雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 6月2日(土)の2 やっとビデオ編集少しできた

2018年06月02日 22時06分14秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 6月2日(土)の2 やっとビデオ編集少しできた

 ビデオ撮影チームが平和行進など撮影に忙しく、やっと編集にとりかかる。

 今日は短編を2つ。まず20年前のボクの「秘蔵」撮影ビデオから「浜松基地 AWACS配備のころの飛行映像 1998年(平成10年)」(2分06秒)。20年前に、こんな映像を撮っていたんだなあ、という感じ。

 たぶんSONYのVX-1000で撮っていた頃か?

 もう一つは「原水爆禁止2018平和行進 ① 5月29日 浜松速報版」(3分52秒)。これは「速報版」で、もっと詳しい本格バージョンはこれから作ります。

 「ピース浜松 市民の平和ブログ サイトB」にアップしています。


古代ブログ 57 遠州古代史 銅鐸シリーズ ⑤ 「関東の銅鐸」の謎 <20131229再録>

2018年06月02日 11時42分09秒 | 遠州古代史


古代ブログ 57 遠州古代史 銅鐸シリーズ ⑤ 「関東の銅鐸」の謎 <20131229再録>
 
日本古代史を考える 「関東の銅鐸」の謎
2013年12月29日 20時08分00秒 | 古代史を考える

 遠州地方に多産する銅鐸の謎について書いてきましたが、今日は、きわめつけの謎について書きます。

 過去の履歴は、「雨宮智彦のブログ  銅鐸」で検索するとヒットします。

 銅鐸は近畿を中心に浜松付近まで分布する弥生時代の青銅器です。銅鐸に対立する西日本の青銅器が銅剣や銅矛です。

 ところが、正真正銘の近畿の銅鐸そのものが、千葉県の房総半島の東京湾岸で見つかったのです。

 学界の常識では東海地方の浜松付近が銅鐸分布の東端のはずです。

 もちろん、もっと東でも「小銅鐸」や「鉄鐸」は出ますし、神奈川県や栃木県でも「小銅鐸」は出ていました。

 千葉県で銅鐸?!

 ぼくが知ったのは、森浩一さん著『古代史津々浦々』小学館、1993年発行、「私のみる東国の古代文化」(原著1991年)を、読んでからでした。

 森浩一さんは、「なぜ」という解答を書いていませんが、ボクは、これは明らかだと思います。

 つまり「近畿の崩壊した銅鐸文明」の住民あるいは村が、銅鐸文化を持ったまま、近畿から千葉県房総半島に船で逃亡してそこに住み着いた、そういう解釈しかあり得ないと思います。

 なぜ銅鐸文明が崩壊したかというと、これは「神武東征」伝承にあるような西日本青銅器文明が、近畿などの銅鐸文明を滅ぼした、あるいは吸収合併したから、ではないかと考察します。

 その弥生時代の西日本青銅器文明は、「銅鏡・銅剣・玉」を「3種の神器」とする文明で「古墳時代」に直接続き、近畿の銅鐸はすべて隠されるか、粉砕されたと思います。

 ですから『古事記』にも『日本書紀』にも「銅鐸」の影さえ見えません。それは大和王権にとっての暗い「特定秘密」に指定され、それをしゃべる者はたぶん、逮捕され……。

  ☆

 いま「千葉県 銅鐸」で検索してみたら、ほとんど情報がひっかかりません。

 やりなおし。「関東 銅鐸」で検索したら、かなり引っかかりました。」

 


雨宮日記 6月2日(土)の1 日課その4「お風呂」

2018年06月02日 11時36分24秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 6月2日(土)の1 日課その4「お風呂」

今日の午前中、お風呂に入る。お風呂に入るのは、① 服を脱ぐ ② お風呂スペースへ行く ③ 体と頭を洗う ④ 湯舟に入る ⑤ 脱衣スペースへ移動して服を着る 以上の動作が必要です。

 ところが、右手右足がマヒだと、①~⑤ のそれぞれの動作がきわめて難しい。

 則子さんのアシストがなければお風呂に週何回か入ることもできない。ちなみに、あなたの右手を縛って使えなくしてお風呂に入ってみればいい。

 まず左手のシャツのソデのボタンが取れない。頭にきて、口と歯ではずしたことも何回かある。

 人は助けられて生きるのだ。

 もし、私は誰の助けも借りずに生きている、という人がいたら、衣食住すべての生産からやってみればいい、と思う。乱暴な議論ですが。