四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

年の瀬に梅が咲きました

2009-12-31 18:49:58 | 生かされて今日
 近所の公園を散歩していて早咲きの梅の花を見つけました。昔の風流な方は早咲きの梅を尋ねて山野を逍遥されたそうで、探梅(たんばい)といい冬の季語です。
「探梅やこころもとなき人数(にんず)かな」後藤夜半
風流ながら山に分け入る不安をにじませる句です。私の場合は棚からボタモチ、たなぼたですが、来年の吉兆と感謝し寄りつ離れつたたずみました。
 日本は木枯らしの冬でも慰めてくれる花実が絶え間なくいい国に生まれたものです。寒椿、山茶花、万両、千両、南天、寒菊、冬すみれ、スイセンなど。
「冬の梅あたり払つて咲きにけり」蕪村 
受験生のメッカ太宰府天満宮の飛び梅はまだでしょうか。
 2009年平成21年も今日限り。メキシコの豚インフルからパンデミック、世界不況で株価7000円台、野球世界一に政権交代などありましたね。来年は虎年とか、お互い様ふんどしを締めなおして激変を乗り越えましょう。ご訪問有難うございました。皆様のご多幸を確信しております。
 
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新人代議士中林美恵子さん

2009-12-28 20:58:32 | 生かされて今日
 横浜中華街に近い石川町で民主党の新人中林美恵子代議士の国政報告会がありました。最初の報告会に100人の老若男女のフアンが集まりました。中林さんはヨコハマの海の色をイメージした上下に決めて、国会初登庁や議会でのしきたり、希望通り衆議院予算委員会所属となれたことなど話されました。国会で「横浜が歩いている」と云われるよう服のカラーを続けるそうです。しがらみのなさと若さとで古い国政の仕組みを変えると誓われました。時間がかかろうとも次代の国民のために期待したい。
 一方ボスの鳩山、小沢のお金にからむ醜聞や連立のごたごた報道にはうんざりですね。芸能記者まがいのマスコミ報道は、国政の重要な点に焦点を高めた報道姿勢をとって頂きたい。人間誰でも色事とお金と名誉には盲目となるもので、政治家に聖人君子の奇麗事を期待してはおりません。TV新聞報道だって営利企業であり、記者も煩悩の人ですからにはたくと埃がでるのは私と同じです。
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日本人の宗教心

2009-12-25 07:39:10 | 生かされて今日
 我が国の宗教の信者数は、文科省の調査によると、神道系(神社の氏子)が約1億700万人、仏教系(お寺の檀家)が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、日本の人口の2倍弱の信者数になるそうです。
 年始年末は、クリスマスや大祓(おおはらい)の神事に初詣と宗教行事のハシゴが生活習慣になっており面白いですね。外人から見ると奇異、いい加減な信仰心だとと映るでしょうが、八百万(やおよろず)の神々が基本の日本人のおおらかさ寛容な姿勢が出ています。無信仰が科学的だとする教養派は井の中の蛙といえましょう。
 喰うか食われるか他を受け入れない排他的で野蛮な宗教が未だ存在する世界を緩やかに統合出来るのは原理主義の宗教心より、この寛容な東洋人の心にあると思います。地球温暖化防止やウイルスのパンデミック対応等もはや一国で対処できない時代ですもの。
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底冷えの街頭募金

2009-12-22 16:19:50 | 生かされて今日
 師走の朝、明るい社会づくり運動の街頭募金に参りました。実はもう年の瀬ですし、寒いのでサボろうかと迷いましたがヨシと思い切って手袋にマフラー、毛糸の帽子にコトーで防寒し自転車にまたがりました。
 金沢文庫駅東口にはすでによわい80歳を越える大先輩の女性がなんと4人も募金箱を首にかけて立たれておられました。冬陽の朝とはいえ駅の軒下は手足から底冷えが包みます。ぬくぬくコタツで朝刊を見てもよさそうな年代ですが、彼女らは寒くても奉仕する布施の喜びが身についておられるのですね。お聞きしたら最高年齢は86才だそうです。頬が寒さでピンクの可愛い媼(おうな)たちで敬服しました。冬スミレの様につよくて美しいですよ。
 幼子や少年少女からの浄財には感動します。募金された若いお母さんの幼児ひとりはダウン症候群のようで心で手を合わせました。私も貧しいからと応じていただいた壮年男性の目線も思い出されます。不況の底冷えの師走にかかわらず想像以上に献金を頂き、腹部に冷えが残りましたが、80歳台のお心にも温められて帰りました。皆様ありがとうございました。
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一年の心の塵を払う

2009-12-21 08:10:16 | 生かされて今日
 20日京都の世界文化遺産西本願寺で500年の歴史を誇る「すす払い」が、多数の門徒の奉仕で行われ、1年間のほこりをはたいた由。親鸞聖人のいらっしゃる壮大な御影堂(ごえいどう)の畳を姉さんかぶりにかっぽうぎの信者さんが竹棒と大うちわで綺麗に磨かれたそうです。
 私たちも立正佼成会横浜教会普門館(ふもんかん)のおゝ掃除をさせていただきました。教会では「浄心行(じょうしんぎょう)」と云いまして、一年間に犯した心の垢、釈尊の教えに背いた悪行、他人を傷つけた口の罪や嘘つきやモノへの執着などもろもろの煩悩を追い出し、清い身に近づいて新年をお迎えする修行です。
横浜駅西口にある横浜普門館は地下3階、地上9階のデッカイ仏教布教の拠点で、地域社会に貢献するための大ホールや会議場、柔道場もあります。その建設費は全て立正佼成会の知られざる先輩たちの貧者の一灯、お布施によって出来たのです。改めて見ず知らずの信仰者の篤い思いに感謝いたしました。
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赤ん坊の名前トップ10

2009-12-18 05:37:15 | 生かされて今日
 今年の命名で一番多いのは、男の子は「大翔」、女の子は「凛」読めますか。ルビが必要ですね。「ひろと」と「りん」ちやんです。
名は体をあらわすと言い、両親は無論じじ婆ら外野席の願いも込められているんですね。男の子で読めないのは、蒼空-そら、悠人ーゆうと、悠真ーゆうま、女では陽菜ーひな、結菜ーゆな、美羽ーみう、結衣ーゆい、美優ーみゆ。
男は「翔」が多く、女の子には花のイメージが多いそうです。私にはトップ10のうち半数は読めない字です。学校の先生は大変だろうな。
 兼好法師が「徒然草」にいわく『お寺の名前など名を昔はサラリとつけたものじゃが、この頃は考えすぎてイヤミだ。人の名前も珍しい奇異な字を使い目立とうとする。あまりほめたことじゃないなぁー』と。700年も前の大昔も現代と同じだったようです。
 子供はいらないなんてぬかす若者が多くなった時代、子育てに奮闘して下さる皆さんの健闘を祈ります。がんばれ若夫婦たちよ。
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松竹大船撮影所跡にて

2009-12-16 06:58:05 | 生かされて今日
 「男はつらいよ」シリーズなどを生み出した松竹大船撮影所跡には、瀟洒なビルの鎌倉女子大学があります。この大学の公開講座で大輪靖宏上智大名誉教授の松尾芭蕉を長年学んでいます。先生の授業はとても丁寧でわかりやすく、豊富な知識を惜しまずお分けいただいて人気講座となっています。今回は「笈の小文を読む」の5回シリーズでした。
芭蕉44才、江戸から名古屋、伊勢、故郷伊賀上野で正月を迎え、愛弟子杜国(とこく)と吉野の桜と西行の庵を訪れ、和歌山から須磨などへの旅でした。翁の死後15年後に出版されました。『おくのほそ道』へ向かう以前の未整理の草稿と思われます。『旅人と我名よばれん初しぐれ』芭蕉
 撮影所あとの女子大はなにかロマンチック、学食やキャンパスを歩むと青春に戻ります。
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港の見える丘

2009-12-13 06:49:59 | 俳句
 『あなたと二人で 来た丘は 港が見える丘
    色あせた桜 唯一つ 淋しく 咲いていた
 船の汽笛 咽(むせ)び泣けば
    チラリホラリと 花片(はなびら) あなたと私に 降りかかる
       春の午後でした』
 懐かしいメロディを口に、13人で師走の吟行を楽しみました。冬陽はあるものの風はさすがに冷たくイチョウ落葉の絨毯を歩きました。異人さんが埼玉からの女5人組にシャッターを頼まれていました。句会は神奈川近代文学館です。
 ○母国向く十字の墓の草紅葉  幸子
 ○極月の汽笛スケッチしてをりぬ  佳子
 ○冬萌えや平らになりぬ墓と海  恭子
 ○冬薔薇話しかけてはいけません  計枝
 ○船笛の身を抜けてゆく黄落季  駿
帰りの石川町はクリスマスの灯が点滅してひと夜の始まりでした。
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師の退任は悲しい

2009-12-11 19:11:00 | 生かされて今日
 私たち会員を励まし仏道実践に捨身の貢献をされた立正佼成会の理事・鈴木基予(もとよ)横浜教会長さんが定年でご退任されました。首都圏を中心に教会長歴なんと30年、お若いときはお子さまを背中に背負って仏教の伝道、会員の魂の救済に奔走されたそうです。厳しさも秘める気品ある銀髪、白皙の笑顔は、どんなひどい人間も否定されず受け入れて個性を生かす慈悲の方です。ご自宅から横浜まで通勤往復4時間、この5年間ほとんど休むことなく布教と指導、宗教間協力と私を捨てて大車輪の布施行を続けられました。「私は庭野開祖に仏道に導かれ一生かけてもお返しできない恩があります」と報恩感謝、身を捨てた指導の日々を送られました。人品尊くて美しくも希有の法華経行者と私の敬愛する師匠でした。青少年の育成には大いに注力され、戦争の惨状を学ぶために広島、長崎や特攻基地知覧や沖縄、海外のフィリピン、韓国、台湾等に自ら団長として孫のような学生を率い赴かれました。
 退任式には会員はもとより千葉法務大臣、藤末健三さん、中田宏さんら多くの政治家、県議、市議の惜別の中、紙吹雪を浴びて教会を去られました。これからはご家庭に戻られますが、今度は刑務所の教晦師として犯罪者の心の救いに奉仕されるそうです。鈴木教会長さん誠にありがとうございました。
 
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釈尊の十二月八日

2009-12-07 18:09:17 | 生かされて今日
 あす12月8日は仏教徒にとりましては大事な日です。2500年前お釈迦さまが私たちのために裕福な王子の身分と親妻子を捨て(大いなる放棄)骨と皮になるまで難行苦行を積まれ、ついに大悟された日とされています。
 教典によりますとその第一声は、
『奇なるかな、奇なるかな。一切衆生ことごとく皆、如来の智慧・徳相を具有す』。
まか不思議だ、人間は皆如来と同じ智慧と慈悲を備えている。ただ、煩悩の曇りからそこに気がついていないのだと。
 両親先祖を通じて地球を誕生させたエネルギー(本仏釈尊)につながる連綿たる私の命の不思議に気づき、今生きていることに感謝を捧げたいと思う。お釈迦さま、その教えを伝道された無数の先達(聖徳太子、最澄・弘法はじめ祖師たち)、よき師よき友そして一番近いご先祖である両親よありがとうございます。
南無妙法蓮華経
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三浦大介の墓

2009-12-05 20:55:59 | 生かされて今日
 鎌倉の水道みち近くの来迎寺(時宗)には、三浦半島を支配した武将・三浦大介(おおすけ)の墓があります。伊豆流罪の身の頼朝は、政子の父、北条時政の支援を受けて打倒平家の軍をおこしました。大規模な平家の鎮圧軍と小田原近くの石橋山で合戦となりました。
源氏派の三浦氏の部隊は鎌倉経由急行し源氏軍に合流せんとしてならず、逆に当時は平家方だった大介の孫の畠山重忠に本城である衣笠城を落とされて三浦大介は80才で討ち死にしました。
 頼朝軍も壊滅し、頼朝は三浦一族の手引きで辛くも真鶴から小舟で房総千葉へ脱出できました。その時の大介に対する恩を果たそうとお祀りしたそうです。寺の裏には大介と奮戦した部下の墓が密集して沈黙し静かでした。なお、大介の墓は複数の場所にあります。
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皇室の名宝展

2009-12-02 18:00:32 | 生かされて今日
 天皇陛下ご即位20年記念の特別展へ参りました。朝9時半で待ち時間二十分、大混雑を免れました。待つ列のハイテンションなお喋りのご婦人連が両陛下のお帰りだったようで列を乱しました。それにしても鈍感・遠慮ないうるささに辟易します。もみぢも形無し。清楚なやまとなでしこよ、なんとかなりませんかー。
 奈良正倉院の御物は1200年を感じさせないナウイものばかり。バンジョーのような聖武天皇愛用の楽器やソックスに赤い靴、観音開きの戸棚、水差しにジュータンや日記等々素晴らしい。光明皇后の古筆や教科書で会う聖徳太子のお姿や自筆の書、小野道風(おののみちかぜ)筆の「玉泉帖(ぎょくせんじょう)」、紀貫之の「万葉集」、春日権現絵巻、蒙古来襲絵詞、西行法師の手紙などにもビックリ。さすが皇室は凄ごすぎるー!
  「道風が自在の筆のあと見れば
          玉泉帖は字ごと飛ぶらし」と吉井 勇は詠いました。
 
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