雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の歴史 47 「「父の自叙伝『落葉松』 第7部 Ⅱ-44 十軒町」

2015年10月21日 21時52分47秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の歴史 47 「「父の自叙伝『落葉松』 第7部 Ⅱ-44 十軒町」


 十軒町の土地は新聞広告で見つけたが、最初は息子夫婦たちのそれぞれの勤務先の上島あたりをと当っていた。しかし、マンションは多いが、土地は割合高かった。馬込川の東と西の違いで、そんなに遠いわけでもないので、現地を見て、十軒町でもよかろうと決めた。遠鉄電車の曳馬駅へ歩いて十分もかからないから、浜松駅へ出るのも便利であった。

 ところが、土地の登記簿を取って見てびっくりした。和合町の某氏の抵当権二千五百万円あ付いているのである。それに現状宅地であるが雑種地となっている。これは難しい土地をつかんだかなと思ったが、一応この和合町の人に電話をして確かめてみた。近日中に、新栄住宅と決済することになっているという。最終的には、新栄住宅との五月三十日の決済の時には、抵当権も抹消され、雑種地も宅地に変更になったきれいな登記簿を渡されて、心配は解消した。

 七月初めに地鎮祭があり、私と家内が参列した。早いもので八月末には、もう上棟式が行われた。家の前の道路は四メートル幅しかなく狭いので、内輪に弟妹たちだけが集まって祝った。

 年末には引っ越しをして、平成三年の正月には新居で迎えることが出来た。

 馬込川にかかっている三浦橋から、東に向かって一直線に伸びている道路の南側はまだ畑で、家が建っていないので冬の日射しは家の奥まで届き、明るい室の炬燵から、庭を眺めることが出来た。もう早出町に近い所であった。

 十軒町の名の由来は、家数が十軒あったとから、とかいろいろあるが、現在は馬込川の東岸と西岸の両側に分かれ、七百弱世帯の住宅地区である。

 古来、馬込川沿いの低地で、イ草の栽培が行われ、茎は畳表や茣蓙(ござ)の原料として利用されていたが、今はその痕跡もない。家から南側の太鼓橋の近くに、高く聳える大きな樹木の見える広い屋敷を持つ何軒かの家に、若干その面影を感じる。

 十軒町に移って、私たちの生活もガラリと変わってしまった。松城にいた時は、朝トラックが荷下ろしをして行く、その荷を解いて部数を調べ、配達品と店売りに分ける。配達品は伝票を作り、学校や遠くの個人分は車で運んでいく。近所の分は家内が歩いて廻る。家内にはそれがストレス発散の場でもあった。また、魚屋、八百屋、菓子屋などそれぞれ目的に応じて買物ができた。

 しかし、それが○○ストアになり、個人商店が消えていった。十軒町は住宅地なので、特にそれが顕著であった。商店がないから、隣町のストアに行かざるを得ないのである。個人商店なら、気軽な挨拶から人のうわさなど話はつきないが、ストアでは物と金の交換だけである。両隣は勤人で年寄りはおらず、日中は誰もいない。

 家の中にばかりいてはいけないと、家内と日光浴を兼ねて公園に行ったり、ストアも勿論二人で出かける。しかし、それにも限りがある。家内はだんだん、炬燵に入りっぱなしになって、新聞もテレビも見ようとしなくなった。

 静かな住宅地でよいと思ったが、却ってよくなかった。家内は、生来出しゃ張るような性格ではなかったが、ここへ来てから、輪をかけたような引込み思案になってしまった。引越しには万全を期したつもりであったが、家内の心理までには考えが及ばなかった。悔やんでも致し方ないことであった。




雨宮日記 10月21日(水)の2 則子さんが作ってくれた三脚袋

2015年10月21日 21時31分22秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月21日(水)の2 則子さんが作ってくれた三脚袋

 則子さんが、新品のミシンで、今日の休日に1日かけて作ってくれた、カメラ三脚の袋です。

 肩にひもで掛けられるように作ってくれました。

 則子さま、ありがとうございす。

 則子さんのバックアップ・後方支援あるいは「相棒」としての前方支援があって、ぼくは平和運動を生きていけます。

 そういう心から信頼できる相棒(「戦友」)を自衛隊では「バディ」と言うそうです。

 平和運動なので「戦友」では、ありません。

 「平友(へいゆう)」とでも言いましょうか。

    ☆

 この三脚は、超望遠レンズの撮影もできるように頑丈にできている三脚なので、縮めても長さは50センチあります。

 太さは10センチくらい。

 夜の月の拡大写真も、この三脚に載せて撮ります。

 でかいので、テロ対策が厳重な場所では、かなりやばい代物です。

 「すみません、この中身を見せていただきけますか?」

 「超小型ミサイルです」(もしくは「組み立て式狙撃銃です」か)

   ☆

 10月31日から11月1日の日本平和大会イン富士山(静岡県御殿場市)にはこの三脚袋とリュックサックをかついで、出かけます。則子さんには、留守支援を2日間、お願いしています。

 ありがとうございます。則子さま、よろしくお願いします。

 



 

雨宮家の物  則子さんが新しく買ったミシン

2015年10月21日 21時27分56秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物  則子さんが新しく買ったミシン

 則子さんが新しく買ったミシン。

 もしかしてボクが「三脚を入れて運ぶ袋作ってくれませんか」と頼んだので、かな?

 昔のミシンは、足で回すので専用の台がついていましたね。
 
 今は電動で、動きも軽いです。


雨宮日記 10月21日(水) 天気もいいので浜松基地の買収緑地調査を始める

2015年10月21日 21時12分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月21日(水) 天気もいいので浜松基地の買収緑地調査を始める

 いい天気の日です.夏みたいで、ぼくは半袖シャツ。

 ひまではないのだが、なぜか則子さんの休日で家にいるので、午後「少し浜松基地調査に行こうよ」と言ってしまう。

 12時10分、2人で車で家を出て、基地周辺に向かう。基地調査と言っても、「航空自衛隊浜松基地」自体の調査ではなく、基地周辺にある「買収緑地」の調査です。現地を見て「買収緑地」かどうか1つ1つ確認して、地図に書き込んで行く面倒な作業です。

 でも「現場感覚」「現場百辺」、青島刑事「事件は現場で起きているんだ」の精神ですね。

 1時間半ほどやって、基地の外周道路に出て帰りました。基地内の道路を「軽装甲車」が走っていました。お値段は3000万円です。航空自衛隊の基地警備用だそうです。機関銃が載っていたかは不明。

  ☆

 則子さんは、それから長女の家に孫を見に行きました。夕方帰って来て、ソーメンを作ってくれました。おいしかったです。ありがとう。

  ☆

 夜は、いっしょに支部の日曜版の仕分けに行きました。疲れているのか、部数を間違えて、数え直したりして大騒ぎしました。