四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

童謡 かもめの水兵さん

2007-09-30 17:52:58 | 生かされて今日
 山下公園の氷川丸近くにある石碑です。作詞は武内俊子さんで、広島高等女学校を卒業、結婚し世田谷区でお母さん作詞家として野口雨情などに師事し、童謡作家・童話作家として活躍されました。
横浜港で見たかもめを題材に代表作「かもめの水兵さん」や「赤い帽子・青い帽子」、「リンゴのヒトリゴト」、「船頭さん」などがあります。
 なお、山下公園は、大正12年9月1日の関東大震災の瓦礫を埋め立てた上に出来ました。大戦後昭和26年頃までアメリカ軍に接収されてかまぼこ型兵舎が立ち並んいたそうです。今では想像できませんが。
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最古の天主堂址

2007-09-28 05:56:29 | 生かされて今日
 横浜中華街の近くに、長崎の国宝・大浦天主堂より2年前に出来たカトリック教会の址があります。江戸時代の末でキリシタン禁制が解かれたのはやっと明治6年です。フランス寺と珍しがられたようです。
現在は山手カソリック教会に引き継がれています。日本人のキリスト教信仰者は200万人の由。結婚式場と間違えている若者もいるのではないでしょうか。
 無宗教と称する教養ある日本人は外国では奇異に写るそうです。大自然に対してか弱い人間は明日を信じ、希望がなければ生きてはいけません。自分の直感や教養、体験や利害を信じる現実的楽観を信仰にしているんでしょうね。
無宗教が科学的至上主義の帰結だという悲しい誤解が、おぞましい事件を生み出しているのではないでしょうか。国技と称する相撲道さえも血ぬられる現代です。
 神仏にぬかづく心を取り戻さねばと思います。
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横浜で最古の建物

2007-09-27 06:41:12 | 生かされて今日
 称名寺の小院である光明院は初代住職の審海上人が引退して住まわれたところです。その表門はかやぶきの四脚門で、現存する建物では横浜最古です。
解体修理で1665年、四代将軍家綱の時代に造られたそうで、今から342年前です。
松尾芭蕉は伊賀上野で若殿に仕えている青年の頃です。
 よこはま三渓園にはより古い建物がありますが、移築されたものです。
お地蔵さまもお彼岸の花で飾られていました。
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秋彼岸

2007-09-25 07:29:09 | 生かされて今日
 自転車を飛ばして名園・称名寺へ。ボランテァガイドを仲間四人で担当しました。お彼岸の墓参りの方が多く、あざやかな法衣のお坊さんが忙しくしています。
木陰にいると涼しい快適な秋の風の一日でした。名木指定のイチョウの樹には沢山ぎんなんが、地上は彼岸花が揺れています。
イチョウは薄く黄葉が始まっています。
阿字ヶ池には亀さんがプカプカ。朝早くからカメラファンや日曜画家もあちらこちらに。
名古屋から来たにぎやかな五人の中年女性のグループをガイドしました。昨日は鎌倉、今日は横浜泊まりだそうです。旦那さま達は仕事なんでしょうね。
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私の根っこ

2007-09-23 06:30:13 | 生かされて今日
 今日は我家で秋のお彼岸の法要を行いました。父母、義父義母をはじめ膨大な数のご先祖様へさまざまな妻お手製のご馳走、お酒や季節の花を捧げて、立正佼成会の信仰仲間三人が導師、鐘、木しょうの役をして下さいました。
 手ずから法華経を読誦して、数々の親不孝を思い出し、先祖のお慈悲とご苦労に感謝を捧げました。私の血肉にはご先祖のDNAが生きているのは事実です。
命のたいまつです。木の根は土の中で見えませんが、ご先祖は私の根っこです。
「我常にここに住すれども 諸の神通力をもって 転倒の衆生をして
               近しといえども しかも見ざらしむ」妙法蓮華経
仏如来と先祖は真近におられると説かれます。
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ガンバレお母さん

2007-09-21 07:40:15 | 生かされて今日
 この頃幼児連れをよく目にします。すこし、出産率が上昇してきたのでしょうか。
ありがたい事で、若いお母さんお父さんにエールを贈りたいです。
職業に熱中するキャリア志向の女性は、結婚して育児や家事に労力を取られて自己実現・夢が阻まれることを心配するのでしょうか。
異性として少し理解はできるのですが、次元の違う自己実現もあると思います。
 狩猟時代の移動する暮らしから、食料を栽培したり育てる定住の智慧は女性の力だったと聞きました。
粘り強い女性の智慧に期待したいと思います。うるわしい家庭づくりをお願いします。
この親と子に神仏の加護あらんことを。
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秋祭り

2007-09-19 07:46:32 | 生かされて今日
 鎌倉の御霊(ごりょう)神社は900年の歴史を誇る鎮守さまです。うす曇の江ノ電長谷駅にて下車、神奈川県の無形文化財指定の「面かけ行列」へ参りました。
各家一役の氏子総出が伝統だそうで、暮らしに溶け込んでいるお祭り風景です。旧知の友と垣根越しの語らいや神輿へおひねりが投げ入れられたり、みこしの担ぎ手の父親と乳飲み子や親戚が写真に撮られたり和気あいあいの行列でした。
 白装束の子供達の列には、道端の同級生から声が掛かり、青い眼も神輿を引いています。薄もみぢの葉が揺れて秋を実感しました。
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水飲み場

2007-09-17 12:42:48 | 生かされて今日
 横浜も大正時代の始めまでは運送の主力は牛と馬、それに人力の大八ぐるまだったそうです。「大八車」を辞書で調べると、八人の代わりが出来るパワフルなというところから命名された二輪の荷車だそうだ。馬車道は今ハイカラになりましたが昔は車でなく牛馬の道だったんですね。
鎖国を止めて開国したばかりの横浜、異国との貿易に沸いた関内に「牛馬飲水槽」が遺されていました。文明開化も物言わぬ馬や牛さんにお世話になったんですね。
これはレプリカでなく本物だそうですヨ。
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名君

2007-09-16 08:02:48 | 生かされて今日
 初代の六波羅探題(ろっぱらたんだい)となり、皇室と西国ににらみをきかせた北条泰時は三代目の執権となりました。源頼朝が元服親です。
 当時明文がなかった為、有力縁戚や軍事力による談合から公平な裁判で武家間のルールを「御成敗式目」として制定しました。以降江戸時代まで基本のルールとなった由です。
 港がない鎌倉幕府は、現在の横浜金沢区の六浦を物資集散と外国貿易の拠点とし、山を切り開いて金沢道をひらきました。鎌倉七口の「朝比奈切通し」は、この泰時が自ら督励して開通させ、現在ものこっています。
写真は名君・泰時のお墓です。
 派閥談合が総裁を決める自民党、勝ち馬にのる猟官の先生方に日本の舵を取れるのでしょうか。人材を多く立候補させて、小沢サンに勝てる人物選んでいただきたい。
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愛の結末

2007-09-14 14:29:25 | 生かされて今日
 自転車を駈って鎌倉郊外に常楽寺を訪ねました。お目当ては三代執権・北条泰時と悲劇の若武者・源(木曽)義高です。裏山にある義高の土まんじゅう近くに石碑が建てられています。読みやすくすると下記のとおり。写真の墓碑は塚の上からずり落ちた由です。

 「木曽義高(きそよしたか)は、木曽義仲の長男であります。かって義仲は、頼朝のうらみを招き、戦になろうとした時、義高を人質として鎌倉に送ることで、ようやく和解することができました。それ以後、義高は、頼朝の世話になり、その娘を妻に迎えました。そして義仲が大津で殺害されたことを聞いた時、鎌倉を逃げ出しましたが、入間川で捕えられて斬られました。云々」

 頼朝が復讐を恐れ殺さんとするのを妻の北条政子が知り、女装して逃したのですが埼玉で追いつかれて殺されました。娘の大姫はショックを受けて20歳で死んでしまいました。
親の政争に巻き込まれた為に若いカップルには悲劇となりました。 南無妙法蓮華経
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大正時代のステンドグラス

2007-09-13 06:52:48 | 生かされて今日
 横浜開港記念館は大正時代の歴史的建物で国の重要文化財です。
開港50年を記念して横浜市民の寄付で建てられた赤レンガです。私のふるさと鹿児島の画伯・和田英作が描いた寒村時代のよこはまの景色の大作があります。和田英作はレジオンドヌール勲章を持ち、東京美術学校の校長でした。
 このステンドグラスは、黒船の入港をイメージしたもので、関東大震災後に再建したものです。
 安倍総理がポンと政権を投げ出しました。かつて同じように放り出した細川首相を思い出します。政界をガラガラ混ぜて、新しい党か大連立のような仕組みで対処するべきでしょう。混乱しそうですね。
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ヨコハマ開港

2007-09-11 07:38:14 | 生かされて今日
 ♪されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや
     むかし思えば とま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ♪

 横浜市の歌は、森鴎外の作詞だそうです。黒船のペリーが2年連続して江戸湾深く侵入して、圧倒的な武力の前にとうとう鎖国を止め開国しました。
徳川幕府は異人と日本人のトラブルを避ける為に、東海道から離れた人もまばらな寒村である横浜を開港の場にしたんですね。その貧しい浜辺の風景を歌つています。
 今のJR関内駅から大桟橋周辺で、東海道線横浜駅とは離れており隔離しておきたかったのですね。長崎の出島と同じです。それでも生麦事件(薩摩藩士が英国人を切り殺した事件)は起こりました。
ヨコハマはあと2年で開港150年を迎えます。
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地球が危ない

2007-09-09 08:12:16 | 生かされて今日
 「地球温暖化と宗教者の役割」と題して、京大名誉教授の薗田先生が講演されました。足もとの地球が壊れる危機について無関心が最大の危機だ。私も含めて。
 人間対人間の「暴力」と同様に、人間が対自然・あらゆる動植物、虫や鳥、魚に対して有史以来大変な暴力をふるって来た結果が温暖化と環境破壊となった。
人間中心の身勝手が地球を殺そうとしている現状を知りました。
快適を追求する貪欲な心をセーブしなければ、自然の暴走が始まり恐竜の様に人類も絶滅する危険がある。
 それもあと10年以内に対策を実行しなければと「不都合な真実」(ゴア前米国副大統領)を説明されました。東洋思想の「小欲知足」を暮らしに実践しよう。
我家ではお米のとぎ汁は海へ流さないで植物へ、広告の裏は俳句の反古やメモにしています。自然への暴力大国・米国や中国も、この地球をあきらめないと思いますが。
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なつめの実

2007-09-08 06:42:02 | 生かされて今日
 川崎大師は年始の参拝客が明治神宮や成田山新勝寺と並ぶ厄よけの名刹です。弘法大師をおまつりし、880年の伝統を誇ります。
台風一過の川崎大師で、「地球温暖化と宗教者の役割」と云う講演会に夫婦で参りました。
寺にはナツメの実が揺れていました。ヨーロッパや中国が原産だそうですが、なんだか懐かしい古里を感じさせます。
台風の余波でインドの菩提樹の枝が落ちていて、珍しいかたちの葉を家に持ち帰りました。釈尊が悟りを開かれた日陰を提供した聖なる葉っぱです。
 約20年横浜に住んで、最も激しい台風でした。
 
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稔りの秋ですか

2007-09-05 13:19:19 | 俳句
 吹く風に秋のおとずれが感じられます。銀河天体の運行は休み無く、昇る太陽に入る西日も、渡るお月さんも止まることはありません。川の流れも過ぎ行くのみです。
私たちの命である肉体と心も動いて行きます。
乗っかっている大地さへも動くんですもの。
秋の色は白、炎天活発な夏から冬という滅びへ近づき行くのでもの悲しい時節とされます。
 実りの秋となりましたが、自分には果実・成果が生れたのであろうか。公園にはすずかけの実が揺れていました。郊外の田んぼも黄金色の豊作になっていることでしょう。

 ♪ちりばめる実のまどかなりプラタナス  駿
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