金澤山(きんたくさん)称名寺は、鎌倉幕府の実権を握った北条氏傍流の金沢北条氏の菩提寺で、鎌倉の極楽寺と同じ真言律宗です。最高の武家文庫「金沢文庫」が隣接しています。横浜で国宝(五点)を擁している唯一のところです。赤門をくぐると仁王門まで桜並木が続きます。由緒深い浄土式庭園が復元され朱の太鼓橋が美しい。しかも、入場無料です。土日にはボランテァの横濱金沢ガイド協会が無料で案内をしてくれます。横浜のかくれた名所です。
ご近所のよざくらを巡りました。かがり火での昔は幻想的なさくらだったでしょうね。今夜はなぎで、ひとひら散ることなき桜です。街頭に照らされて、彼岸の方々が私を覗いているような感覚でした。
『さまざまな事おもひ出す桜かな』 芭蕉翁
『まさをなる空よりしだれざくらかな』 富安風生
『さまざまな事おもひ出す桜かな』 芭蕉翁
『まさをなる空よりしだれざくらかな』 富安風生
久しぶりに立派な松の幹にふれました。なかなのデザインですね。ふるさとの鹿児島市天保山(てんぽざん)海岸にはこんな松が多く独特のかおりと枝ぶり、寝っころがる地には大きな黒蟻がなつかしく思い出されます。砂粒も大きな石英で、てのひらに付くのです。あの頃はどこの小道からも桜島がのぞいて、我家はおじいちゃんもいる七人家族、愛犬ピスもいたっけ。
天保山公園には薩摩藩がイギリス艦隊を砲撃した(薩英戦争)大砲の座が残っていました。炸裂弾でないし、精度からも劣りましたが、クーパー司令長官は戦死しています。大阪商工会議所の初代会頭になった五代友厚らが敵艦で終戦交渉を行いました。
天保山公園には薩摩藩がイギリス艦隊を砲撃した(薩英戦争)大砲の座が残っていました。炸裂弾でないし、精度からも劣りましたが、クーパー司令長官は戦死しています。大阪商工会議所の初代会頭になった五代友厚らが敵艦で終戦交渉を行いました。
茅ヶ崎にある氷室椿庭園は、会社重役であった氷室さんが丹精した庭園で茅ヶ崎市へ譲られました。みやびな名前のそれはそれは沢山の椿のお庭です。かくれた名所ですね。「黒椿」はすでに散っておりました。椿は鳥媒花です。
♪大輪の空を狭むる椿園 駿
♪大輪の空を狭むる椿園 駿
横浜市内の小さな牧場です。ふるさとで昔は荷を引いた馬を、学校の行き来見ました。ぽろぽろ糞を落とすのもよき風景でした。馬蹄をつくる鍛冶屋さんもありました。お馬のひとみは大きく濡れて、黒曜石みたいです。イギリス人は馬を大切にするが、フランス人は食材にするそうです。中国では猫、はと、韓国では犬。人間が一番どう猛ですね。ぺんぺん草を投げ入れてあげました。
上野毛の五島美術館に、源氏物語絵巻の復元図を見たいと参りましたが、待ち時間二時間に縁がなかったと引き返しました。色鮮やかな平安時代を見たかったなー。昔鳴らした文学少女たちが集まっています。本物は当美術館と名古屋にある徳川美術館にあります。
近くから関東富士見100選を楽しんで帰りました。桜が開いていました。
♪上野毛に式部のフアン花ひらく 駿
近くから関東富士見100選を楽しんで帰りました。桜が開いていました。
♪上野毛に式部のフアン花ひらく 駿
横浜にある美しい墓地で、英国、オーストラリア、印度やカナダの戦死者1555名が眠っています。日本はじめシンガポールなど捕虜として戦没された方々もおられます。英国女王陛下はじめ来日高官は必ず参拝されるそうです。きざまれた墓碑の年齢や遺族の言葉に背を正して合掌しました。伝統的に英国では戦没地に墓を築き、米国は母国へ葬るようです。十字架の両脇に紅白の梅の花が満開でした。殺しあうことだけはやめなければ。
上野国立博物館の裏庭が開放されて初めて歩いてみました。寛永寺の庭だった所で小堀遠州の庵や5代将軍徳川綱吉が法隆寺へ寄進した五重塔などがありました。この分厚い石碑は、博物館の父で初代館長、町田久成(ひさなり)を顕彰する。碑文は重野安繹(やすつぐ)で、いづれの先達も薩摩藩。町田は幕末、ロンドンへ密航した15人の薩摩藩留学生のひとりで、鹿児島中央駅広場に像が建つ。勇敢な明治の薩摩男児です。
上野国立博物館の庭で、東京芸大の実技試験をしていました。音に聞く難関大学です。博物館本館を対象に描く試験の様でした。百ぐらいのカンバスには、写真つきの受験票が懸けられて、今お昼の時間です。春浅い冷たい会場で、力の限りを発揮してと祈りました。将来の小磯良平、平山郁夫画伯です。春の陽射しは一部にしか当たっていませんでした。全国の受験生がんばれ。
春風邪でグズグズくすんでいるうちに、おんもは春の百花繚乱で驚きました。春に追い抜かれた感じです。いぬふぐりの鮮やかな空色。梅の満開、コブシ、もくれんの冬芽もプックリ空を指して元気。雪柳に一輪の開花。ボケも咲きそうです。桜の蕾が大きく目立って来ました。写真はミモザです。
横浜も雪国と同じように、百花繚乱みだれ咲く春になりそうです。
人事異動や受験での浮き沈みは誰も避けられません。「人生は苦が常態」とは、釈尊のお言葉。暗黒の夜にも明日の日は必ず昇ります。めげずに明るい春に「自分を変えて」生きましょう。路傍の春の花は応援しているのです。立ち止まってじっくりと見つめて欲しいと。
横浜も雪国と同じように、百花繚乱みだれ咲く春になりそうです。
人事異動や受験での浮き沈みは誰も避けられません。「人生は苦が常態」とは、釈尊のお言葉。暗黒の夜にも明日の日は必ず昇ります。めげずに明るい春に「自分を変えて」生きましょう。路傍の春の花は応援しているのです。立ち止まってじっくりと見つめて欲しいと。
「熊本の石橋」さまにふるさとの西田橋が九州一の石橋と誉められて嬉しいです。眼鏡橋のことなど教えていただきました。ライバル意識が強く敵対していたと聞く熊本藩、八代の名工・岩永三五郎が、どうして10年間も島津藩のために貢献できたのでしょうか。