雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月27日(火)の2 「絆」の続き…

2011年12月29日 05時01分22秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月27日(火)の2 「絆」の続き…

 「絆」論の続きを、1日おいて、やっと今書いています。

 「絆」とは、ぼくは誰か(Aさん)が主体的に、誰か他人(Bさん)に投げかける「つながり」から始まるのではないかと、思います。

 「絆」が成立するためには、Aさん(主体)→Bさん(客体)の前半だけでは成立せず、Bさんが今度は主体となってAさんになげかける「つながり」、こうして前半と後半で初めて「絆」が成立するのでは。

 あれ?これって、いわゆるコミュニケーション論そのものですね。どう違うのか?声と声なりたつ、あるいはメールとメールでなりたつ情報交換過程、会話としてのコミュニケーションと違って、「絆」は物質あるいはエネルギーの交換です。

 そういう物質的・エネルギー的作業は、東日本大震災(超巨大地震・超巨大津浪・原発過酷事故)のような「目に見える事象」では、どうやって助けたらいいか、わかりやすいですね。

 ところが、「心の中」の「うつ病」のような、目に見えにくい事象では、どうやって「絆」を交換しあえるのか、まず悩みますね。

 まだまだ、僕たちは未熟で、あるいは日本社会は未熟(あるいは熟しすぎて崩壊しかけている?)です。

 1年で3万人の自死や、ハラスメント(セクハラ、パワハラ)、暴力や差別、無縁社会、競争社会、ワーキングプアー(月給20万円以下、ぼくもそうです)などなど、解決できていません。

 映画「つれがうつになりまして」で描かれたご夫婦の場合、夫はばりばりの会社員、奥さんは売れない漫画家(たぶん)でした。

 夫がうつになって、奥さんは必死で彼を治そうと献身して、でもはかばかしくなくて、ある日、ついに切れてしまい、夫に「入院しろ!治るまで返って来るな」と言ってしまう。

 夫がその日、お風呂場で自殺しようとして未遂だったことを、奥さんは、後になって彼の日記を見て、ショックを受けます。

 それでも、うつ病を治そうと、必死で2人で協力し合う日々…。

 ある日、奥さんは「そのままでいいんじゃない?治らなくても、私、あなたのことが大好き。いっしょに生きていくから」みたいなことを言った!

 「治らなくてもいいの」と言ったら、まるで魔法のように、うつ病は治っていったのです。

 ぼくも、じつは鬱的な症状のことがあったので、これは、よくわかります。つまり、あなたの職業とか、地位とか、経歴とか、世間体とか、給料金額なんか、どうでもいいの、それよりも、生きているあなたの方が大事なの!という素敵なメッセージと思います。

 次女が中学から高校にかけて「登校拒否」「不登校」のときに、ぼくは「君は,君でいいんだよ」というメッセージを発信していました。

 それは自分が、いろんな状況の中で、大学を中退したので、そういうときの気分・状態はよくわかるような気がします。

 つまり、娘と父の「絆」=「統一戦線」です。

 時間がないので、今日は、これまで。則子さんとぼくの歴史は、きちんと書きたいなと思います。