拒否して暴走したりすると、使徒に勝利してしまうんですね。

 つまり、アニメの物語としては、シンジくんが自立することで、事態が解決されていくという幹事なんですが、最終の解決がどうだったか、わかりません。

 もうすこし研究します。


放射能ニュース 10月末 静岡県東部で野生キノコから基準値越え放射能

2012年11月10日 20時15分26秒 | 原発・放射能ニュース

放射能ニュース 10月末 静岡県東部で野生キノコから基準値越え放射能

 このところ、原発と放射能関係の情報を追うのが弱くなってました。反省して、少しづつ追っていきます。

 キノコは放射能を蓄積しやすい、そして旧ソ連のウクライナやベルロシアでは、住民が自然のキノコが大好きなのでやばいということは承知していましたが、今になって出るとは。

 3/11から1年半も立って、山梨県富士吉田市で今年10月に野生キノコから基準値を超える放射能が堅守されたので、山梨県に隣接する静岡県が調査を始めて判明しました。

 国の基準値はセシウムで、1kgあたり100ベクレルです。

 小山町須走の県道脇で採取した野生キノコ、ユキワリから1kgあたり350ベクレル、ヌメイリグチから87ベクレル、コムラサキシメジから60ベクレルを検出しました。 

 レイチェル・カーソンさんの『沈黙の春』以来、「生物濃縮」のことはよく知られるようになりましたが、具体的なプロセスはわからないことが多いのでは?どういうメカニズムなのか、職業科学者は解明して欲しいです。

 11月10日執筆。

 

 


雨宮日記 11月9日(金) やっと風邪が治ってきました。しつこく「北京」情報

2012年11月10日 05時34分16秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月9日(金) やっと風邪が治ってきました。しつこく「北京」情報

 則子さんは原水協の「長崎の日」行動(毎月9日のお昼12時から午後1時、JR浜松駅前、通常はソラモで)に参加して、その後、福祉交流センターでの被爆者の会の「健康相談会」に出席しました。

 ぼくはようやく風邪が治ってきたので、昼間の行動を再開しました。上島地域ではないのですが、Oさんのブログの管理人をしている関係で「看板が飛んで来たから取りに来てください」とのメールのお宅へ取りに行きました。則子さんの実家のある初生町のお宅でした。

 その後、城北図書館へ、久しぶりに行き、音楽CDを3本借りました。チャイコフスキー「白鳥の湖」全曲(2枚)と、「くるみわり人形」全曲(2枚)、歌劇「エフゲニー・オネーギン」全曲(2枚)です。浜松の図書館では、CDは、3本を2週間借りることができます。

 その後、自分の職場に行って、風邪のため、滞っていた昼間の仕事を2時間ほどして、午後6時頃家へ帰りました。

 忙しくて、毎日、弾きたい「軽ヴァイオリン」を弾けないのが残念です。

  ☆

 家へ帰って、則子さんが作ってくれてあった夕食を食べながら、新聞を読んでいたら、中国共産党大会で、胡錦濤さんの方針を「理論」として、「毛沢東思想」「小平理論」に次いで規約に書き込むと書いてありました。

 へえ!「理論」や「思想」って、政党の大会で決定されて「政党の規約」に書き込まれると、初めて「方針」から、重い「理論」「思想」になるんですね!びっくりです(もちろん、皮肉です)。

 物理学でいえば、アインシュタインさんの「相対性理論」は「理論」であると、いったい、どこの政党や国家が「承認」したんでしょうか?

 なお、ボクが尊敬するカール・マルクスさんの理論は、彼はドイツ国家からの迫害を逃れた亡命者ですから、すべて自前の資金でまかなわれました。もちろん、マルクスさんは、どこかの国家が「あなたの理論を公認します」と言ったら「バカを言うな!私の理論は国の公認思想になったらおしまいだ。わたしはヘーゲルではない!」と怒るでしょう。

 やれやれ、胡錦濤さんの理想はマルクスさんではなくて、ヘーゲルさんだったんですね。なんだか、情けなくなって、今日はこれでペンを置きます。せきもひどくなってきたし。

 なぜ、19世紀初めに、マルクスさんが、ヘーゲルさんから必死で前進したのに、21世紀初めに胡錦濤さんは、ヘーゲルさんまで戻って「国家の公認理論」になりたいのでしょうか?

 この「くいちがい」「かんちがい」は、何でしょうか?

 「国家の公認理論」なのは「中国の胡錦濤理論」も「日本の原発依存理論」も、同じでしょうか。

 やはり同じなのは、過去の「帝国の必死の反撃」で、それが「中国共産党帝国」であるか「日本原子力帝国」であるかの違いだけで、本質的な違いはないような気がします。

 もしかしたら「尖閣問題」で表面的には、対立・激突して見える「中国共産党帝国」と「日本原子力帝国」を同時に撃て!とマルクスさんは言っているような気がします。

  ☆

 則子さんとの「俳句」についての会話を書きたいですが、また後で。

 写真は、ぼくに何日も振れられず、すねているマイ軽バイオリン。

 


雨宮日記 11月8日(木) ふたたび北京、「中国共産党大会」ニュースを見て

2012年11月08日 22時41分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月8日(木) ふたたび北京、「中国共産党大会」ニュースを見て

 前日の北京で50年ぶりの大雪で日本人ツアー客が死亡というニュースを聞きましたが、今日もまた、北京のニュースです。

 北京で中国共産党大会(5年に1度だそうです)が開かれ、胡錦濤党主席が報告をおこないました。ところが、この報告は、通常は記者に配布されるのに、今回は「報告後」で、しかも胡錦濤さんがしゃべっているのは「全文」でなくて「要約版」だというのです。これで「報告」したことになるのでしょうか?

 ☆

 まあ、それも外国の話で、私たちは日本で何とかしないとね。

 写真は、新しいカメラの望遠で撮った下弦の月。11月8日(木)午前2時36分、月齢は23.3です。月齢は新月(見えない)を基準の0.0として、1日(24時間)で1.0進み、たぶん29.いくつかでリセットされるのだと思いますが、正しい?

 手持ちで撮ったのですが、月の穴=クレーターまではっきり映っているので、びっくりしました。


雨宮日記 11月7日(水) 立冬で北京も大雪です

2012年11月08日 22時33分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月7日(水) 立冬で北京も大雪です

 全国的に寒くなりました。ちょうど立冬です。ぼくは風邪2日目でなかなか直りません。則子さんの話では2年前に数日、悪化したことがあると言ってましたが、もっと以前は1日で直っていたように思います。

 やはり61才にもなると、身体の免疫力が落ちてくるのでしょうね。最低限、しなければいけない仕事と今週しなければいけない作業をしながら、最大限、温かくして寝ています。

 1日目より喉は治ってきましたが、鼻のつまりがひどくなってきました、

 北京ではトムラウシ岳登山遭難で有名になった旅行会社がまたも「想定外」の「悪天候」で死者を出しました。中国の「強欲社会主義」を悪く言えませんね。

 広範囲に通信できる機材(たとえば衛星通信)も持たずに、1日何の連絡も取れない地域を歩くとは…。

 写真はわが家の庭の、咲き始めた黄色いツワブキです。


遠州の遺跡・寺社・地名 102 三方原学園内古墳群の8号墳

2012年11月07日 06時31分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 102 三方原学園内古墳群の8号墳

 三方原学園の正門から車で入って事務棟(校舎)の前の駐車場に車を止めて、事務棟で「見学させてもらいます」とあいさつして、東へ歩くと、最初にでくわすのが、プールの西にある、この「8号墳」です。

 直径12mの円墳といいますが、松の木と空き地があるばかりです。


雨宮日記 11月6日(火) 風邪(インフルエンザ?風邪?)で、きつい

2012年11月07日 06時25分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月6日(火) 風邪(インフルエンザ?風邪?)で。きつい

 6日の午後から喉がいたくなり、そして夜にはなんだかアツっぽくなり、咳が出るようになりました。真夜中深夜の仕事、一人ではきついので、則子さんについてきてももらい、手伝ってもらいました。ありがとう。

 たぶん、日曜日に駅前で講座を受けたので、室内か電車の中でインフルエンザに感染したのでしょうか?それとも、疲れから免疫力の低下で、たんなる風邪でしょうか?

 頭がボワンとして働かないので、今日の「雨宮ブログ」はここまでです。

 浜松の放射線量の増減についての発見もあったのですが、明日以降に書きます。今日(7日朝)は、今から可能な限り、寝ます。おやすみなさい。

 新しい一眼デジカメの新鮮な映像も掲載したいのですが、明日以降に。

 写真は11月4日(日)の雨宮家の夕食です。お芋の煮っ転がし、サラダ、とんかつ、納豆など。父の和食の要求と、ぼくの洋食の要求を両方とも満足させる、則子さんの標準的な夕食です。


雨宮日記 11月5日(月) 浜岡裁判事務局会議とUSBメモリーの廃棄

2012年11月07日 06時15分16秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月5日(月) 浜岡裁判事務局会議とUSBメモリーの廃棄

 午後は則子さんと電車で浜岡原発裁判の事務局会議に参加。事前のレジュメや資料のコンビニでのコピーは則子さんにおねがいしてます。いつも、ありがとう。

 ☆

 ぼくは2階と1階と2つのノートパソコンを使っているので、両者のファイルが混乱しないように、USBメモリーを最優先ファイルで使っています。

 いつも常用しているUSBメモリー(16G)の中を覗いていたら、2カ所の「フォルダー」に、ヘンな「システムファイル」がたくさん詰まっているのを発見しました。これは、コンピューター・ウイルスによる「寄生」でしょうか?ゾッとして、新しいUSBメモリー(同じ16G)をコジマで3千数百円で買って来て、健全な部分を新しいメモリーにコピーして、古いのは即時、廃棄しました。

 油断も隙もないですね。ネットの世界はこわいです。


雨宮日記 11月4日(日) 「軽ヴァイオリン」の製作講座でした

2012年11月05日 05時49分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月4日(日) 「軽ヴァイオリン」の製作講座でした

 則子さんにお握りのお弁当をつくってもらって、一人で日曜日の午前10時から3時過ぎまで「軽ヴァイオリン」の製作講座に参加しました。

 材料費も含めて7350円ですから、「バイオリン」としてはずいぶん安いですけど、普通のバイオリンと音色は同じです。初心者でも瞬間接着剤ですぐ組み立てられる木製の部品から製作するので、完成品を買うよりもすごく楽しくて、しかも低価格です!

 今日、遠鉄百貨店新ビルの8階の、講座室に集まったのは、生徒10人と講師の加藤正行先生。加藤先生が最初弾いてくれた素敵なバイオリンが、先生が7年前に同じ規格でつくった「軽バイオリン」というのでみんな、びっくり!「今日、私が作るバイオリンも、もしかしたら、あんないい音色が出るの?」とみんな、目が輝きました。

 作業は、あらかじめ用意された木製の部品を、まず「弁当箱」をつくるように、バイオリンの胴を背板と横の曲げる板6枚と表板を切ったり、曲げたりして、接着剤で組み立てます。

 接着剤を付けすぎて乾きが悪くなって、なかなか付かなかったり、微妙に板と板が合わなくてすきまができたり、「先生!」という声に、先生も飛び回っていました。

 できあがった胴に、ネック(首)をつけると、バイオリンらしくなります。ここまでで、午前中は終わり、昼食です。 ぼくは、できあがった形をほれぼれと眺めながら、お握りを食べました。

 午後は、本体に、4本の弦を張ります。そして「調弦」をします。これが、なかなか難題で、ぼくも昔、合唱をしていた頃を思い出しながら、弦を工具で張ったり、緩めたりしました。

 先生は、「弦を切るのがあたりまえです」「とくに1弦と4弦は切れやすいです」と強調していましたが、なんとぼくが真っ先に、演奏に入る前に、1弦が「あっ!」と切れてしまいました。締めすぎたのでしょうね。

 みんな、なんとか調弦を終えて、なんとみんなで音を出して、「キラキラ星」を練習して、みんなで合奏しました。すごい!

  ☆

 則子さんには「製作講座に行ってくるから。何ができるかお楽しみに」と言ってあったので、家に帰って「ただいま!これ」と見せると、びっくりして「すごい!これ?音が出るの?」と言うので、音を出してあげました。

 長女夫妻の家に遊びに行っていた次女が帰ってきて、則子さんに「お父さんがバイオリン、作ってきたよ」と聞いて、「ほんと?見せて」というので、見せるだけでなく、音を出してあげました。

 「ほんとのバイオリンの音、生で初めて聞いた」「小学校の頃、同級生で一人だけバイオリンを習っていた子がいたから、お金持ちの趣味って感じだった」と言ってました。

 練習して、則子さんや次女に、ちゃんと曲を聴かせられるのは、いつのことでしょうか。

  ☆

 野田首相の支持率は最低で、10数%だそうです。日本経団連の米倉会長なら「みんなが見捨てても、私は最後まで支持するから安心しなさい」と言うでしょうね。

 野田「まったく安心ではない。私は国民の支持が欲しいのだ」

 米倉「だから、それは無理だって」

 「支持する人がまだいたのだ(野田)の秋」

 


雨宮日記 11月3日(土) 『資本論 第2部』の学習会の相談会でした

2012年11月03日 22時00分32秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月3日(土) 『資本論 第2部』の学習会の相談会でした

 数年前に、浜松学習協で3年間やった『資本論 第1部』を終えた後、第2部にとりかかりたかったのですが、実力が不足して迷っていたのです。やっと第2部を始める決心を、浜松学習協のメンバーでして、今日はその相談会でした。

 現代の資本主義社会は「生産」場面だけでは理解できなくて、「流通」「市場」場面を含めて総合的に理解しないといけないという、マルクスさんの研究です。謎が解けていくプロセスが味わえるだろうと思うと、ドキドキします。

 何年間かかかる仕事ですし、けっして暇ではないのですが、「いつか、という時はない」という感覚で「今」やろうと始めます。毎月、土曜日の夜に1回集まります。浜松市中区を会場にします。参加したい方は、ぜひ連絡ください。1回の参加費500円。

  ☆

 相談会を終え、コンビニに寄って、今夜の「飲みしろ」を買って家に帰ると、結婚した長女のIさんが来ていました。彼が一種間、出張で家にいないのだそうです。次女と2人で、わが家の「ざぶたうさぎ」の話題で盛り上がっていました。

 大飯原発の活断層のことや、浜岡原発5号機の海水腐食のことなど、など、いろんな最新情報がとびかっていますが「雨宮日記」には、あまり反映しませんので。

 ☆

 則子さんに「早く作って」とせかされていた、浜松労災関係者の結婚を祝う「会食会」のチラシを慌てて作りました。則子さんの「検閲」は通過しました。


遠州の遺跡・寺社・地名 101 三方原学園内3号墳(円墳)を見学

2012年11月03日 05時48分03秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 101 三方原学園内3号墳(円墳)を見学

 3号墳は円墳で、千人塚古墳(5号墳)の北側50mに位置しています。すぐ東北東に東西向きの「2号墳」(前方後円墳)がありますが、これは破壊されて形はありません。

 直径は15m、時代は6世紀前半です。三方原学園内古墳群で6世紀に入るるのは、この3号墳と、6世紀前葉の「1号墳」だけです。

 伊豆寮門前と、富士寮門前のあいだの丘でした。


雨宮日記 11月2日(金) 体調は少し良くなり、頭のズキズキもなくなりました

2012年11月02日 20時30分33秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月2日(金) 体調は少し良くなり、頭のズキズキもなくなりました

 昨夜、仕事中はひどかった頭の痛みも、今日昼間目が覚めたら直って、すっきりしました。まだ時々、痛みがぶりかえします。

 則子さんは、午前中、ぼくの父の病院(七草クリニック)につきそいました。

 俳句をつくりながら、なぜか豆子のスケッチをしています。

 ぼくは午後、どこかへなくなった『フィールドガイド 日本の野鳥 増補改訂版』(日本野鳥の会、3400円)が谷島屋三方原店に届いたので、買いに車を走らせました。

 これがないと、とくに鴨類の同定(種を見分けること)は難しいので、買いました。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 100 七鈴鏡と三方原学園内4号墳(円墳)

2012年11月02日 19時20分04秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 100 七鈴鏡と三方原学園内4号墳(円墳)

 三方原学園内の4号墳は、主古墳の5号墳(千人塚古墳)のすぐ北東にあッて、5号墳よりも東の崖に近い古墳です。円墳で直径は25m、文献では、5号墳が5世紀中葉にたいしてそのすぐ後、5世紀後半とされています。

 意味があるかどうかわかりませんが、5号墳がちょっけい49mですから、4号墳の直径はその半分になります。

 埴輪あり。そして有名な「七鈴鏡」が出土しました。七鈴鏡の写真は以下に掲載しました。

 遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係? 2012年08月21日 05時47分28秒 | 遠州古代史

 さあ、この4号墳の被葬者は誰なのでしょうか?関東から来た武人?それとも関東からお嫁に来た女性?それとも地元の人間で単に「七鈴鏡」が好きなだけ?

 焼津市には焼津市指定文化財の「奥屋敷1号墳(猪之谷神社)の六鈴鏡」があります。

 浜松市西区の村櫛町には御山塚という山があってその頂上にあった「御山塚古墳」から「五鈴鏡」が出土しています。(HP「村櫛町自治会」のなかの、松下康文さん執筆「村櫛の歴史3」を参照)

 HP「國學院大學デジタルミュージアム 柴田常恵写真資料」の「浅間神社」に鈴鏡の破片(半面で鈴は2つ、五鈴鏡でしょうか?)が掲載されています。

 関東が中心ですが、中部地方でも静岡県外で出土例はありますが、西日本ではどうでしょうか?

 その位置に、4号墳の立て札がないのは残念です。