日本古代史の本 内倉武久さん著『謎の巨大氏族・紀氏』三一書房、1994年
浜松の中央図書館の日本古代史コーナーで目についたので、昨日借りてきました。
著者は朝日新聞の元記者です。
和歌山県を中心にした古代豪族「紀氏(きし)」は、通常は大和政権が朝鮮に派遣した軍事氏族という説になっていますが、著者は和歌山県現地の古墳などの遺跡と遺物を具体的に追いかけながら、記紀や風土記などの古代文献で、朝鮮や日本列島の紀氏の行動を具体的に跡づけていきます。
あまり読まれない『日本書紀』に描かれた、朝鮮での紀氏の行動がきわめてリアルでおもしろいです。
「仁紀41年」には、百済に派遣された紀角宿禰が、百済王族の酒君(さけのきみ)の無礼を責めたので、百済王は酒君を鎖で縛って倭に差し出したという記事があります。
「雄略紀9年」には、紀小弓宿禰が朝鮮に派遣され戦死、小弓の息子である紀大磐は父の戦死した地へ行って父の同僚の権限を取り上げたので内紛がおき、蘇我韓子は川で大磐を弓で射ようとして失敗、逆に大磐に弓で射落とされて川で溺れ死んだ、とか。
著者は、紀氏がもともとは朝鮮半島から日本列島に渡ってきた渡来人である可能性を遺跡・遺物・文献から主張しています。
その可能性は高いと思います。
紀氏は、瀬戸内海や淀川水系の交通も押さえていたようです。
おもしろいのは紀氏が石清水八幡宮を創建したということです(p183)。これは京都の「清水寺」、浜松の「岩水寺」との関係でも、また考察したいと思います。
紀氏と九州・ツクシ国家との関係も気になります。和歌山市にある5世紀終わりの、馬のよろいで有名な大谷古墳の石棺は九州・阿蘇から運ばれています。
古代日本の列島全体を、たて・よこ・ななめ、いろんなラインで考えないといけませんね。