雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

ことばと詩 70 灰谷健次郎『大陽の子』より 20210814

2021年08月14日 19時00分16秒 | ことばと詩
ことばと詩 70 灰谷健次郎『大陽の子』より 20210814


 これは1980年の小説のタイトルです。「てだのふあ」と読みます。最近、封切りの映画のことでは、ありません。


 主人公の少女「ふうちゃん」のお母さんがやっている沖縄料理屋の名前です。


 そのなかで「てだのふあ」の常連は、こう言って議論します。


 「かわいそうなんてことば使うな」………
 「沖縄には、かわいそうなんていうことばはないんじゃ」
 「肝苦りさ(ちむぐりさ、胸が痛む)か」………
 「口先だけでかわいそうやなんてうてるやつほど、痛いこともかゆいこともなんにも感じてない奴や。痛いこともかゆいこともないことをいうてるから、痛いめにあう人間がちっとも減らへんのや。この女(ひと)は病気で死んだんとちがうねんで。餓死したんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことをいうてる奴に、寄ってたかって殺されたんやでえ」
  (p190)


 1980年から40年経っても、この列島では「この女(ひと)は病気で死んだんとちがうねんで。餓死したんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことをいうてる奴に、寄ってたかって殺されたんやでえ」ということが蔓延してるようです。


 名古屋の入管のことを聞いてボクは、アウシュビッツの看守がまだまだ、この国にはたくさん残っていると思いました。


 ふうちゃんは、いま50代の成熟したおとなに育っているでしょうか。