『なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢(きょうまん)になりかねません。
自信とはその字が示すように、自らを信じることです。しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。
それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。
本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。自分の身の丈のままでいいのです。
常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。』
庭野日敬著『開祖随感』より