雨宮日記 11月27日(火) 則子さんが「智彦くんはいつから自由になった?」と言うので
夫婦の対話編 ①
今日は、午後、則子さんと2人で「ちらしまき」に行きました。家から歩いてですが、なにしろ寒くて、ぼくは途中で根を上げて「帰ろうか」と言ったら、則子さんは「智彦君は帰っていいよ。私、もうすこし配るから」と言うので、帰らせてもらえました。
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帰って来た則子さんとお茶を飲んでいたら、「智彦くんが、そういう自由な思考ができるようになったのはいつから?」と言うので(すみません、読んでいる人には意味不明ですね)。
「たぶん、1984年問題から、自分で考え始めてから今までの途中のいつか」と答えました。
「それは平和運動と政治運動のもんだいだけじゃなくて、つぎの3つの問題だったね」
「① 科学と真理とは何か、ということ
② 組織と集団と社会とは何かということ、組織の病気、社会の病理について
③ 人間とは何か、人格や自由とは何か、ということ。
そういう問題を考えて、90年代には、意味がわかってきたように思います」
「基本は、自分で全責任を負って考える」
「組織や集団の方針・理念は、自分にとっては自由に着替えていい洋服であって、自分の皮膚として癒着してはいないこと。ましてやカブトムシのような甲羅ではないです、ということ」
「自分の人格・精神と、いまの自分の肩書き・役割・任務は癒着・接着していないこと」
そういう思考に役立ったのは、自然科学・社会科学・歴史科学はもちろんですが、小説や心理学や哲学が大きな意味をもっていたと思います。
両者は半々くらいでしょうか。