雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松・放射線量測定情報 自宅定点 12月28日(水)~31日(土)

2011年12月31日 22時35分05秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 12月28日(水)~31日(土)


 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h
 測定回数:スイッチオン後20回(3分20秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、10回観測
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者 :特記ないかぎり雨宮智彦

 12月28日(水)13時20分、晴れ、風少しあり、あたたかい 
  平均値 0.052
  最大値 0.058
  最小値 0.046

 12月29日(木)15時28分、晴れ、うすぐもあり、寒い
  平均値 0.051
  最大値 0.057
  最小値 0.046

 12月30日(金)15時04分、快晴、風あり
  平均値 0.046
  最大値 0.050
  最小値 0.039

 12月31日(土)16時08分、晴れ、風(西南より北東へ)少しあり
  平均値 0.053
  最大値 0.057
  最小値 0.051

 8月末に放射線量測定値が到着し、9月はじめから測定を始めました。則子さんといっしょに「見えないモノを見えるようにしていく測定」の地道な4ヶ月間は、ボクたち夫婦にも、何か「変革」をもたらしたような気がします。

 もう、世界は元の世界には戻れません。

 もちろん、この霧の先が見えるわけではないけど、ぼくと則子さんで「こっちへ行こう」と決めた道を歩いて行くしかありません。

 「君の 行く道は 果てしなく 遠い
  だのに なぜ 君は行くのか 
  金も ないのに」
  (自分が10代だった頃にはやった歌「若者たち」の歌詞を一部改変)

 もちろん、道が閉ざされていて、引き返したこともあります。「ひとすじの道」なんて、うそですよ。

 2012年は、則子さんと、どこまで歩いて行けるかな?

 歩いて行く道の角を曲がると、どういう光景がみえてくるか?_
 それが楽しみで、則子さんと歩いてきました。

 横道、寄り道も、則子さんと歩いて行く道の楽しみです。

 こういう風に歩いていると、近くを、あるいは遠くを、たくさんの人がそれぞれの早さで、歩いて行くのを感じます。

 とっても心強く、温かいけど、でも、やはり、自分たち夫婦の歩みは、自分たちで決めて歩いて行きます。

 明日からも、ぼくたちは則子さんと2人で、歩いて行きます。



 

雨宮日記 12月31日(度) 今年最後の日、来年の準備で過ごしました

2011年12月31日 22時09分51秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月31日(度) 今年最後の日、来年の準備で過ごしました

 「雨宮日記」も今年最後。今年は年賀状も早々出したので、例年より気楽です。あまり冷え込まないけど、雲の多い天気でした。

 午後にノロノロと寝ぼけまなこで起きてくるぼくと違って、鼠年(子=ね)でサソリ座の生まれの則子さんは、いつも動き回っています。
 (なお、ぼくはウサギ年で乙女座生まれ(!)です)。

 家の外では白いバイクに乗って飛び回っていて、風の谷には、なかなか帰って来ません。帰って来ていると、家事をするか、家の片付けをしていて、趣味は、自分の部屋の模様替えだと思います。
 
 夕食の前は、ぼくは一人で車を運転して、高林のコジマ電器へ行って、プリンターのインクを買いました。4つで4000円出費。

 そのあと、マックスバリュー早出店へ行き、瓶の純米酒を買って帰りました。(なぜ特筆するかというと、日常的には、コンビニで紙容器のお酒を買っているからです!)

 夕食の後、友人が「岩手のタコがあるけど」というので上島2丁目まで二人で車でもらいにいって、そのあと市野の100円ショップ「セリエ」へ明日の準備でタッパーとか食器を買いに行ったら休み!
 
 じゃあ行って見ようと「イオン」にいったら、イオンの中の「せりえ」はやっていました。

 いま、紅白をやっていますが、ボクは今年は見向きもせずにパソコンに向かって「雨宮ブログ」と、則子さんが「書いてね」とやんわり言う、則子さんが事務局長をしていて、ぼくがその下で事務局員をしている市民団体の議案を打っています。
 
 則子さま、今年も365日、ありがとうございました。
 直接に言うのは、照れるので「雨宮ブログ」の場を借りて、心からの感謝と愛を込めて、お礼申し上げます。 
 あの、リアル雨宮夫妻を知っているみなさん、「則子さん、こんなこと、雨宮ブログに書いてあったよ!」というたぐいの「密告」は、なしにしてくださいね。

 こういうのは、ひっそりと書くのがいいんです。

 キリスト教の『聖書』では、イエス・キリストさんは、弟子に「右手のしていることを左手に知らせるな」と教えた、そうです。(ほんとかどうか、『聖書』に出ているかも、確認してません。そう記憶しているだけです。)

 「愛」って、世界の中心で大声で叫ぶものではないと、覆います。

 ということで、雨宮ブログは、この世界の片隅で、ひっそりと来年も書き続けたいと思います。

  ☆

 2012年まであと1時間31分、気が向いたら補足を書きますが、間に合わなかったら「2012年1月1日」を適当な時間に書きます。
 
 来年も「やるぞー!」
 (「天空の城ラピュタ」で地下の坑道からシータといっしょに出てきたときの少年場ズーのせりふ)。

 

 

雨宮日記 12月30日(金) 妹夫婦の家で、お餅をわけてもらいました

2011年12月31日 21時52分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月30日(金) 妹夫婦の家へ、つきたてのお餅をわけてもらいに行きました

 ぼくは浜松の雨宮家の次男で家をついでいて、上に長男の兄、下に長女の妹がいます。昨日は名古屋に住んでいる兄夫婦が泊まりに来ましたが、今日は夕方、下石田の農家の長男に嫁いだ妹のIさんのところへ、毎年恒例ですが、則子さんと2人で、お餅を分けてもらいにいきました。

 イオン市野店の前を通って西から東へ車を走らせるのですが、いつもは東から西へ来る車の方が多いのに、今日は逆に西から東へ走る車の方が多かったです。

 妹夫婦の家へ着くと、まだ餅つき(といっても、もう臼と杵ではなくて、もち製造器です)の最中でした。

 なんと、14枚もつくるのだそうです。

 餅の後、赤飯を作るからそれまで待ってというので、名にもせずに、感心しながらもちづくりを見ていました。

 妹の夫であるTさんと話をしていたら、なんとあと4年で定年退職だそうです。みんな、そんな年齢になったんだなあ、年月はすごいですね。

 妹のIさんの顔が、母親に似てくるわけですと、納得。

 おもち2枚と、おいしい赤飯(「出来たてがおいしいんですよ。これ、つまんでください」とすすめるので、すこしつまんで食べた赤飯のおいしいこと!)とたくさんの野菜をアルトの後部荷台に乗せて、家へ還りました。

 そのあと、一人で職場へ行って,今年最後の昼間の仕事(雑誌の仕分け)をしてから、家へ還り、則子さんが作ってくれた夕食を食べて、いっしょに、コープ小豆餅店に年末の買い物で必要な物を買ってから、谷島屋の三方原店へ寄り、注文していた本を大枚はたいて、買って家へ戻りました。

 ふと疑問に思って「大枚」はいくらか調べたら、1~2万円では「大枚」ではなさそうです。