慶応大学の小川剛生先生の勅撰和歌集の講演を聞きに上野毛へ参りました。先生は徒然草の兼好法師の素性を明かされ、世間をビクリ仰天させた気鋭の学者です。
五島美術館はお庭も素晴らしいです。クチナシの薫る茶室や巨岩、大木の谷が都心であることを忘れさせます。古墳もあるんですよ。
展示室の入口で伝運慶作という大きな愛染明王に魅せられました。なんと右に弓矢、左手に弓を持っておられてとてもNOWなお姿です。戻っては三たび拝みました。素晴らしい。ありがとうございました。
「愛染明王のときめく弓矢風涼し」駿
慶応大学の小川剛生先生の勅撰和歌集の講演を聞きに上野毛へ参りました。先生は徒然草の兼好法師の素性を明かされ、世間をビクリ仰天させた気鋭の学者です。
五島美術館はお庭も素晴らしいです。クチナシの薫る茶室や巨岩、大木の谷が都心であることを忘れさせます。古墳もあるんですよ。
展示室の入口で伝運慶作という大きな愛染明王に魅せられました。なんと右に弓矢、左手に弓を持っておられてとてもNOWなお姿です。戻っては三たび拝みました。素晴らしい。ありがとうございました。
「愛染明王のときめく弓矢風涼し」駿
伊豆半島伊東の大室山山焼き見学に参りました。山頂580メートルのお椀型で優美な山全山を覆う枯れ草を一気に焼き払う豪快な季節の行事です。野焼きです。
かなり危険を伴うので 、開催日が現地の天候風向きに左右されようやく2月18日に決定されました。午前9時に山頂のくぼみ部分の野焼きがありました。全山焼きは正午点火です。
大船駅から伊豆急下田行の踊り子号に乗り、小田原、湯河原、熱海を過ぎて伊東です。
たしか伊東氏という豪族が支配していたのでは。
相模灘の水平線がまぶしくあんこ椿と三原山の大島が浮かんでいました。
『箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ』 源 実朝
『大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも』
サボテン公園直行の臨時バスの初発に中国人カップル等々と乗り込みました。がたびしのバス、凸凹の山道を飛ばして大室山の麓、ロープウエイ駅到着。
待ちに待った正午、花火が上がり着火。炎は龍が火を吐くごとくに燃え盛り始めます。瞬く間に山頂へ炎が延び、人間の煩悩業火のように不気味な音を撒き散らして動き出します。
私達はおもわず立上つて、カメラを向けていました。おおよそ20分、うす茶の山は黒きおわん形に変わりました。河津桜が満開でした。
帰りは伊東の温泉町を散策、熱燗と遅い昼食を楽しみました。1.3万歩、膝がガクガクしました。
文明開化の時代に在日外国人が競馬場を造りました。その跡地が広々とした「根岸森林公園」です。私ははじめてJR根岸駅から市営バスで高台にある公園へ参りました。
海を望む台地で瀟洒な家やマンションが多くおしゃれな地域です。が、歳をめされると街の孤島となるのではとか、地震にはちと不安な坂の上です。
広大なうねる草はらを登ると梅の香りが。様々な色、情緒ある名札の梅が盛りでした。
困るのは愛犬珍犬のファッションショー、キンキンわんわんウルサイこと。
インスタ映えを狙った白い椅子やバスケットを持参して犬どもを呼びつ撮影する、我が物顔のペアーには閉口しました。薄っぺらな時代の反映なんでしょう。
草はらにはテントを設けてペットと一家団らん、食事を楽しんでいます。
小田原や田浦の梅林などに足を伸ばさなくても、ひろびろゆっくり鑑賞できるここは穴場です。 もう少し宣伝を上手にできないものかと残念です。帰りは徒歩で根岸まで下りました。
元旦の夕方、石川県能登半島を大地震が襲いました。山がちの観光温泉地で過疎の地域をくつろいでいる元旦の夕方に強襲したのです。正月に帰省した遠来の方々をも絶望の淵に落とし込みました。
この寒空、寒の最中を無我夢中のひと月だったとお悔やみするばかりです。
神のまします大自然はなんと無情なのでしょうか。たつの年の平安、心の復興を祈るばかりです。
ウクライナ戦争、さらにパレスチナの虐殺、地球環境の破壊による大規模な自然災害などまさに世の末世、末法の時代かと恐れます。
寒中毎朝6時、法華三部経を在宅で15日間読誦、世界の平和を祈っています。明日2月3日の節分まで東京杉並の立正佼成会大聖堂からの衛星放映に合わせての読経です。
イタリアのブランド、ブルガリ銀座店は辰どしにあわせた意匠にしています。すこし不気味な感じですね。
青学が快走した後の空間が長いこと、4分を越える差に驚きました。これほどの差が出るなんて。わが人生と似て愕然となりました。もつとも、すでに鬼籍の友も多いので何が優勝、何が人生のトップなのか分かりません。
それにしてもまず大学内で代表に選抜されることでもすごい。たしか青学の選手の中に卒業間近の4年生で初めて走る鹿児島出身ランナーがいました。お爺さんお婆さん、家族一同が沿道のどこかで応援されていると聞きました。どんなにか嬉しくハラハラだったでしょうか。3年間の下積みを耐えた孫、子を心に抱きしめて観戦されたことでしょう。「よかどー」。
伝統ある学びやの名誉、サポートしてくれた方々の恩、沿道の大きな応援の声、競り合うライバル、重い重いプレッシャーを一人で背負っている選手に拍手しかありません。素晴らしい青春時代ですね。
ウクライナやガザ地区では日々残酷無情な暴力が凄まじい。21世紀の人智を傾けて平和にしなければ・・・。南無妙法蓮華経。
『大晦日の夜は、方々の寺で除夜の鐘が響き渡ります。今年一年間に積もった煩悩を取り除いて、心身ともに清らかに新年を迎えられるようにと百八つ打ち鳴らされるのですが、この煩悩の大もとは何かというと、自分中心のわがままな心なのです。
自分の得になることしか考えようとしない。思いどおりにならないと、いちいち腹が立つ。人を思いやることができなくて、目先のことしか見えない……。そのために自分で自分を苦にしばりつけているのですが、自分の癖で見たり考えたりしているのですから、自分のどこがどう自己中心なのか分からないのです。
ですから、たとえば竹の曲がりを直すのに反対のほうに何度も何度も大きくたわめて癖を直すように、自分の損得など考えず、思いきって人さまに幸せになってもらう奉仕に踏みだしてみるのです。
すると、知らぬまに自分中心の心が一皮一皮剥(はが)れ落ちて、「ああ、ここが自己中心だったんだ」と気づかされるのです。
「善き仲間」と一緒だと、この踏みきりが容易にできるのですね。
一年の終わりにもう一度、サンガに包まれている幸せをかみしめたいものです。』
立正佼成会開祖 庭野日敬師のことば
PS 疫病に殺し合いの戦争、政治の腐敗の年から来年こそは佳き一年に私達の力で前進いたしましょう。
『好き合って結婚してはみたけども、「やっぱり性格が合わないから別れよう」と、まことに簡単な考えで離婚してしまう人が増えているといいます。
しかし、夫婦になるというのは、そんな簡単な縁ではないのですね。
結婚は縁ものといいますが、人は自分にふさわしい人に引き寄せられ、ふさわしい人が自分に寄ってきて、夫婦となります。その出会いは、自分が人間として向上していくための“同行”としてお手配になった相手同士ともいえましょう。
法華経の教えは道を行くことにあります。たまり水はじきに腐ってしまうように、人間も、いつまでも同じところにとどまっているとだめになってしまいます。一歩一歩前進し、一段一段、階段をのぼらなくてはならないのですが、その修行が、一緒に向上しようという相手がいないと難しいのです。
ところが、その相棒がしばしば大きな壁に見えるときがあるのですね。
しかし、その壁が大きく見えるときこそ自分が変われるチャンスなのです。
この見方ができるようになって初めて、夫婦が互いに長所も短所もひっくるめて拝み合えるようになるのです。』
立正佼成会 開祖 庭野日敬師の言葉
JR橋本駅に初めて来ました。発展途上の駅前から広々とした冬日和、相模の丘陵が望めます。いままで東京なのか神奈川なのか知りませんでした。神奈川県のはしでリニア新駅が期待されるそうです。義兄の多摩美大もあるみたい。
かって、教会の仲間と群馬のわたらせ渓谷のトロッコ列車を楽しみ、星野富弘美術館へ行った記憶があります。
口に筆を咥えて描かれた花の精密画、添えられた詩、その字の得も言われぬ魅力に2度巡回させて頂きました。ぐっと胸に来る詩を手帳に写し取りながら。
『父ちゃん気付くのが少し遅かったけれど 分かりました 詫びることも お礼をいうことも出来なくなる別れがあることを』
『許すということを知ったら 重かった悲しみが少し軽くなった もっともっと許そう 私だって数えきれないほどたくさん許されているんですもの』
『ちかごろ花をふたつ描くことが多くなった 妻よ ひとつはおまえかもしれないね』
『神様が たった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が本当に来るような気がして』
PS コロナまん延と戦争と政治の腐敗の2023年も逝きます。来年こそは豊かな地球を取り戻しましょう。
ヴァイオリンと吟行とがコラボした神奈川県現代俳句協会の句会に参加しました。藤沢駅南口から境川を渡った新林公園へ私は初めて散策、句会場は市民会館です。
師走初日は厳冬が喧伝されていましたが、幸いに風がなくコートを脱ぐ小春日和。
「横浜バロック室内合奏団」の小笠原伸子さんが古典のバッハから映画音楽、クリスマス曲まで身近に大サービスして頂き感動しました。
バッハは長身でなした子どもは20人、日本語では「小川」さん。イギリスのエルガーは身分の高い妻を得て「愛の挨拶」を作曲した由。タイースの瞑想曲、ユーモレスク。イタリア留学の思い出や、演奏には人間の「軸」を意識する必要があるとか、プロ演奏家ならではのお話が聞けました。
西洋文化に東洋的「気」を交える奥深さが身にしみ、「贅沢な時間」を過ごせました。90歳の婦人は遠く秦野から来たと会場から藤沢駅まで案内して帰りました。
句会の成績は例の通り不本意でしたが・・・。
東大准教授木下華子先生から兼好法師の出自について金沢文庫にて学びました。つい近くまで室町時代の歌僧・正徹が『正徹物語』で述べた兼好の氏素性が約570年も学会や世間の常識とされていました。
兼好は名門京都吉田家の出で、久我家か徳大寺家につかえる五位の侍で宮中に仕え、和歌の名手であったとあります。この説は慶応大学の小川剛生先生のちみつな研究でひっくり返されました。
吉田家が兼好法師の名声を取り込もうとして出自を詐称したそうです。それが『正徹物語』によって学会の常識とされて来たのです。北村季吟(芭蕉の師)も騙されました。
吉田兼好、卜部兼好は偽名で、兼好法師が正解の名前だそうです。570年も続いた嘘の出自を暴かれた小川先生はすごい。痛快ですね。なお、『兼好法師集76番』で横浜市金沢区の丘に庵を結んでいたこと、『徒然草34段』にも武蔵国金沢(かねさわ)とあり、また称名寺高僧の文書を京都の北条執権貞顕へ届けたと金沢文庫古書にあります。今まで信じられた高い身分ではなく、別人の人物が本当だったのですね。
天高しの十月思わざる「帯状疱疹」で苦しむ羽目になりました。元気ハツラツの八十路とうぬぼれていたら、足をすくわれて一遍に健康のおごり、驕慢を叩かれました。
この苦痛の十日間で二歳ほど歳が進んでしまった感があります。老病に苦しむ方々の苦痛の一端を分からせていただきました。
徒然草116段に「友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つには武勇の兵、六つにはそらごとする人、七つには欲深き人。」
病気の方々の苦を察してあげる心持ちが必要なんですね。
わが町、横浜市金沢区の文化祭、民謡のつどいに参りました。
日本伝統の三味線、尺八、太鼓や舞踊などをたしなむ方々が大舞台で技を発揮してくれました。まず最初、出来たばかりという『よこはま金沢音頭』の合唱からスタートです。
「横浜市歌」は森鴎外の作で公立小中学校では教えているようですが、金沢音頭は初めて聞きました。後期高齢者が舞台も観客席も主役です。
テレビで流行りの西洋風の激しいダンスの歌とは180度違う日本人の情緒がしたたるものです。ふるさとの鹿児島おはら節には、父母を思い出してしんみりしました。
舞台の方々もきっと故郷の親兄弟、川や山、海の景色を感じて演じておられると思いました。緊張であたふた、ぎこちない動きも愛嬌です。汗して奮闘していただきました。
中でも「武田節」の朗々たる先輩のお声には、郷土を誇りとする気概があふれ励まされました。午後に所要で中座して残念でした。老老のますますの熟達の芸を後継者へお伝えされるよう応援します。
西洋かぶれの歌、ダンスもいいが、伝統文化が廃れてゆくのは残念です。私は俳句を趣味とされるよう永くお勧めしております。決して古臭い趣味ではありません。
コロナで3年活動出来なかった赤い羽根募金に参加しました。仲間とも久しぶりの再会でした。肩に掛けるタスキ、ささげる募金箱は新しくなっています。
車椅子のご婦人、自転車のおじさん、おばさん、下校の小学生たちが浄財を布施してくれて感動しました。お小遣いを手放せる子供たちの親の顔がみたいです。
お布施は幼い頃「身を切る」自己犠牲のよろこびが身につく好機です。ラグビーのチームのために身を投げ出すセービングに似ています。
某政党が高らかに叫ぶあやしい「身を切る」改革とは違います。貧者の一灯です。『徒然草』18段に「昔より、賢き人の富めるはまれなり」。
『おくのほそ道』に「尾花沢にて清風という者を尋ぬ。かれは富める者なれども、こころざし卑しからず」とあります。財豊かな人はかえって布施が出来ないようです。
ミサイルや戦闘機を買い、原爆碑の「過ちを繰り返しません」を裏切ることがなきよう政治を正したいものです。
『私たちは「仏さまを拝む」とか「朝夕にご先祖の供養をする」と言いますが、よく考えてみると「拝む」のではなく「拝ませていただく」、「供養をする」ではなく「供養をさせていただく」というのが本当だと思うのです。
自分が仏さまに生かされ、ご先祖さまのお陰でこうして生かされているという感謝の心を持てるかどうかで、その違いが生まれてきます。
世間には、尊い教えを聞いても拝む気持ちになれない人がたくさんいます。
また、落ち着いて拝もうにも忙しくて、その機会に恵まれない人もたくさんいます。そうしたなかで、縁あって仏法に導かれ、まわりのみなさんの親身な手どりで、生かされている自分を思い知り、感謝の気持ちを持てたことが、どれほどありがたいことか。
さらに、毎日ご供養のできる時間を与えてもらっていることが、どんなにありがたいことか。
それを心から思い知ると、仏さまを拝ませていただき、ご供養をさせていただける身の幸せが腹の底から感じられてくるのです。私は朝夕の読経をさせていただくそのつど、そのありがたさをかみしめずにいられません。』
庭野日敬師「開祖随感」