雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 60 遠州古代史 銅鐸シリーズ ⑧ 細江町の不動平銅鐸「出土地」<再録20130831>

2018年06月05日 10時54分32秒 | 遠州古代史

古代ブログ 60 遠州古代史 銅鐸シリーズ ⑧ 細江町の不動平銅鐸「出土地」<再録20130831>


「遠州の遺跡・寺社・地名 111 北区細江町「銅鐸の谷」の不動平銅鐸「出土地」
2013年08月31日 20時56分27秒 | 遠州古代史

 写真は、銅鐸の谷の「支谷」である「不動平」谷の最上部の銅鐸出土地を台地上の道路から眺めた写真です。(現地比定は,浜松市博物館「浜松市の銅鐸」p27によります)

 出土地はすでに埋め立てられてみかん園になっています。

 『浜松市の銅鐸』では「昭和42年(1966年)」と書かれていますが、昭和42年は1967年ですので、他の文献も参照するとたぶん1967年だろうと思います。

 写真は「滝峯不動尊」と「二宮神社」のあいだ、滝宮不動尊から二宮神社までの4分の3の距離、つまり二宮神社まで4分の1の距離の北側です。

 道路のカーブミラーと「野良猫に餌を与えないで…」という警告版があります。

 この年の1月に開墾のためブルドーザーで工事中に出土しました。

 近畿式で、高さは72.3cm。さらに西から出土した近畿式の「滝峯七曲り1号鐸」(高さ68.6cm)と紋様がよく似ています。

 高さが微妙にちがうので,同じ「鋳型」ではないでしょうが、同じ「鋳造所」で作られたことは、ほぼ間違いないでしょう。

 なお、銅鐸の個々の模様まで実測したわけではないので、「実測」した論文がないかどうか、探してみますね。

   ☆

 「鋳造所」の問題については、もうすこし都田の銅鐸出土地を巡ってから、あらためて考えます。」