四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

極楽寺

2005-12-30 20:25:58 | 生かされて今日
 いよいよ年の瀬になりました。帰省ラッシュに買い物競争が盛んです。
縁起のいい駅名でしょう。江ノ電のこじんまりした駅です。裏に奈良西大寺の末、極楽寺があります。極楽寺忍性が建てました。
殺伐な事件もいいかげんにして、来年は極楽もある世にしたいですね。まず身近な小さな極楽に気付く感謝から始めたいですね。
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悪女か

2005-12-28 07:40:36 | 生かされて今日
 「十六夜日記」の阿仏尼が住まっていた鎌倉極楽寺近くの碑。藤原定家は彼女の義父になり、女流歌人であった。正妻の子から見ると、父をたぶらかした悪女だったのでしょう。相続争いの決着をつけんと京から鎌倉幕府へ訴えに出向いたその旅日記が有名。危険な女一人旅をしても子を守らんとした母心・執念がたくましい。彼女の奮闘により、定家の「明月記」など冷泉家の時雨亭文庫が現代に遺されました。お墓は京都にもあるらしいが、鎌倉英勝寺の近くにもあります。
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七里ヶ浜

2005-12-27 07:58:27 | 俳句
 鎌倉攻めの新田義貞が磯伝いに侵入した稲村ヶ崎。七里ヶ浜からの冬の景です。葉山から三浦半島が伸びています。江の島は逆方向に、くじらの形で浮んでいます。実朝の和歌や北斎の版画の海で、冬の怒涛が響きます。海のかおりがなつかしい。

♪江の島やとどろく北斎の冬の海  駿
♪江の島はくじらの形冬の浪  駿
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怪物

2005-12-25 07:13:48 | 生かされて今日
 伊能忠敬は怪物、偉人だと思う。50歳で隠居後、江戸へ出て天文学を学び奄美大島や北海道まで踏破され、現在の科学的調査結果とほぼ変わらない精度の地図を作られた。ドイツ人医師シーボルトはこの日本地図を海外へ持ち出そうとしていました。
忠敬の信じられない情熱、向学心に飽食の徒はただただ頭をたれるのみ。深川富岡八幡の近くに住まいがあり、お参りされてから長旅へ出られた由。私も偉人にあやかり夢だけは捨てたくないものです。
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才人其角(きかく)

2005-12-24 07:29:52 | 俳句
 永代橋を渡りメトロ萱場町の近くに、宝井(榎本)其角の住まい跡がある。芭蕉に十四才で入門した。深川芭蕉庵まで新大橋を渡ると意外と近い。火事で危うく焼け出された芭蕉が一時避難した家だ。芭蕉翁に、門人に其角嵐雪有『両の手に桃とさくらや草の餅』とうたわせた機知縦横の教養人。たまたま関西を旅していて、翁の臨終に間に合っている。師とは違う江戸風。翁の好んだ湖南・近江の人とは知りませんでした。
私の好きな其角三句
〇千人が手を欄干や橋すずみ
〇越後屋にきぬさく音や衣更(今の三越本店)
〇からびたる三井の仁王や冬木立
 
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永代橋の夕景

2005-12-23 17:52:43 | 俳句
 ♪行く年や深川たかばし浪の声  駿
 ♪蕉門をめぐる濹東暮早し  駿
 ♪吉良の首わたりし橋や冬西日  駿

門仲で熱燗に暖まり、榎本其角の住まい跡へ行きます。隅田川永代橋の寒風の夕景、佃島の高層マンション群が見下ろします。つくだにともんじぁやきの佃島は大変身しています。赤穂浪士が吉良の首級をかかげて渡りました。その時、芭蕉翁はすでに大阪で51歳の生涯を閉じましたので見ることはありませんでした。
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秋のなごり

2005-12-21 05:59:30 | 俳句
 師走ですが、伊豆半島の付根にある湯河原の秋のなごりです。南の相模灘になだれる明るくて温暖な所です。さて、我が身の今年の出来事を思い返して見る時期となりました。手帳を見ないと定かでないのです。賀状欠礼のはがきも多いです。日本海側の大雪大事にならぬよう祈ります。
♪書き直すはげましの文十二月  駿
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実朝の海

2005-12-20 04:55:41 | 俳句
 『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に浪のよるみゆ』源氏の三代将軍実朝は、藤原定家に評価される歌人で悲劇のかいらい将軍でした。
ボランティアガイドの同好の士で、頼朝の石橋山古戦場、隠れていたしとどの岩屋等散策しました。大敗した頼朝ら七騎は辛うじて小船で房総へ逃れました。ここで討たれていたら鎌倉幕府は無かったわけです。歴史のIFです。

♪伊豆の海セピアに翳る冬うらら  駿
♪頼朝の岩屋や凍る古戦場  駿
♪実朝の白浪の寄る蜜柑山  駿
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佳人俳人

2005-12-19 07:48:22 | 俳句
 芭蕉翁に二句をもってその美しさをたたえられた園女(そのめ)は、伊勢の医者の妻でした。『暖簾(のうれん)の奥ものゆかし北の梅』、『白菊の目にたてゝ見る塵もなし』
ゆかしい梅や高貴な白菊になぞらえられています。三百年前の才女はいかな髪型、着物姿であったでしょうか。師追悼の句は「寒さうな笠さへみればなみだかな」園女
大阪淀屋橋から、未亡人で同門の榎本其角を頼り新興都市江戸深川へ転居、眼科医を開業した。お墓は深川芭蕉庵から近い清澄公園の向かい雄松院。63歳
50年後の与謝蕪村の絵にも芭蕉翁たちと画かれた女流俳人。

♪初夢の園女の会釈髪かをる  駿
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横綱

2005-12-18 08:21:22 | 生かされて今日
 江戸情緒の深川富岡八幡周辺は毎日がお祭りの賑わいです。本殿のおん前までフリーマーケットや露店でワイワイ。裏に横綱碑、68代朝青龍までが刻まれあとは余白です。67代武蔵丸、66代若乃花、65代貴乃花です。次に刻まれるのは三連続で異国の琴欧州関でしょうか。ガンバレ日本。
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深川芭蕉庵

2005-12-16 06:43:07 | 俳句
『櫓の声波ヲうつて腸(ハラワタ)氷ル夜やなみだ』
37歳の芭蕉翁は、当時の大繁華街日本橋から隅田川向こうの深川へ隠棲。俳句を教えるお金持ちのたいこ持ちの人生に嫌気がさして、芸術的大冒険をはじめました。小名木川が隅田川に合流する深川芭蕉庵は、弟子杉風(さんぷう)の持ついけすの番小屋。川に浮ぶ廃屋、まさに「河上の破家」、川浪が足元に押し寄せる感じです。
♪冬波の足にさしくる庵かな  駿
♪深川のさざんか白き芭蕉館  駿
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師走のヨットハーバー

2005-12-14 20:53:02 | 生かされて今日
 三浦半島は今大根の緑の大地です。農家の柵にも干大根がつらなって、明るい穏やかな12月の景色です。城ヶ島に近い風力発電所の3枚羽根が寒風を切る公園から下を覗くと、ヨットが整然と係留されて冬ごもりです。実朝の海が照り、相模の西風が雪雲を運んできて少しですが雪が舞いました。右向こうは三原山の大島です。水平線がゆるくたわんでいます。
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新年の計

2005-12-11 21:28:53 | 生かされて今日
 新年の計は師走の12月だ。正月になってから一年の計では、すでに遅れていると袈裟がけに切られますよ。目標なき漂流は止めましょう。私はいつも計画をクリアー出来ないと打ちのめされ続けています。しかし、計画がない一年とは違う一年なのです。バカバカしい理想を掲げることが自分の力です。理想が貧しくては幸せをつかめるわけがない。「大それた理想」を求めましょうよ。一回しかない自分の命を卑下して何のメリットぞ。ハチャメチャの理想を持ち、こつこつ努力ををつづけようよ。トンネルの先に明かりが必ず。
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ヨコハマの夕暮

2005-12-09 18:18:14 | 生かされて今日
 明治29年(109年前)竣工のドライドックに係留されている優美な帆船「日本丸」です。第2ドックは、ランドマークタワービルに隣接保存されています。冬の夕暮の影が早くも動いて、寒風が身にしみてきます。貸しボートがさびしく連なっていました。高層ビルの中は春、クリスマスツリーが購買意欲を囃しています。私の住宅地でもアンマッチな電飾の家が現れています。どんな意図で自宅を飾り立てるのか私はハテナマークです。寄付の方がお金が活きると思いますが、いかが。
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十二月八日

2005-12-07 17:41:29 | 生かされて今日
 明日は、釈尊が真理を掴まれた成道の日、また痛ましい太平洋戦争開戦の日でもあります。仏教は葬式のための教えではない。庶民が普段の生活に生かすべしと約千年かけて中国、朝鮮を渡り、膨大な犠牲、努力の数え切れない先人たちの布教伝道のお蔭さまで日本に伝わった。お布施や戒名の法外な葬式仏教と揶揄されている現状は残念だ。
人生苦の原因は、他にあるのでなく因縁ある自分にある。自分が変われ。現象は全て変化する。誕生があれば、死がある。仮和合の、動くものに執着すると苦となる。ひとつに取り付かれるな。人間は一人一人違う差別相と、ひとつの宇宙の力が生み出す点で同じ平等相がある。空だ。自他一体が慈悲を生むのであろう。人間性善説、人間の核は黄金の仏性、周りをどす黒い煩悩が覆いかくしているらしい。理想は高く維持したい。
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