四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

迷うな!

2021-02-19 07:13:31 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

『人間にはだれしも欲があり、自分勝手を通したいエゴイズムがあります。ですから、どうしても目先の利害得失にとらわれ、因果の道理を忘れがちになってしまうわけです。

 正直なところみなさんも、うまく立ち回って甘い汁を吸っている人を見たりすると、因果の道理など本当に存在するのだろうかと疑問を抱いてしまうこともあると思うのです。仏さまの教えどおりに正直に人さまへの奉仕を先にする生き方をしていたのでは、この社会で自分だけ遅れをとるのではないか、と心がぐらつくこともあるかもしれません。

それでつい、自分の欲を満たしたい、楽をしたいといった願いにひきずられ、立派な家に住み、ぜいたくな生活をしている人と自分を比べてうらやみ、ねたむといったことになってしまうわけです。

 そういう人に対して、経典には、きわめて大切な言葉が説かれています。「仏説(ぶっせつ)観普賢菩薩(かんふげんぼさつ)行法経(ぎょうぼうきょう)」の「深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし」という一節がそれです。仏教徒の私たちにとって、仏を信じ、因果を信じ、ひたすら菩薩道をあゆむ以外に、幸せに至る道はないのです。』

          庭野日敬著『開祖随感』より

PS いつまでも1を3で割ろうとしていませんか。3分の1を信じればいいのです。宇宙船もジエット旅客機も3分の1で設計されております。

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因縁果報のルール

2021-02-15 07:00:24 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『善因は善果をもたらし、悪因(あくいん)は悪果(あっか)を招くという考え方をすべきです。

しかし、現在の世の中を見ていると、必ずしもそのとおりになっていない場合があるように思う人も多いかもしれません。

目の前のことだけを見ていると、「善因を積んでも少しも善いことがなく、悪いことをして平気で大手を振って歩いている人がいるじゃないか」と納得できないこともありましょう。

たとえば政治の世界でも、何億というお金を受け取っても収賄(しゅうわい)罪に問われることがなかったり、清潔な選挙をした候補が落選して不正行為をした候補が当選するといったことが、あまりにも多いのは事実です。それで、善因善果、悪因悪果といっても、もうひとつ説得力がないようにも思えるのですが、五年、十年という長い年月をとおして見ると、その因果の道理のとおりになっているものです。

ですから私たちは、まず道理がきちんと通用する健全な社会をつくる努力と同時に、時の経過によって必ず善因は善果に、悪因は悪果となって現われることをいつも忘れずに毎日を送ることがなによりも大事だと思うのです。』

           庭野日敬著『開祖随感』より

PS 2月15日は釈尊入滅の日、涅槃会といいます。

西行の歌 「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」

 

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自分を写す鏡

2021-02-04 06:24:51 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『自分の顔にゴミがついていても、鏡に映してみないとそれが分かりません。そして、それに気づいたら鏡に映ったゴミではなく、自分の顔のゴミを拭き取らなくてはならないわけです。

日蓮聖人は「亀鏡(ききょう)なければ我が面(おもて)を見ず、敵なければ我が非(ひ)を知らず」と教えられました。亀鏡とは自分を照らして見る鏡、手本のことです。

そういう鏡を持たないと自分の顔が見られないように、自分の非を見せてくれる敵があって初めて、自分を正すことができるという意味です。

みなさんは法座で、「相手は自分を映して見せてくれる鏡」と教えられていると思うのですが、そういう受け取り方ができるようになってこそ、相手の至らないところを見ても、ただそれを責めるのではなく、その姿で自分の姿をあらためて振り返って見、まず自分を改めずにいられなくなってくるのです。

一億総評論家時代といわれるほど、さまざまなことに対して批判を言い立てる人が多い昨今ですが、他の欠点を批判する前に、自分の足元を見直し、お互いに「自分の非を教えてくれる善知識」と受け取れるようになってこそ、この社会が平和で住みよい社会に生まれ変わっていくのです。』

                  庭野日敬著『開祖随感』より

★自分が変われば相手が変わる。

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