『大晦日の夜は、方々の寺で除夜の鐘が響き渡ります。今年一年間に積もった煩悩を取り除いて、心身ともに清らかに新年を迎えられるようにと百八つ打ち鳴らされるのですが、この煩悩の大もとは何かというと、自分中心のわがままな心なのです。
自分の得になることしか考えようとしない。思いどおりにならないと、いちいち腹が立つ。人を思いやることができなくて、目先のことしか見えない……。そのために自分で自分を苦にしばりつけているのですが、自分の癖で見たり考えたりしているのですから、自分のどこがどう自己中心なのか分からないのです。
ですから、たとえば竹の曲がりを直すのに反対のほうに何度も何度も大きくたわめて癖を直すように、自分の損得など考えず、思いきって人さまに幸せになってもらう奉仕に踏みだしてみるのです。
すると、知らぬまに自分中心の心が一皮一皮剥(はが)れ落ちて、「ああ、ここが自己中心だったんだ」と気づかされるのです。
「善き仲間」と一緒だと、この踏みきりが容易にできるのですね。
一年の終わりにもう一度、サンガに包まれている幸せをかみしめたいものです。』
立正佼成会開祖 庭野日敬師のことば
PS 疫病に殺し合いの戦争、政治の腐敗の年から来年こそは佳き一年に私達の力で前進いたしましょう。