雨宮日記 11月14日(水) 腰の痛みこらえて則子さんの誕生日とブルイン事故30年
かなり寒くなりました。父の節三さんは風邪を引いて、昨日、則子さんにつきそってもらってお医者さんに行きました。「テンプラは食べない」などのお医者さんの指示のようですが、ぼくだったら「テンプラを食べて死ぬなら本望」と自分の嗜好を優先するのですが、父は違いますね。
今日は、航空自衛隊浜松基地の30年前の航空祭(いまは「エアフェスタ」と言ってますが、そういうカタカナ名称がなかった時代)で、午後1時43分、ブルーインパルスの曲技飛行「下向き空中開花」に失敗、1機が高丘の路上に墜落、パイロットの高島さんが死亡、市民十数人がやけどなどの重軽傷を負った悲惨な大事故の日です。
あの日は、ぼくと則子さんは、当時、鴨江にあった合唱団美樹のレッスン場(尾高ビル)で練習をしていて、振り返ったら遠くで事故の煙を見ました。当時、すでにぼくは浜松市平和委員会事務局員だったので、それから忙しい時期の始まりでした。
今日は、午後1時30分に現地集合で、「基地のない平和な浜松をつくる会」の主催で、事故現場で30年目の記念行事をやろうと、横断幕と、花と、時計を持って集合しました。
現地で、少し、事故の解説をして、みんなで現場に花を供え、1時43分ジャストに「合掌」、ぼくがカメラマンで記念写真を撮りました。
現場に「看板」が欲しいというのが、参加者共通の意見でした。そして、40年行事・50年行事はあるのでしょうか?それとも来年から毎年しますか?迷いますね。