2025 年 横浜の花見

 京急弘明寺駅から観音通りを下ると大岡川、その川沿いの両岸に桜並木がほぼ八分の咲き具合でした。屋台もにぎにしく並んで戦争無き平和を満喫しています。今年は寒の戻り、花冷えのせいで長い期間さくらを鑑賞できます。川下へ頭上の花を愛でて歩きました。橋から橋への花見です。落花もまだ少く、流れる花びらはまばらです。川が深くなると大きな鯉がゆうゆうと。

屋台は賑やかにいろんな音を漏らします。

「暮らし向きほどよく隠し花八分」駿

 

横浜ひざくら開花


 2025年の初櫻、横浜緋桜が開花しました。私の町の自慢のサクラです。

植物名で「ヨコハマ」の名を冠するのはこの桜木が唯一だそうです。見事な咲きっぷりに今日の予定をキャンセルして花の下に佇みました。

今日は地元の横浜高校甲子園球場に登場し沖縄尚学にかろうじて勝利。公式戦無敗を誇り優勝候補筆頭に挙げられております。

嬉しいことが重なりました。

「緋色なる初櫻かな途中下車」駿

 

獅子舞が団地に来た


 

  「獅子舞の望郷の笛太鼓かな」駿

 わが町内会の企画でたのしい餅つき大会があり、底冷えの中をうかれて参加しました。隣町の獅子舞保存会のご厚意もあり楽しい時を過ごせました。ふるさとに親のいる昔を思い出させる笛太鼓のリズムです。

車椅子の方や幼子に獅子頭が縁起のガブリをして、喜ばせ泣かせたりしています。餅つきでは年季の入った名人が杵を高く背負いあげて美しい間のある姿勢を見せてくれ感心しました。素人のこせこせフォームとは段違いな美しい姿勢です。   

 日本伝統のこの行事を企画を準備された有志の方々、誠にありがとうございました。

戦争や災害、暴力、自然破壊、利己的な風潮がのさばる地球をすくい上げる善意を重ねる日本でありたいものです。

 

読初(よみぞめ)


 2025年(令和7年)がスタートしました。今年の読初は庭野日敬先生の『常に此に住して法を説く』です。

大事なことは、ちっぽけな「自分」にとらわれることをやめて、仏さまにおまかせすることです。それがなぜできないかというと、結局は「自分」を捨てられないからです。頭のいい人は頭のいいことにとらわれます。お金や地位のある人は、それを絶対に手放すまいとします。

しかし、そうして自分の才覚や欲望を大事にしているかぎり、安らかな、広々とした気持ちにはなれません。

それだけでなく、そういうとらわれの気持ちがさまざまな苦悩を招くことになります。

ほんとうの幸せというのは、仏さまの懐に飛び込んで、「生かされるままに生きる」という心境になることです。

  読初の法話の十行写しけり  駿

酉の市


 二の酉の横浜、金刀比羅大鷲神社へ出かけました。今年は三の酉(11月29日)まであります。

若き二人がりんご飴を添えそれなりの熊手を抱いて帰って来ます。青竹の太き熊手が頭上に捧げられ、行き交います。家内安全・商売繁盛の手締めが活気を呼び込んで来春への希望・期待を膨らませます。

乳母車の赤ん坊も愛犬も混雑に揉まれて流れてゆきます。社殿前には長い長い行列が辛抱しています。私はちいさく合掌して、立ち食いの路地を通り抜けました。日中韓の言葉がまざつています。

 

ユリノキの黄葉


 近所の公園にユリの木の並木があります。その黄葉と落葉が素敵です。風にゆらゆらもみぢのグラデーションが見飽きません。名所旧跡で人波に押されて見るもみぢもよろしいですが、住まいの近くでひとり見上げ、いつたり来たり出来るのは最高です。足元には落葉が枯れた美しさを撒いております。

落葉は踏んずけてばかりでなく、手のひらにして一年の日々の歴史を読みとりたいものです。

なんだか自分への手紙のようですね。

 

五島美術館にて

五島美術館古経楼 文化遺産オンライン 慶応大学の小川剛生先生の勅撰和歌集の講演を聞きに上野毛へ参りました。先生は徒然草兼好法師の素性を明かされ、世間をビクリ仰天させた気鋭の学者です。

五島美術館はお庭も素晴らしいです。クチナシの薫る茶室や巨岩、大木の谷が都心であることを忘れさせます。古墳もあるんですよ。

 展示室の入口で伝運慶作という大きな愛染明王に魅せられました。なんと右に弓矢、左手に弓を持っておられてとてもNOWなお姿です。戻っては三たび拝みました。素晴らしい。ありがとうございました。

  「愛染明王のときめく弓矢風涼し」駿