雨宮日記 2010年1月26日(火)ショパンのピアノの曲が鳴っています 1
思春期の頃から、クラシック音楽を聞くのが大好きで、中学生・高校生の頃はラジオ、それもNHKのFMラジオしかありませんでした。貧乏な小さな本屋の次男で、高価なレコードを買うお小遣いはなかったので。
大学に入ったときに「○大混声合唱団」で歌い始め、実家の浜松に帰ってきて、まだヒマな時に浜松の中心街をぶらついていて、偶然、電柱にかけてあった「合唱団美樹」の「うたごえ喫茶」という看板を見て、行ってみて、雰囲気が気にいってその場で入団を決めました。
1976年ですから、今から34年前で、今は名鉄ホテルとなった場所です。
合唱団と同時並行で、浜松の平和運動ともかかわりあって、当時の20代の青年男女で、平和サークル「ブーゲンビリア」をつくりました。
今は、当時の国鉄(今のJR)の高架化でなくなってしまった「平田(なめだ)」の「開かずの踏切」のそばの、当時の「浜松書房」「新婦人浜松支部事務所」で、後で妻となる保母のNさんとも初めて会いました。
こういう話を書き始めると、また別に「雨宮智彦の自分史」を書かないといけなくなりますね。
とにかく、当時の合唱団美樹の団員では例外的に、美樹の団員ではない女性と結婚して、その女性を美樹に入団させたのが雨宮です。すみません(何が、すみませんだ?)。
1980年代後半まで、10年弱を合唱団美樹で歌って過ごしましたが、他の分野での活動が忙しくなって、もっと謡いたかったのですが、涙をもって断念し、「歌のわかれ」となりました。
そんなこんなで、なんとなく、クラシック音楽へのアクセスも減っていましたが、去年、偶然、少年ピアニストの成長をテーマにしたコミック「ピアノの森」(いま15巻まで刊行)を読んで、じっくり、ショパンやピアノ音楽を聴きたい気持ちになりました。
毎日、何時間か、ショパンあるいはラフマニノフを聴いています。
きのう、妻には内緒で、高林のイケヤレコードに行って、CD「ショパン全集」全16枚を注文しちゃいました。
思春期の頃から、クラシック音楽を聞くのが大好きで、中学生・高校生の頃はラジオ、それもNHKのFMラジオしかありませんでした。貧乏な小さな本屋の次男で、高価なレコードを買うお小遣いはなかったので。
大学に入ったときに「○大混声合唱団」で歌い始め、実家の浜松に帰ってきて、まだヒマな時に浜松の中心街をぶらついていて、偶然、電柱にかけてあった「合唱団美樹」の「うたごえ喫茶」という看板を見て、行ってみて、雰囲気が気にいってその場で入団を決めました。
1976年ですから、今から34年前で、今は名鉄ホテルとなった場所です。
合唱団と同時並行で、浜松の平和運動ともかかわりあって、当時の20代の青年男女で、平和サークル「ブーゲンビリア」をつくりました。
今は、当時の国鉄(今のJR)の高架化でなくなってしまった「平田(なめだ)」の「開かずの踏切」のそばの、当時の「浜松書房」「新婦人浜松支部事務所」で、後で妻となる保母のNさんとも初めて会いました。
こういう話を書き始めると、また別に「雨宮智彦の自分史」を書かないといけなくなりますね。
とにかく、当時の合唱団美樹の団員では例外的に、美樹の団員ではない女性と結婚して、その女性を美樹に入団させたのが雨宮です。すみません(何が、すみませんだ?)。
1980年代後半まで、10年弱を合唱団美樹で歌って過ごしましたが、他の分野での活動が忙しくなって、もっと謡いたかったのですが、涙をもって断念し、「歌のわかれ」となりました。
そんなこんなで、なんとなく、クラシック音楽へのアクセスも減っていましたが、去年、偶然、少年ピアニストの成長をテーマにしたコミック「ピアノの森」(いま15巻まで刊行)を読んで、じっくり、ショパンやピアノ音楽を聴きたい気持ちになりました。
毎日、何時間か、ショパンあるいはラフマニノフを聴いています。
きのう、妻には内緒で、高林のイケヤレコードに行って、CD「ショパン全集」全16枚を注文しちゃいました。