四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

小利口じゃなく

2018-01-17 12:05:44 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『本を読だりテレビの教養番組を見ているだけでも、たくさんの知識が得られます。

 最近は昔のようにのんびりした時代と違って、社会がめまぐるしく変化し続けていますから、それに対応できる程度の知識は備えておかなくてはなりません。しかし、氾濫(はんらん)する情報や知識の中には、自分の人生にとって欠かすことのできない知識よりも、そのときかぎりで消えてしまうといったたぐいのものが多すぎるように思うのです。

 流行の言葉を使って伝統的な考え方を否定したり、言葉巧みに自己正当化の論理を展開したりすることが、かっこいい、新しい生き方であり、そうでないものは時代遅れの愚直な生き方と片づけてしまうような風潮は、いかがなものでしょう。

 そんな一見かっこいい生き方は、いわば社会の表面に浮いた水泡のようなもので、そうした小利口人間でこの社会は支えられるものではないのです。

 利口になるよりも、本物のばかになることのほうが、はるかに難しいのです。社会は、じつはそういう人によって支えられているのです。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

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生まれ変わるぞ

2018-01-03 07:55:03 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『松下幸之助さんの言葉だったと思いますが、「年が新たまるからおめでたいのではない。年が新たまれば心も新たまる。心が新たまるから、おめでたいのである。したがってお正月だけがおめでたいのではなく、心が新たまったときには、いつでもおめでたいのである」といった意味の言葉があったのを覚えております。

 心を新ためるのには、いつのまにか惰性に流れ、マンネリに陥っている生活態度を反省して、新しく出直すことが必要です。

 心を新たにすることを一般的には「改心」と言いますが、仏教では、さらに深く自分の心のあり方を反省し、正しい信仰に心を向けるという意味で、「回心(えしん)」という言葉を使います。回心とは、世俗的な欲望追求に走りがちな心を、真理の教えの世界に振り向けることです。

これまでの自分を悔い改めて仏法に帰依して生まれ変わること、それが回心なのです。

 常に自分を法に照らして改めることを怠らず、いつも求めて向上を心がける。そういう生活であってこそ、日々是好日(にちにちこれこうにち)の、なによりもめでたい日々になるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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