四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

横浜の冬もみぢ

2014-11-29 21:32:55 | 生かされて今日

 もみぢの美しさはわざわざ京都などの名所に行かなくても、ご近所にさり気なく輝いています。曇天ながら近くの公園で紅葉の燦燦たる美を堪能しました。見る側の心構えで如何様にも魅力を振りまいてくれるようです。薄日が漏れるとまた別のモミジのように輝くのです。この一年もとうとう師走を残すのみとなりました。

 あまり意味の無き唐突たる選挙に千億ちかい国費を使う政治とはと溜息が出ます。歳費以外に政党活動費という税金を低次元に浪費する低次元の政治屋にもうんざりです。選挙公約も私には虚しい宣伝のようですよね。なんとかミックスなる経済政策・お金よりも、戦争をしない、させない憲法の問題・平和が優先するべきだ。平和があって後の経済だ。自民党の政治権力に抱きついて離れない某党は、平和を守るという結党基本政策を忘れて哀れで滑稽だ。

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新潟県村上市への旅(おしまい)

2014-11-27 20:53:04 | 生かされて今日

 新潟は米どころ、さすがに銘酒が豊富です。村上出の友人から勧められた銘柄より大洋酒造の現地限定酒が私にはおいしかったです。翁たちも俳諧連歌を巻いた後で口にしたのでしょうか。

『おくのほそ道』にはお金や飲食物、名物など下賎なことは書いてありません。『曾良旅日記』にもほとんど記載がないですが、ところどころに一二三のような数字と枡形の暗号があります。

北陸街道で先行する曽良が後からくる翁に金一両を宿屋の亭主に預け置いてる程度しか記録していません。なんせ150連泊ですから少なくても一日二人1万円としても総額150万円ぐらいは使ったのではないでしょうか。当時は為替のような仕組みもあったようですが、大金は持ち運べないからどうしたんでしょうか。しもじもとしては知りたいところです。

 横に長い新潟では酷暑、残暑で疲労困憊し、越後路14日間は冷淡な記載です。

それでも名吟を吐いておられますよ。

◎荒海や佐渡によこたふ天河

 新潟駅で休憩していると爺ちゃんが孫を連れて近くに座りました。笑いかけるその幼き男の子が大昔の私の顔にとても似ていて、なんとも言えない心持ちとなりました。孫のいない私たちは強き印象を刻まれました。あー、あの愛らしき子は今どうしているだろうか。会いたいです。

 

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新潟県村上市への旅(その3)

2014-11-24 18:12:16 | 生かされて今日

 先ほどまで新潟は小春日和でしたが、到着の村上駅はしぐれの中でした。芭蕉さんが愛した京の時雨、翁の忌日は時雨忌とも言います。日本海の鉛雲が静かな小雨を運んできます。

改札の電光板には秋田行とあるので遥々来たなぁという思いです。塩引き鮭のマスコットが可愛らしい。

小雨の駅前はひっそりとひと気がありません。大きな黒石の歌碑があるので覗きますと懐かしき明治の唱歌「汽車」が刻まれております。作詞者は不詳ですが作曲したのはここ村上出身の大輪田愛羅さんだそうです。

口ずさんで下さい。

  1. 今は山中 今は浜
    今は鉄橋渡るぞと
    思う間も無く トンネルの
    闇を通って広野原(ひろのはら)
  2. 遠くに見える村の屋根
    近くに見える町の軒(のき)
    森や林や田や畑(はたけ)
    後(あと)へ後へと飛んで行く
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新潟県村上市への旅(その2)

2014-11-23 10:29:30 | 生かされて今日

 黒塀通りというお寺さんが集まる一角があり、芭蕉翁と曽良が参拝した寺院がありました。河合曽良の生まれは信濃諏訪、神道を学び伊勢長島藩の武士で、翁より5才年下でした。長島藩主の息子がここ村上藩へ婿入りし亡くなっていたので、曽良は旅の当初から墓参の予定があったみたいです。何らかの人脈からお城へ連絡出来、村上藩家老から約3万円を頂いています。なお、曽良はおくの細道を終えてから徳川幕府の諸国巡検使の随員となりはるか朝鮮を望む壱岐の島で亡くなりました。

黒塀通りには紅葉があざやかで、都会の寂しげな冬紅葉とは違うあでやかさです。

◯黒塀に綺羅さしかくる冬紅葉  駿

ここが翁たちが2泊された旅宿があったところです。お城から近いです。お爺さんが自転車の荷台に獲物の鮭一本をのせてこの前の道を帰っていきました。さすがに鮭の町の普段の暮らしです。

◯ペダル漕ぐ荷台に鮭の大獲物  駿

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新潟県村上市への旅(その1)

2014-11-22 05:20:51 | 生かされて今日

 『おくのほそ道』で翁と曽良が2泊した村上市は私の俳句仲間の故郷です。前世の因縁でしょうか前からなんとなく行きたい町でした。町家で持っている屏風(びょうぶ)を一般公開する祭りがあるとのことでソレとばかりに行くことにしました。

ところが大型台風の来襲で延期、ひと月遅れの訪問となりました。屏風祭は過ぎており残念。

新潟駅からの特急はやめて空いているコトコト各駅停車です。白新線という鉄路名ですが「新」の新潟は分かるけど「白」はどこなのでしょう。

穀倉地帯の越の国、さすがに田んぼは広々として白鳥が屯し遠山はしぐれて来ます。戦国時代は領土の分捕り合戦が繰り返されたでしょうね。途中の新発田(しばた)は有名な武将がいたなぁ。相棒は新発田が読めません。変な読み方してます。

ひなびた風情の村上駅の天井には塩引き鮭のマスコットが吊るされて揺れています。100円の市内循環バスが有難いです。二人だけの空き空きバスで楽々と市内を2コース巡り、大方の感覚を掴みました。お城の山のかたちが素敵ですが時雨で登れませんでした。

先ずは鮭の遡上、母川回帰(ぼせんかいき)を見んとタクシーで三面川(みおもてがわ)の土手から鮭伝統館(イヨボヤ会館)へ。江戸時代に乱獲から育てる漁業へ転換させた村上藩士・青砥武平治の先覚の明と30余年の忍耐強い努力に敬服。川の名前もいいですねぇ。他国の領土に侵入してまで赤サンゴを根こそぎする野蛮なやからに見せたい所です。

市内には開いた塩引き鮭が軒に並んで揺れています。爺さんが今さき獲物にした太き鮭を自転車の荷台に運んでいきます。ここはまさに鮭のふるさと、しゃけの町です。

保存されている武家屋敷にも干し柿と揺れて、雪吊りの庭には紅葉が散り敷いています。いいところですよ。

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素晴らしい台湾のTzu Chi(ツーチー)

2014-11-18 05:54:55 | 生かされて今日

 仏教慈済基金会は世界的規模のボランティア団体で、49年前に台湾で女性の證厳法師が創設されました。世界中の病気、貧困や自然災害、戦乱や飢えに呻吟する人への救済に献身的貢献をされておられます。

3.11の大震災においても、大船渡市、南三陸町をはじめ大変なお世話になりました。

證厳法師の教えを身に実践して国境、人種や宗教、政治の枠を超えて真っ先に救済に身を投じる会員の姿勢には感動させられます。

6つの病院や大学など教育施設、テレビ局もあるそうです。證厳法師は、2007年第24回庭野平和賞を受賞されました。このような立派な人格者を佼成会が選んだことを誇りに思います。

ツーチー日本支部のトップである許 麗花執行長さんがわが立正佼成会横浜教会に来られ、会員政治家やリーダーを前に講話をして頂きました。たどたどしい日本語ながら日本人の補助者もいて感動が伝わりました。

迅速な行動力、宗教や国を超えた慈愛の精神に触発されました。「愛せない人はいない」、「證厳法師の手足となり実践する」など釈尊の教えを観音菩薩となって愛を他に及ぼすパワーに敬服させられました。

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小菊の里(ざる菊)

2014-11-09 05:41:04 | 生かされて今日

 俳句仲間5人で栃木県足利にある国宝・鑁阿寺(ばんなじ)や小菊の里へのバスツアーに参加しました。横浜市シルバー人材センター保土ヶ谷支部の企画で50人がバス一台に分乗、相鉄二俣川駅からスタートしました。

秋晴れでなく泣き出しそうな曇天でした。行きで名神高速が渋滞しましたが、幸いに傘を開くこと無く楽しみました。

こがねいろのざる菊を空まで積み重ねるひなびた小菊の里では、でかい梨の実、こんにゃく玉、自家製のはちみつ、とれたての野菜など販売していました。秋逝くやで晩秋の小旅行、時には非日常に身をおくとリフレッシュできます。お昼に頂いた走り蕎麦やこんにゃくのさしみもグーでした。

 足利市内は街角毎に論語の言葉が掲示され、足利尊氏や新田義貞を産んだ武家文化が遺されていました。足利学校近くに国宝鑁阿寺がございました。今にも飛び出しそうな翼の屋根を持つ本堂に家族の健康と就活している姪っ子の就職、世界平和を祈りました。

☆辻辻に論語のことば松手入  駿

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日蓮聖人のご命日演奏

2014-11-06 09:45:03 | 生かされて今日

 鎌倉時代は天皇や貴族の為の仏教から、幅広く庶民にみ教えを説く高僧が続出しました。うち続く戦乱、疫病、飢饉に天災の庶民にはひどい時代でしたからでしょうか、新仏教の道元、日蓮、親鸞、叡尊、忍性、一遍など高徳のお坊さんが輩出されました。

法華宗の開祖・日蓮聖人は千葉県安房のお生まれで、比叡山で学ばれ妙法蓮華経の教えを旧仏教が権力と結びついて独占する時代に、31歳で果敢なる伝道を開始されました。

鎌倉幕府の威嚇と流罪処分、旧仏教派の焼き討ちに耐えて法華題目を唱え日蓮宗を建てらた偉人です。鎌倉の小町大路にあるご説法跡に腰を落とされ休息された岩が残されています。 

法敵の鎌倉幕府の館近くでの辻説法ですから聖人の命がけの覚悟と豪胆振りが偲ばれます。そこで合掌するたびに、精進せずなにをしておるのかぁと樫の棒で叩かれそうです。

 寒さの厳しい身延山から常陸で療養される途中、61歳で池上に入寂されました。ご命日は13日、御会式(おえしき)、御命講と申します。池上本門寺の御会式は勇壮なお祭りです。

『御命講(おめいこ)や油のやうな酒五升』 芭蕉

横浜常照寺での御会式では琵琶の音色が奉納されました。日蓮聖人とすてきなひと時を過ごしました。

 

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