四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

狂う子の声

2009-11-30 11:49:30 | 生かされて今日
 先日、夕方の電車の中に奇声をあげる十七八の息子を奥の席にお母さんらしき二人連れがおられてました。その奇声は親の悲鳴のように聞こえ、ご両親一族の切ない悲しみを痛烈に感じました。どうしようもない宿命を背負い、どんなにか辛い日々を暮らしておられるのか衝撃を受けました。かわいい赤ん坊が先天的な病におかされ肉体は成長を続けているのです。奇声のたびに南無妙法蓮華経と祈るしかありませんでした。
なぜダーと神も仏もなき不平等に胸が痛みます。60年昔の戦没の兵隊さん、特攻という自爆の道へ運ばれていった「あらがえない宿命」に似て・・・。
 家族のみで負担できない運命ですから、それこそ政治が国が、まわりの善意が支えなければ生きていけないのです。
 『猿を聞人捨子に秋の風いかに』と富士川のほとりに泣く捨て子に食べ物を投げて芭蕉翁は詩人の無力を嘆かれました。
 種痘を発見し天然痘から世を救ったジエンナーの像が、上野にある国立博物館の紅葉の蔭にありました。明日は早くも師走です。
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鎌倉の港址

2009-11-29 19:37:00 | 生かされて今日
 逗子に接する材木座海岸に立つと海中に薄暗い所があります。和賀江島(わかえじま)と呼ぶ鎌倉時代の港の址です。天皇貴族が政治を握る古都京都から、武家の源氏・北条の時代のとなった鎌倉には米、塩、武具、仏典や美術工芸品、建築資材等のあらゆる財が全国から集中、海路材木座海岸からも物資が陸揚げされたようです。ただ遠浅で難破船もあり巨岩を積み上げる突貫土木工事で築いた港の址(国の史跡)です。
材木の集散地で材木商が多く住んでいたことから「材木座」の地名となったそうです。向かいは由比ヶ浜から極楽寺の海で、ススキも枯れてそよいでいました。
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変化する東京の街

2009-11-26 07:33:23 | 生かされて今日
 六本木に国立新美術館が新築、始めて訪れて「日展」を鑑賞しました。当時ハコモノ行政と建設不要論もありまして、事業仕分けの現政権では誕生しなかったでしょぷね。波立つような外観に紅葉が映えて多くの美術フアンが集まってきました。入魂の絵画や書の作品は素晴らしく、「日本はダイジョウブだ」と思えて、作者の技量、集中力と努力に敬意を抱きます。
私も俳句をかじる者ですが、まだまだ努力が足りないなぁと嘆息して巡りました。芸術の秋、トーキョーのど真ん中で赤や黄色のもみぢに染まる時間でした。新しい東京ミッドタウン周辺のせせらぎも散り紅葉を浮かべて、都心に憩う穴場ですね。東京は歴史と現代とが混在する空間、持っている地図がすぐに陳腐化する変化の街だと思いました。
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維新の英雄

2009-11-24 08:17:56 | 生かされて今日
 東京・六本木での会合の帰り道に歴史的人物が眠る青山霊園へ参りました。目的はわが故郷鹿児島の偉人で明治維新三傑のひとりである大久保利通のお墓です。
もみぢの墓地は日もかたむいて晩秋の色濃く、いかな高官でも誰も例外なく土に帰ることを教えてくれます。
 霊園の事務所で地図を頂いて大久保公のお墓を探しますが、入り口が横についており、カミソリ宰相の老獪さを感じさせました。「遅いぞ」と後輩を叱責されるようで、混迷する我が祖国を導き給えとおごそかに礼拝を繰り返しました。写真の奥が大亀にそびえる墓碑、手前の石碑には最後の将軍・徳川慶喜の名も刻んでありました。神仏混交のお墓みたいです。
ふるさとでは判官贔屓もあり大西郷への崇拝が強く、鋭利な頭脳の大久保公は人気がないのです。今から活躍という49才での斬殺横死はその頭脳からして誠に残念です。私が応援している参議院議員・藤末健三さんは、大久保利通公を尊敬しておられるそうで嬉しいですね。
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「徒然草」はおもしろい

2009-11-22 17:50:13 | 生かされて今日
 受験勉強のための古典は要するに何をいってるのかチンプンカンでしたが、読み流せる世代の人間には大意を感じればいいのでおもしろい。
 『人の名も目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事ももの珍しき事をもとめ、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ』
 鎌倉幕府崩壊の頃、約7百年の昔に兼行法師が「徒然草」116段に書き残しました。賢明さをアピールせんと子供に珍奇な名前を付けるのは、学識浅い人間の昔からの癖のようです。
当て字を使った今様の凝った名前は、ルビを振ってくれないと読めません。また、男なのかお姫様なのか定かでない名前の上に、衣服やヘアースタイルや金髪などでとても男女の格好がまぎらわしいですね。
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なに「事業仕訳」って

2009-11-19 07:20:46 | 生かされて今日
 事業仕訳とはへんてこなネーミングで、意味がサッパリわかりませんでした。が、TVで見ると一目瞭然でショックです。政治に素人の私でも何でこんな無駄なことに税金を投下し続けていたのかと愕然とします。戦後60年も野放図に税金を無駄使いしてきたのですね。
 国際的に見て豊かな生活水準の我国なのに、国家財政は破綻しているギャップ、その原因のひとつが政治屋、官僚と企業に税金をチューチュー吸い取られていたようです。目先の既得権を守るシガラミに目がくらんで、改革をしてこなかったツケが、政治に甘い国民にまわりました。
テレビ画面で事業の有効性を主張する官僚は頭は良いのでしょうが、国際競争の中での国家観が欠落してブザマですねー。省益確保に忠実で、国民に尻を向けています。
 人間のお金への執着は色ごとや名誉欲と同様に「火焔のように強い煩悩」と仏典にありますもの。もみぢに大船の観音さまがのぞいています。
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ふるさとへの旅(ジエンド)隼人塚

2009-11-16 22:16:48 | 生かされて今日
 JR隼人駅に近くに五重石塔3基と四天王石像4体が立っています。隼人塚といい国の史跡です。古代において大和朝廷に服属せず殺されたクマソ・隼人の霊を慰めるために建てられたとか、正国寺という寺の跡などの諸説があるそうです。
現在では約1000年前の平安時代後期の建造物と見られており、未だよく分からない石塔群のようです。奈良県の纒向(まきむく)遺跡で大型宮殿址が発見され、女王卑弥呼の住まいではと騒ぎになっています。邪馬台国九州説は苦境に立たされるでしょう。
 私はよく薩摩隼人ですねと云われますが、向こう見ずな元気モンと云った意味なのでしょうか。鹿児島ではボッケモンと云います。決して野蛮人でありませんよ。
 ニュースによりますと熊本との県境、出水(いずみ)市に恒例の鶴が越冬に多数飛来しているそうです。「南国鹿児島」と云われますが、冬は霧島や内陸部ではスケートが出来る寒い所もあるんですよ。是非、鹿児島へお出でください。
 ふるさとの旅もここ隼人塚でピリオドをうちます。


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ふるさとへの旅(その7)鹿屋

2009-11-16 06:54:48 | 生かされて今日
 桜島の裏側から大隅半島を走り元帝国海軍航空隊があった鹿屋航空史料館へ参りました。日本本土へ迫るアメリカ艦船へ爆弾を抱いて突入された905名の若き青年達が出撃した戦跡です。
二十歳前後のりりしい顔写真を仰ぐと、「もっと生きたかったゾ」と訴えてこられ脱帽、身を固くします。軍国主義教育の思想強制で逃げ場なく自爆へ追い込まれた犠牲者です。親への遺書を読ませて頂くと目頭が熱くにじみます。教育偏向の恐ろしさを訴えております。憲法第20条にある「思想信条の自由」はこの尊い犠牲者のお陰様と云えましょう。
 嘗てお台場の海の科学館に展示されていた飛行艇の傑作機、唯一残されている二式大艇です。「空の戦艦」と呼ばれB29の1.3倍の航続距離を誇る名機でした。爆撃や偵察用でかなり大きく、後ろから見ると胴体は意外と細身でした。
 なお、薩摩半島にある知覧は陸軍の特攻基地でした。
合掌
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ふるさとへの旅(その6)

2009-11-15 18:24:55 | 生かされて今日
 桜島の展望台よりわが母郷・鹿児島市を眺めています。海は古代のカルデラ湖、想像もできない大きさの火口が錦江湾(きんこうわん)となりました。今から146年前、横浜生麦村で島津久光の大名行列を馬で遮ったとして英国人を殺傷した報復としてイギリス東洋艦隊7隻が威嚇せんとして来航した海です。威嚇が通じずに思わぬ開戦となり炸裂弾を持ち着弾距離に勝る英艦に町を焼き払われました。射程距離に劣り、火薬で炸裂しない弾の薩摩藩も善戦し英国艦隊の旗艦に命中させ司令官を戦死させています。この薩英戦争により双方が相手の力を認識、フランスと組む徳川幕府を滅ぼす同盟関係となりました。
 手前に広がるのは大正3年の大噴火で湧きだし流れた出た溶岩で島ひとつが桜島とつながりましたと書いてありました。
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ふるさとへの旅(その5)

2009-11-13 21:56:44 | 生かされて今日
 鹿児島市と桜島とピストン輸送し15分で結ぶフエリーは、煩忙時は10分間隔で24時間運行されています。乗船券はひとり僅か150円、美しい錦江湾と雄大な桜島、そして徳川幕府を打倒した島津藩のボッケモン達、西郷隆盛、大久保利通、篤姫や東郷平八郎、洋画の先駆者黒田清輝や和田英作らを育てた鹿児島市街を眺められる最高のピユーポイントです。
 甲子園を湧かせた紫帽子の鹿児島工業高校の生徒が乗っていて、今から桜島でのマラソンに行くと云っていました。男子10㎞、女子5㎞とか。
 鹿児島へ来られたら、焼酎とキビナゴと地鶏の刺身、つきあげ(薩摩揚げ)、黒豚に薩摩ラーメン。そうそう私のひいきの天文館の和田ラーメンが閉店の貼り紙でガックリ、経営のお婆さんのご体調の為でしょうか。それに隠れた名所はいたる所にある銭湯です。ここは全て本当の温泉なのです。沸かし湯ではありません。
 町中を流れる甲突川(こうつきがわ)には嘗て美しいカーブを描く石橋が多くかかっていました。ツタの絡む江戸時代の名橋でした。その下で釣り餌のゴカイをほっていたなぁ。 
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ふるさとへの旅(その4)桜島

2009-11-12 07:08:30 | 生かされて今日
 いつも噴煙を長くたなびかせる桜島を眼前にする展望台に立つと、まさに火山は生きていることが実感されるド迫力で、大自然への畏怖の念が湧きだします。4㎞離れる鹿児島市からは日に七色に変わる優美な山容ですが、近づいてみると恐怖のけわしい顔で、ちっぽけな人間を威圧します。仰ぎ見ると溶岩流をせき止めるダムの近辺には2、3本白煙が立ちのぼり足元にマグマがうごめいているのです。
 右端が火口がある南岳で、昔むかし八幡小学校6年の遠足で登りました。そのときは休火山だったのです。天保山中学1年生の授業中に、大轟音が起こり、以来半世紀にわたって爆発を繰り返しています。
 桜島は島でこん(大根)、桜島小ミカン、ビワが有名です。是非みなさん美しい活火山の桜島へお出でください。あなたが感動することに太鼓判を押します。
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ふるさとへの旅(その3)

2009-11-09 06:24:58 | 生かされて今日
 私のいとこ夫妻が四国の札所八十八寺巡礼のお遍路を、しかも一気に約1300㎞を35日間歩き通して見事に満行されたのでご自宅にお邪魔しました。
 白装束に金剛杖を突き、鈴を鳴らして弘法大師が今も巡られているという「順打ち」、徳島県→高知県→愛媛県→香川県のルートです。途中「遍路ころがし」と云われる難所をも台風が来ようと土砂降りや炎天であろうと、遍路宿を朝出てただただ歩く修行の連続の由。なるだけ荷を軽くラジオも不要となる心境になるそうです。
 各お寺の本堂と太子堂の2カ所で読経、お札を納め納経帳に書と印を頂くのです。ようやく辿り着いた本堂から太子堂が遠く離れているとガクッとなるそうだ。
 金剛杖は奥様の方がすり減り短くなっていて愛媛県では疲労の為に失神されたそうです。満行の納経帳は尊く輝いておりました。凄いなぁー☆★
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ふるさとへの旅(その2)

2009-11-06 06:12:10 | 生かされて今日
 はんや節やおはら節のリズムは私の血肉に染みているらしく手拍子しつつ時を忘れます。電車道を挟んで91の連、8300人が行き違いにまわり、本祭当日街の人出は20万人だそうです。私は人が居ない電車の軌道上を足場に左右を眺めて大喜び。後で思うと真ん中は立入禁止だったかもしれません。
 食の西洋化やレトルト食品の添加物のせいか足長な都会人に比べると、踊るサツマの人たちの体格は全体的に小振りで日本伝統が生きている気がします。
 薩摩おごじょのべっぴんさんが幼な子も混じってやって来ました。幼子のゾウリは脱げないよう白ひもで結んでありお母さんの心遣いを見つけました。躍りの優雅さは手の指にありと見とれましたがヨー。
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ふるさとへの旅(その1)

2009-11-05 10:03:34 | 生かされて今日
 母郷の鹿児島市へ墓参りと秋祭(おはら祭)見物に次男坊と参りました。前夜祭の日はびっくりの寒波来襲で襟を立て、お囃子に手をたたいて見物しました。南国でも朝夕は冷え込み懐炉をポケットの祭です。幸いに翌日の本祭は日射しが出てやや暖かく秋日和となりました。
 古里での久しぶりの祭見物ですから血が騒く心地で、踊る連のみなさんが皆親戚、ご先祖のお顔に見えます。お年をめされたご婦人達は踊りに気品があり、手の指の動きに切れがありますので美しいです。嘗ては格式ある武家の血筋かもなどと想像して時間を忘れました。父母や祖先の思いが充満しているふるさとは良いものです。
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天皇ご即位20年

2009-11-01 06:06:29 | 生かされて今日
 眺め良きみなとみらい地区の国立大ホールで陛下20年をお祝いする式典がありました。私は会場案内のお手伝いです。有名なシンガーのさだまさしさんのショーもあり、早朝の雨にもかかわらず開場前から人の列が出来ていました。
 シーバスが立ち寄るプカリ桟橋やヨットの帆に似た高層ホテルの並びにあるこの大ホールはなんと5000人収容できるマンモス会場で驚きました。
皇室を大事にする伝統派の人々はさすがにおだやかな雰囲気で、ほぼ満員でした。全国をめぐられる両陛下のお写真や来年のカレンダーなど展示されていましたので皇后様のノーブルでお美しい姿を撮りました。民間人から始めて天皇家に輿入れされ、頑迷な周辺からの想像もできないストレスを乗り越えられた尊さ、天皇を支え歌人としてのレベルなど世界に誇る日本女性のシンボルですね。
私は常々、法律を改めて天皇陛下が譲位できる道を開けて頂きたいと願うものです。
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